弥栄 菫(やえ⭐︎すみれ)

気ままにゆっくりと小説を書いています。怠け者のネコ科。 お酒が好き、映画が好き、歴史が…

弥栄 菫(やえ⭐︎すみれ)

気ままにゆっくりと小説を書いています。怠け者のネコ科。 お酒が好き、映画が好き、歴史が好き、海が好き、広く浅く好奇心旺盛。note🔰 「誰かが誰かのS]で、第31回中部ペンクラブ文学賞受賞。「中部ペンクラブ」「峠」同人。 下呂石シンポジウム「組曲 下呂石物語」ストーリー担当。

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小説 【誰かが誰かのS】①

 時々、私はとても凶暴になる。  それは、ソファの上で寝そべっているつーちゃんの、妙になまっちろい足の裏だったり、爪の甘皮を時間を掛け丁寧に整えているのが目に入ってきた時だったりした。  私の足の裏はつーちゃんより硬くて黒ずんでいたし、爪ごときはパチパチンと切ったらお終いでいいわけで、男のくせに、いつまでも指先に執着して弄っている姿を見ると心底イラついた。 「ちょっと、ゲームばっかりしてないでお茶碗洗ってよ」  私は洗濯物をハンガーに掛けながら、つーちゃんに命令した。が

    • 拝啓「月の雫さん」にご報告

       愛猫リボンが14歳8ヶ月で亡くなった。リボンは、インターネットの里親募集サイトの、数多の犬猫の写真の中から私が見初めた雌の保護猫だ。  亡くなる前年の暮れ、喘息のような咳をしていたので動物病院に連れて行った。一旦は快方に向かっていたが七草がゆの頃、呼びかけに応える声が弱々しくなりご飯も食べなくなったので再び受診、エコーとレントゲン検査の結果、胸に水が溜まっていて肺を圧迫していることがわかったのだった。    これでは呼吸が苦しいのは当然と、水を抜きステロイドの薬剤を打って

      • 小説【ブレインフォグの明日】了

        「静江さん、お昼ご飯いかがでしたか?」 「ごちそうさま、ありがとう」 「今日は、静江さんのお好きな物ばかりでしたね」  静江さんは、小さな白い頭を何回も下げる。 「ロビーに行かれますか? 午後から手品ショーがあるんですって」  そうねと、静江さんはゆっくり立ち上がって歩き出す。美那はロビーまで付き添った。  もうひとり、食事を終えた貞市さんを和室に案内する。貞市さんは新聞を読んだりお昼寝したりと、いつも静かに時間を過ごしているおじいちゃんだ。施設で新聞に目を通すのは貞市さん

        • 小説【ブレインフォグの明日】④

           ATMの挿入口から吐き出された通帳を開く。  残高五十四万三千四百五十二円。ヤバい。失業保険とお見舞金でなんとか食い繋いできたが、ちびちびと引き出すうちに、貯金もかなり減ってしまった。    待ったなしで支払わなければならないのは家賃だ。コロナを患ったためか、医者通いが以前に比べて多くて医療費も思いのほか嵩む。当然、節約に勤しむ。とりあえず水道光熱費の類は無駄をなくすこと。携帯電話は格安スマホに替えた。食品は夕方七時頃スーパーに行って、割引シールの張られた物を買う。   

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        小説 【誰かが誰かのS】①

          小説【ブレインフォグの明日】③

          「いやもう、このコロナ禍で業績が芳しくなくってね」  美那が聞きもしないのに、課長は開口一番そう言った。彼が話す度、ウレタンマスクがもごもごと動いて鼻が現れる。    私物を会社に取りに行ったついでに、お見舞金十万円と未消化の有給換算三万六千円が手渡された。課長が精いっぱいやらせてもらうと言っていた答えがこれだ。  案の定、退職金は出なかった。一年ごとの契約社員には一円もないのだ。改めて示された契約書にそう書かれていた。十万円の見舞金は、事業主の都合による退職ではなく自己都

          小説【ブレインフォグの明日】③

          小説【ブレインフォグの明日】②

           ワンルームの部屋中にゴミが散らかっていた。あちらにもこちらにも自身が撒き散らしたウイルスが付着している気がし、散らかった紙皿やティッシュやカップ麺の空容器など拾い集めゴミ袋に入れた。  次の朝、まだ夜も明けきらない薄暗い中を、美那は辺りを見回しこっそりと部屋を出た。  袋を両手に下げゴミ集積場に持っていく。コンテナの蓋を、音をたてないよう用心深く開けて袋を入れる。外階段を上がり部屋のドアの前に戻ったとき、美那は小さく悲鳴を上げた。 『コロナ バラマクナ!』  手書きで

          小説【ブレインフォグの明日】②

          小説【ブレインフォグの明日】①

           はじまりは、味覚の変化だった。  日曜日の朝。コーヒーカップに口を付けたとき香りがなかった。バタートーストは味のない高野豆腐を噛んでいるようだったし、口に入れたサラダはジャリジャリするだけで、咀嚼し飲み込むとドレッシングの油がただぬるりと口の中に残った。その後じわりと熱がでて、三八度四分まで上がるのに一時間とかからなかった。  まずい……、新型コロナ? なぜどうして? どうしよう、どうなるの? 美那の頭の中で思考が巡る。とりあえず解熱剤を飲んだ。冷凍庫からアイスノンを出

