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小説【リア充に燃える日々】


 下ろしたてのコーヒーカップは、メインディッシュの皿の斜め右三十度の位置に移動させた。テーブルの中央の花瓶は、アシンメトリーになるように、左側奥にさりげなく寄せた。構図はこれでよし、窓からさす光もカーテンのはためく感じもこれでよし、いい感じ。

蘭子はおもむろにスマートフォンを構えると、テーブルの上の料理を連写した。

「ママ、まだ食べちゃだめなの? お腹空いたよう」

「麻里亜、もう少し待ってて。いい写真が撮れたらね、それから食べようね」

 娘の麻里亜に言い聞かせて、蘭子は次に写真のデータフォルダを開いた。今撮ったばかりの料理の写真がずらりと並ぶ。その中から一番見栄えのいいショットを選択した。次に最高に可愛らしく見える麻里亜の写真を選び、コメントを入力して料理の写真とともに、自身のインスタグラムに記事をアップする。

――今日は久しぶりに朝寝坊しちゃった。今からファミリーでブランチ。ラディシュの鮮やかな赤い色で、マリアはやっと目が覚めたみたい――

 うそだ。早起きはしたが家族の朝食も用意せず、インスタグラムに載せる〝絵になるブランチ〟つくりに勤しんでいたのだった。麻里亜だってとっくに起きていた。撮影を邪魔されないよう夫の秀明を叩き起こし、子守りしてもらっていた。

「蘭子、もういいだろ? 俺も腹減った。いい加減メシ食わせてくれよ」

「はやく! はやく!」

 二人にせかされ、やっと遅めの朝食が始まった。

「あのさ、そのカップ、いくらしたの?」

 写真に使った真新しいコーヒーカップを見て、秀明が顎をしゃくった。

「ウェッジウッドのなんだけど、そんなに高くなかったの」

「だから、いくらしたのよ」

「結構お安くて、一客五千円ちょっとかな」

「はぁ? たった一個で? なんだそれ、たかがコーヒーカップじゃん!」

「やぁだ、このブランドだと一万円したって普通なんだから。このくらいのことで文句言わないでよ。それなりの物を使わないと説得力がないのよ」

「意味わかんね」

 秀明は首を左右に振ってママ変だよなと、五歳の麻里亜に話しかけている。


 インスタグラムを始めてから、蘭子は片時もスマートフォンが手放せない。最近では携帯電話のカメラの機能も目覚ましく、いつでもどこでも写真が写せる環境だ。いろいろな加工が施せるから、ますます撮ることに熱を帯びてきていた。いつもなにかいいことがないか、素敵なことが、特別な何かが転がってやしないかと、蘭子はそのことばかり気にしている。

 友だちの友だちはみんな友だち。インスタグラムを開くと、幼馴染もママ友も会社で同期だった人たちも、その連中を介して繋がったあんな人もこんな人も、みんなリアルに充実した日々を送っていた。面白おかしく書かれた少し残念なエピソードさえ、ある種の優越感を漂わせて。

そんな中で、蘭子には今特に気になる存在がある。大学時代のヒップホップダンスサークルで一緒だった芽衣子のインスタグラムだ。

彼女は今、ニューヨークに住んでいた。大学を卒業した後ダンス留学のために単身渡米し、現在はインストラクターとして生計を立てているという。パフォーマーとして、いつの日かメジャーデビューできることを夢見ているのだった。たまにアップされる、ニューヨークの街角を背景に佇む彼女の写真。そこに映る芽衣子の表情には、媚も衒いも感じられなかった。学生の頃そうだったように、飄々と日々を送るありのままの芽衣子の姿。

そんな彼女の記事を目にするたび、蘭子の胸の奥に、炎がポッと音を立てるのだった。蘭子がアップしたコメントや写真に、海の向こうの芽衣子からコメントやイイねボタンが押されると、してやったりと思わず頬が緩む。記事や写真に、ほんの少しうそが混じったとしても、彼女が認めてくれればそれでいい。

 「今日のランチ報告は、美香ちゃんママね。はいどうぞ」

 ボスママに言われ、美香ちゃんママはさっそくスマートフォンを構えた。ランチの料理を前に、そこそこおしゃれをした、蘭子たちママ友グループの集合写真を撮った。この〝そこそこ〟というのがポイントだ。思い切りキメてたんじゃダサい。さりげないおしゃれじゃないと意味がない。

