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20070902 南薩線・永吉駅跡

1984年に廃線となった南薩線。オーテマ・ハウスから最も近いのがこの「永吉駅」であった。幼い頃、父とここから乗車した記憶がある。吹上浜沿いをずーっと南下して枕崎まで鉄道が走っていたのだ。台風の影響でトンネルが塞がり、修復工事の費用が足りない、という理由が廃線のきっかけと聞いている。現在は自転車道として活用されているが、所々に鉄道の遺産を見ることが出来る。この永吉駅のホームは、その中で最も当時を想像出来る場所だ。今回、近くにある小さなお店でおばあさんと話すことが出来た。空襲でこのあたりの家屋十数件が焼けた事、南薩線が開通して自宅の敷地が分断された事。廃線になり、自転車道が出来た事。そして、このおばあさんは撤去されるホームを「残して下さい」と訴え続けたらしい。長さは3分の1程になってしまったらしいが、「跡」としてこのように残った事は大変意義がある。今、もしこの鉄道が走っていたなら、観光資源としての価値は計り知れない。僕はおばあさんに呼びかけた「また賑やかな時代が来るといいですね」と。おばあさんは「世の中がひっくり返らないと無理だ」と言っていた。一人一人の価値観が故郷にシフトされたなら、南薩線復活も決して夢ではないと思っている。もう一度、乗りたい。

20210102 追記

この場所は、その後予算がついて、「ながよし」と書かれた駅のプレートが立っています。近くにある道の駅「かめまる館」にはレンタサイクルもあります。本当に、徐々にですが、賑わいの創出が生まれている様に感じます。

鹿児島は車社会。道路が拡張されたり、自家用車が増えたことで、結果として人は流出しています。道路は、人が集まるためにあるのではなく離れていくためにある、これが田舎から見た現状だと僕は思っています(逆のことを言う人も多い)。短期的ビジョンですが、雇用の創出に繋がっていることは否定しません。

これから高齢社会が加速したときに、自動運転技術なども進んでいる様ですから、免許を手放しても車に乗る機会は減らないかも知れません。自分は、それ以上に大切なのは鉄道網だと確信しています。昔のように薩摩半島を鉄道で一周出来る時代になって欲しい。駅から周辺の観光地や住宅地には、自動運転の車でもいいと思う。

南薩線を愛好する鉄道ファンとも、この後知り合って、吹上砂丘荘で行われた展覧会のポスターを描かせていただいたり、地元で行われる市にもブース出展をしていただきました。鉄道と田舎の未来についてはこれからも考えていきたいです。


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