          小説【ブレインフォグの明日】①

          小説【せとでん通勤者~装う女~】

           土曜日の遅い午後の「せとでん」。私は、始発駅「尾張瀬戸」で乗車した。終点の「栄町」まで36分で完結する何処にも繋がらない単独の路線。      電車の窓に西日が強く差し込んでいる。  今日は、栄のオアシス21で友人と落ち合い、ぶらぶらと冷やかしにショップを覗いた後、居酒屋へとなだれ込む予定だ。  週末とあって、車内は買い物帰りの女性連れや、若いカップル、部活帰りの高校生などなど、さんざめく声で車内がほどよく緩んでいる。  それにしても暑い。扇子を取り出してパタパタ

          小説【せとでん通勤者~装う女~】

          小説【せとでん通勤者~修行する女~】

           これはもう、ほとんど修行? いや、先月の健康診断で貧血と分かってからは、修行はもはや苦行となっている。  そう自分に言い聞かせないと、AM8時48分名鉄瀬戸線「東大手」駅のこの階段を最後まで上がっていけない。  満員の通勤電車の人いきれからようやく解放され、ほっとする間もなく、次に待ちうけるのは地上までの長い階段。清水橋のお堀の下に「せとでん」が深く潜っていく地の底の湿ったホーム。エスカレーターもエレベーターもない。  何人も平等に、自力で地上に這い上がるしかないのだ

          小説【せとでん通勤者~修行する女~】

          小説【せとでん通勤者~妄想する女~】

           午前7時48分「大森金城学園前」駅。ドアが開くと女子大生の華やかな一団が下車していった。   入れ替わりに乗車してきたカレシとカノジョのふたり連れ。運よく空いた私のまん前の席にするりと並んで座った。  え、だるま? と思うほどにまん丸の身体つきのカノジョ。  嬉しそうに自分の脂肪で膨らんだ肩を、隣に座ったカレシの身体にクイクイと擦りつけながらおしゃべりが始まった。ふたりがステディーな関係かどうか確かめる術はないけれど、人目もはばからず、どこか自慢げに自分たちの親密さをア

          小説【せとでん通勤者~妄想する女~】

          小説【リア充に燃える日々】

           下ろしたてのコーヒーカップは、メインディッシュの皿の斜め右三十度の位置に移動させた。テーブルの中央の花瓶は、アシンメトリーになるように、左側奥にさりげなく寄せた。構図はこれでよし、窓からさす光もカーテンのはためく感じもこれでよし、いい感じ。 蘭子はおもむろにスマートフォンを構えると、テーブルの上の料理を連写した。 「ママ、まだ食べちゃだめなの? お腹空いたよう」 「麻里亜、もう少し待ってて。いい写真が撮れたらね、それから食べようね」  娘の麻里亜に言い聞かせて、蘭子

          小説【リア充に燃える日々】

          小説 【誰かが誰かのS】了

          「あ、摩子ちゃん親子だっ」  私は小さく叫んで、反射的につーちゃんの陰に隠れた。  教え子の摩子ちゃんとその母親は、スーパーのフードコートの、レジ最前列に立っていた。摩子ちゃんは、小さな手で母親のセーターの裾を握っている。私とつーちゃんは、その行列の最後尾に付いたところだった。 「挨拶しなくていいの?」  つーちゃんは、自分の背中にコバンザメみたいにくっついた私を振り返った。プライベートで園児親子に遭遇すると、なぜか私は決まってこそこそとしてしまう。 「しぃっ。いい

          小説 【誰かが誰かのS】了

          小説 【誰かが誰かのS】③

           結局、久志との関係は、彼の両親の干渉で解消したのだった。それは唐突に、実にあっけなく。久志に、この上もない良家のお嬢さまとの縁談が持ち上がったのだ。それもこれも、地元有力者としての父親の力の由縁だ。 「うちの息子のような子持ちの男と、いつまでも付き合っていてもねえ。先生にも将来がおありでしょうから」  アパートの薄暗い玄関で、久志の母親はそう言いながら、脱ぎっぱなしの私のサンダルやパンプスを、草履の先で脇に除けた。 「おかげさまで裕樹も、あちらの方にずいぶん懐いている

          小説 【誰かが誰かのS】③

          小説 【誰かが誰かのS】②

           私は、つーちゃんの前にも、男と同棲をしていたことがある。 久志と出会ったのは、保育園の夏祭りの夜だった。  彼が担当のクラスの園児、裕樹の父親だと、そのとき初めて認識したのだった。なぜなら、裕樹の祖母が朝夕の送迎をしていたからだ。久志親子は、さんざめく園庭の片隅で盆踊りの輪を遠巻きにし、ぼんやりと突っ立っていた。 「裕樹くんのお父さんですか。担任の高橋です。一緒に踊りませんか?」 「あ、どうも。れい子先生には、裕樹がいつもお世話になってます。自分、父親失格なんで、どう

          小説 【誰かが誰かのS】②