みんな似たような笑顔でピースサインをした写真を撮り終わると、美香ちゃんママは、間髪おかず自分のインスタグラムを更新した。すかさず蘭子たちは、目の前の料理に目もくれずスマートフォンに食いついて、美香ちゃんママの記事に、イイねボタンを押したりコメントを入れたりしている。

「えっと、次回のランチ報告は、たしか麻里亜ちゃんママだったっけ?」

「そう、次は私。どこか素敵なレストラン探さないといけないよね」

 どこがいいかな……、窓の外に、素敵なロケーションの広がる郊外のレストランとか……。蘭子は、次にママ友たちと出掛けるお店のことで頭が一杯になっていた。

「あ、ほら見て見て。さっそく高校の時の友だちから、今日のランチにコメント入ったわ」

 今日のランチ報告者、美香ちゃんママの嬉しそうな声が店内にこだました。

「さあ、それじゃお食事いただきましょう」

インスタグラムタイムが一段落し、ボスママの号令で、蘭子たちはようやく食事にありついた。勿体ぶった五十グラムほどのステーキは、もうすっかり冷めて固くなっている。

 リアルに充実するためには、ママ友たちとこんな協力体制もありなのだ。

 「ねえパパ。今度のお休みディズニーランドとか行かない? ううん、近場でいいからどこか連れてってよ」

「いや、次は休日出勤しなきゃいけないからムリ」

「じゃ、インスタはどうすんの?」

「どうすんのって、俺は仕事なんだからさ。知らねえよ、そんなの」

 じゃ、どうしたらいい? 充実した一日、人が羨むようなしあわせな休日。友だちの友だちのその友だちにも自慢できるような、さりげなくて素敵なこと。芽衣子が、遠くニューヨークからイイねボタンを押してくれそうな……。

「とりあえずショッピングモールでも行こうかな。実家へ行って、お父さんにおねだりしよっと」

「ったく、親父さんもいい迷惑だな。じっくり家で読書とか、児童公園で麻里亜とブランコとか、そういう地道な案はないわけ?」

「却下。ありえない。目に見える形で充実してなきゃいけないのよ」

「充実すんのも大変だな」

 秀明は大げさに首を竦めた。


「麻里亜に何か美味しいものでも、食べさせてあげなさい」

悠々自適、年金生活者の父親からせしめた軍資金は一万円だった。

麻里亜とのランチは、ファストフードで充分、麻里亜もその方が喜ぶし、このお金は有効に使わせていただきますと、蘭子は胸の内で父にぺこりと頭を下げた。

 さてと、どうしよう。蘭子はショッピングモールのエントランスで煌びやかな店内を眺めまわした。またブランド物の食器でも買う? それとも本当に美味しいものでも食べに行く? うーん、どちらも代わり映えしない。手の込んだお料理、おしゃれな日用雑貨、明るく円満なファミリー、仲良しのママ友グループ、テーマパークに温泉旅行にキャンプ……。蘭子のインスタグラムには、それらの記事が、ローテーションで繰り返されているだけ。

 ふうと、ため息をついた。どれもこれもつまらない。リア充って疲れる。でも、やめられない。他に何も自分にはない。自分はここにいると手を上げ続けなければ価値がない……。

「おなかすいたよう」麻里亜にねだられ我に返る。そうだ、まずは腹ごしらえしよう。食べながら、どう充実させるかを考えよう。

蘭子は麻里亜の手を引いてフードコートへ行き、地元のソウルフード一杯三百二十円のラーメンと、たこ焼きと、麻里亜の好きなソフトクリームの食券を買って、空いているテーブル席についた。一応、こんなにつまらないことばかりだけれど、スマートフォンは片時も離さない。

と、インスタグラムのアイコンが、一件の新着記事を知らせた。蘭子はアプリをタップした。 

目に飛び込んできたのは、シンプルなウェデイングドレスを身に付けた芽衣子の姿だった。数人の子どもたちに囲まれて柔らかな微笑みを浮かべている。

――私、結婚したの! 彼は同じインストラクターをしていて、小さいけれどふたりのダンス教室も開いたわ。あのね、メジャーデビューの夢は諦めたんじゃないのよ。可愛らしい生徒たちが私の夢を叶えてくれると思うの。きっとね――

 蘭子は、写真に魅入った。芽衣子の満ち足りた表情、真実の日々。

天井を仰ぐと、そこには青空を模して白い雲や気球や虹などが描かれていた。

「麻里亜。これ食べたら、公園行ってブランコしようか」

「うん! ブランコ大好き!」

麻里亜が、口いっぱいにソフトクリームを頬張らせたまま瞳を輝かせた。蘭子は、スマートフォンを閉じた。

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