毛並みが良くなるとうれしい!

自分はあらゆる猫のことを「にゃにゃ」と呼んでいる。
家の猫や外の猫に対して「きみ」や「あなた」の感じで「寒いねえにゃにゃ」や「にゃにゃはそこからどうするの」というふうに使う。

猫の二人称だ。
そうなると、猫の一人称もあるだろう。こうして予期せず、猫としての自我を理屈で手に入れる。冬毛を陽に当ててよりふわふわにする。
しかし猫としての一人称は特に思い浮かばない。猫は、一人称なんてなくても生きていけるのかもしれない。強かだから。


誕生日ってどのように過ごせばよいのだろう。人が誕生日を迎える様子を見かけると考えている。
お前は歳を重ねたのだと否応なく突きつけられているようで、比較的元気いっぱいだったときからすでにあまり好きではない。
他人の誕生日は多分うれしい。いてくれてありがとうと伝える機会の到来は喜ばしい。あなたをこんなに愛しているのだとわかってほしくなる。それに他人が喜んでいる様子はうれしい。

ところで、年齢と老いはイコールで考えない方がよいと思う。かくいう自分も気を抜くとそうやって考えてしまうので、気をつけないといけない。
年齢でわかることなど運良く生き延びた期間であり、その人に対してなんらかの予測を立てる場合の指標であるから、あまり主観的に見ない方がよろしい。

気づいたのだが、さてはこの辺に自分の誕生日を良く思うきっかけがあるな。「誕生日おめでとう」の「おめでとう」は「運良く生きてておめでとう!」の「おめでとう」である。そういえばとあるゲームのキャラクターも、主人公のことをそうやって祝ってくれるのである。
生き延びるのって難しいもんな。そう思うと少し、自分の誕生日もなんだか祝いに相応しい気がしてくるのではないだろうか。

運良く生きてておめでとう自分。
身の丈にあった感じで、丁度よくうれしいだろうか。

ひとつが微妙に解決したところで、もうひとつ解決に持ち込みたいことがある。先に言った「老い」についてだ。自分は老いていくのが恐ろしくて仕方ないため、まだ若いうちにどうにかして老いを肯定的に捉えておきたいのだ。
老いるのを悲観しているうちに若い身体で遊べ、というのも一理あるが、マインドセットの更新は生きる上でなにより重要なことだと思っているので譲れない。

譲れなかったところで、その方法がわかっておらずとっても愚昧なので、賢い人は教えてください。わからない皆さん、お互いなんとかやっていきましょう。

生きるもの全てに等しく訪れるはずなのに、どうして否定的な見方しかないのだろうか。おかしくないですか?
じゃあなんとかして上手いこと受け入れるための良い誤魔化しを考えようぜ!も見たことない。
老いの悪魔に負ける。自分に美しく老いる自信が全くないからだろうか。

とりあえず、猫の一人称を考えることなどでなんとか誤魔化して生きていくしかない。
毛づくろいをして気分を落ち着けて、鳥を見つけたら尻尾を振ろうっと。