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言葉にできない

こんばんは、夜中ですが私はさっき、沖縄戦の番組を見ていました。8月なので少し、戦争の話を…。

本当に…まとまっていない文ですが、許してください。何もまとまっていない状態で書くなという話ですが。

私たちは学校で戦争のことを勉強して、知っているつもりになるけれど、何も知らないし、何もわからないんだろうな、と思ってしまいます。

いくら考えても、調べても、どれほど辛いかは絶対わからない。けどわかるようなことは起きて欲しくないし、起こさないようにしないといけないのが私たちですね。

私は死ぬのが怖いし、戦争も怖いです。どちらを先にというのは忘れてしまいましたが、同じような時期だったと思います。中学2年生、私の友人が亡くなった時です。

突然の死を感じたからこそ、戦争が怖くなったのかもしれないし、他に理由があったかもしれません。

そこで、中学2年生の夏に、市の原爆勉強会で広島に行くことにしました。

夏の間2ヶ月間、話を聞いても、その場所に行っても、映像を見ても、写真を見ても、戦争の悲惨さを知っていくものの、どこか現実ではないような気がしている自分がいました。

ですが、それは現実で、その時私たちの前で話してくださっていた方は戦争によって親や兄弟や友人を亡くしていて、この場所もかつては焼け野原だったのです。

それから、今年は受験で沖縄に行きました。

受験とはいえ初めての沖縄、楽しみな自分もいました。普通に楽しかったです。観光もちょっとしました。

だからこそ、また余計に、さっき見た映像が現実でないような気がしてしまったのですが、これもまた現実で戦争によって、私が歩いた道も、泊まった場所でも人が亡くなっているんですね。

私が特に考えてしまうのは、ちょうど同い年頃の人たちのことです。

受験帰りに、ひめゆりの塔に行きました。当時16歳だったという女性の体験談、戦争に行くのが当然だと思っていたということ、一瞬で死んでいくたくさんの人たち。

私だったら耐えられるか?

何度も思いますが、何度も“耐えられない”という答えにたどり着きます。

ですが、その少女は耐えられる耐えられない問題ではなくて、その出来事に直面します。

私とその少女、何が違うんだろう

と考えますが、何も違わない。ただ学校で教わったことを使って国のために働いていた。特別、心が強かったわけでも死が怖くなかったわけでもなく。

そんなの…。

沖縄戦では、最後に自決するかたが多くいました。殺されるのが怖いから自分で自分を殺す。赤ちゃんを抱いたお母さんでも、です。

それほどの恐怖を私は今までに経験したことがないし、これからもないと思います。

やはり私は戦争の凄惨さの前に、言葉も出ずに立ち尽くすことしかできません。

私たちは戦争を知らない幸せな世代かもしれませんが、世界ではずっと争いが起きていますし、理不尽に亡くなっていく方が数えきれないほどいます。

絶望感に包まれ、家族を亡くして家も壊された、そんな人々がいると、私たちは分かっているようでわかっていないと思います。

そして直接助けることも、自分1人じゃ難しい。それでも、何もできなくても、想いを馳せることで、未来が1ミクロンくらい変わるかもしれないですよね。

それによって助かった1人の人が、子供を産んで新しい幸せが生まれるかもしれないからね。


まとまっていないのですが、以上です。





最後まで読んでくださってありがとうごさいます。またどこかで…。