「人類皆クズ」と私の友は言った。
私が悩んでいて電話をしてもらっていた時だった。どんどん話が逸れていて、なんの話でこの言葉が出てきたのか忘れてしまったけど。
友人が言うには、みんな人に親切にするけど、本当はその人のことを心から想った行動じゃなくて優しくしている自分が好きなだけ、と言うことだった。
いや、でも君は私の心底どうでもいい話を夜中に2時間も聞いてくれてるからクズじゃないよ、とは言えなかった。言いそびれてしまった。ごめん笑。
確かに、私も人を助ける仕事がしたいと思っているけど、それってなんでだろう。結局優しい自分が好きなのかしら。
単純に苦しい時に手を差し伸べてもらえるってすごいことだし、嬉しいから、私もそれを人にしてあげられたらな、と思っている。
本当にそれだけなのかな
と考えたけど、それしか出てこなかった。
電車で席を譲るのも、落ちていたゴミを拾うのも、全部偽善なのか、と言う話になった。友人は「そうだ」と言った。
そうなのか、本当に
私は周りの人に「あいついい人ぶってるよ」と思われるんじゃないか、ということ気にしてしまって、行動に移せないことが多い。電車とか道端で。
でも、絶対にそんなのウジウジ考えているより行動に移す方がすごい。
しかも自分だってそうしてもらったら嬉しいじゃん。
やっぱり人類皆クズっていうのは違うんじゃないかなぁと、ぼんやり考えながら過ごしていた。
そのせいか知らないけど、偽善とか、そういう言葉がよく目につくようになった。
一番はじめに見つけたのは、倫理の参考書、荀子の『性悪説』だった。性悪説とは、
人間は生まれながらに悪であるが、そんな人間がいいことをするのは自分の努力次第
というものである。なるほど、生まれながらに悪っていうのは友人と同じ意見だ。おもしろい。でもやっぱり良い行いをするというのは、それを修正しているってことだから、別に偽善ではないよねぇ。
次に目に入ったのは、ZOZOTOWNの前澤社長のツイッター。
前澤社長が、病気の男の子に寄付金をあげた、ということを非難する声があったらしい。
「その子にだけ寄付金を上げるのか」
「寄付がもらえない子もいて不公平だ」
という内容の。それに対して前澤社長は
目の前に命の危機に晒されている人がいたら手を差し伸べるでしょう
というようなツイートをしていた。
そうだよな、やっぱり目の前に困っている人がいたら助けたいって思うよなあ。
そして3つ目。『「国境なき医師団」を見に行く』という、いとうせいこうさんの本だ。
人を救うことを偽善と言う人は目の前で命が奪われるのを見たことがない人だ。
と言うようなことが書いてあったと思う。
確かにそうだな。私が人を救いたいと思うのは、言葉で具体的に長々と説明できなくてもいいか。その人が私の行動でちょっとでも元気になってほしい、そんな単純な気持ちでもいいな。
だから、人の目とか気にしないで良いことができるようになりたいね、まずは。
最後まで読んでくださってありがとうごさいます。またどこかで…。