見出し画像

平等について考える

こんにちは

さとしです😃

このところは
色々勉強したり分析したりしており
note投稿が少し手薄になっていますが

引き続き発信していきますので
どうぞよろしくお願いいたします。

今日もnoteクリエイトを積み上げます。

1.平等とはなにか

「平等」とはなにか
最近よく考えます。

「平等」が何かについて
軽くイメージすると

「皆同じ」
「誰も困らない」
「皆幸せ」

こんなイメージでしょうか。

自分が困っているとき
誰も助けてくれないと
悲しいですよね。

逆に

困っている人がいれば
助けてあげたいと思います。

でも

それが当たり前と
思われても困ります。

最近身の回りで
起きることとして

仕事でスマホやパソコンの
あらゆるツールが
使えることが求められてきており

「この操作が分からないから
 教えてほしい」

と、聞かれることが増えました。

頼りにされることは
嬉しく思いますが

内容を聞いてみると
インターネットで検索をしたら
やり方が書いてあるので
そのとおりにやったら
解決した。

という質問が
非常に多いです。

これは
僕に聞く必要があっただろうか
代わりに検索して文章を読んだだけだ。

と、感じることが多いのです。

頼られることは嬉しいですが
あてにされるのは違うと感じます。

2.なぜできる側が損をしなければならない?

最近
よく疑問に思うことは

なぜできる側の立場が損をして
できない側の立場が保証されるのだろう。

ということです。

もちろん
僕ができないことは沢山あります。

何を与えてもらっているかを
忘れてはいけないと思っています。

しかし

僕が人に助けを求めるとき
以下のことを必ず意識しています。

まずは
自分で解決できないか考える。
分からなければその理由を
相手に説明できるようにする。

自分ではどうしようもないから
相手にお願いする。

つまり

基本的に
自立することを意識しています。

あるいは
それ相応の対価を払っています。

僕はこれを当然だと考えていて
相手の時間を無駄に奪うことを
申し訳ないことだと思いますし

自分がされても
相手にがっかりしてしまうからです。

反論を恐れずにお話すると
できる側の感覚としては
「こちらの知ったことではない」
ということが前提だと思うのです。

あくまでも
困っている人を助けているのです。

このような背景と合わせて
「平等」について考えると

できる人が豊かに生きられて
できない人が豊かに生きられないことが
ある種「平等」だと感じます。

3.社会主義と自由主義と格差

記事冒頭で
あまり深く考えずに
平等についてイメージすると

「皆同じ」
「誰も困らない」
「皆幸せ」

といったところかと
申しました。

これは
一見すると聞こえがよいですが

いわゆる社会主義的な考えで
歴史をみても不可能に近いと
感じます。

努力しない方が得だからです。
※機械が労働を代行できれば
話は別かもしれませんが。

そして
努力している人は
努力に相当した結果が得られる
束縛のない自由な世界を求めて
旅立っていくと思うからです。

最近

このことについても
よく考えます。

現代の変化に
ついていく努力をするかしないかで
生じる情報格差は

労働生産性の格差に
つながっていることを
日々実感しています。

そして
この変化についていけない層が
当たり前のようについていける層のリソースを
奪っていることを目にするたび

歪な構造だと
感じてしまいます。

誤解を恐れずに言うと
「不平等」だと感じるのです。

でも
仕方がないと思います。

僕も含めて
この変化のスピードに
完全についていくことは
不可能だと思いますし

これまで積み上がった常識がある方は
それが原因で
変化に対応することが
難しいなどの事情もあるでしょう。

4.平等とは機会を与えられていること

しかし

何が「平等」かを
考えれば考えるほど

変化についていける側が
ついていけない側に足並みを揃える理由が
ありません。

「そういう努力をしたからだ。」
と言われてしまえばそのとおりです。

ですから
機会が平等に与えられる
自由を大切にして努力することが
重要だと感じます。

自由のなかで
どうしても格差は発生してしまいますが
どうしようもなく生じた格差については
助けてあげたいと
思ってくれる方がいると思います。

しかし

怠惰で生じた格差については
機会が平等に与えられていたのに
自業自得であると思われてしまうかもしれないと
思っています。

強き者は
富も時間もより得られるので
どんどん強くなりますし

弱き者は
富も時間も得られないので
どんどん弱くなります。

本来は
これが「平等」です。

しかし

それでは
弱い者はどうなってしまうのだ。

ということで
救済が必要です。

だから
福祉は大切ですし
心強い存在だと思います。

ただし
これはあくまでも救済であって
「平等」ではなく
むしろ「不平等」な恩恵を
受けているとすら言えるかもしれません。

強き者が
どこに住んで
誰を相手に生きるかということは
本来その人の勝手です。

強き者が
誰を助けるべきか
相手を選ぶことも
その人の勝手です。

助ける側が「あてにされているだけだ」と感じたら
助ける理由がないでしょう。

このようなことを
発信できるだけでもありがたい
この現代に

あぐらをかいている場合では
ありません。

昨今の時代変化は
人類史でもまれに見る
スピード感かと思います。

今の当たり前は
ある日突然変わるかもしれません。

一人ひとり
しっかり考えて
行動していきましょう。




おわり



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?