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私たちの裡に存在する地球を歌う

先日、私たちの中心を貫いて流れるエネルギーラインについて書きました。

私たちには宇宙の源から、それぞれに全くオリジナルな固有の響き・エネルギー・情報が届けられていて、それはクラウンチャクラを中心に届き、私たちの身体をめぐり、地球の中心へと抜けていきます。

それと同様に、地球の中心からルートチャクラを通して、それぞれに全くオリジナルな固有の響き・エネルギー・情報が届けられています。 これら双方向のエネルギーの流れが統合される地点として、胸の中心に存在しているハートチャクラが存在しています。

まず、エネルギーのフローとして、そのように捉えることが可能です。

今回は、もうひとつ深いレイヤーの捉え方について書いてみたいと思います。

私たちは、「全体」が「個」を体験している存在であり、もしくは、「個」が「全体」を体験している存在である。

響きの世界を探求していると、そのように実感することが多々あります。

仏教の言葉で、一則一切 一切即一 という、華厳経の教えを紐解いた言葉がありますが、まさにそのような感覚だと思います。

それは、ある意味では日常の空間感覚と時間感覚(左脳的な感覚とも言えるかもしれません)では捉えにくい感覚ではありますが、響きの中に感覚を開いていく(右脳的感覚とも言える)と、徐々に理解することができる感覚だと思います。

個が全であり、全が個であるという構造の中で、なおかつ私たちは別個の存在として、この宇宙の中でお互いにつながり合い、響き合いながら存在しています。

「一」であると同時に「多」であること、その相反する感覚を同時に持つことが、「統合の感覚」であると私は理解しています。

少し脇道に逸れますが、その統合の感覚を実現するのが第3の目と呼ばれるアジナチャクラだとも感じています。

自分自身の、そして他者の地球の響きを声にしてうたうということを続けていくと、とても不思議な感覚ですが、私たちの身体の内側に「地球が存在している」という感覚を味わうようになりました。

すべては私たちの内に存在している。けれど、それと同時に私たちはこの「身体」という有限性を通して、「個」を経験している。その時、私たちの内側に存在している「地球」もまた、私たちという身体の「個」であることの性質を通して、それぞれの身体固有の響きを表現し始めるのではないかと感じ始めました。

それはつまり、すべての可能性の総体である「全体」が、「身体」という有限性の中に受肉することによって、私たちは「個」であることを経験することが可能になる。ということです。

そして、とても大事なことですが、その「私」という「身体」を通じて表現される「地球」の響きこそが、地球からの私たちへの「愛」に他ならない、ということ。

「すべて」である存在が、「個」という「有限性」を経験するということ自体が、実は宇宙から見ると奇跡そのものであり、秘蹟と言ってもいいようなことなのです。

そしてそれはとても不思議なことですが、「愛」そのものの感覚でもあると感じています。

私たちは、私たちそれぞれに与えられたオリジナルな「身体」を通して、私という「個」だけが表現することのできる「地球のうた」を歌うことができます。それはそのまま、その人にしか表現することのできない一人の人としての可能性を生き切るということでもあります。

私というこの身体 - 命を通して、私たちはそれぞれにまったくオリジナルな、かけがえのない地球の表現を生きることができるようにプログラムされています。繰り返しになりますが、それこそが本質的な意味での、地球から私たちへの「愛」なのだと思います。



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