今夜

はじめまして。どういうことだと思いますか?

今夜

はじめまして。どういうことだと思いますか?

最近の記事

命日

昨日は命日だった。 墓はニ年前に行ったきりだ。 死んだ場所にも一度も行っていない。 何度か行こうとしたが、いや行こうとしていないのかもな、とにかく結局行っていないから、たまにGoogleマップの登録地点を眺めている。 今年もガーベラが供えられたとさっき連絡が来た。 自分は毎日その人のことを考えているし、生者のための世界であるというスタンスを崩したくないという変な矜持のために、こういう日に特別何をすればいいのかわからない。 相手が死者の場合、祈りという行為は自分のために

    • 光差す記憶

      昔、教会に通っていた期間がある。 小学生の時で、あんまり何もわかっていないまま、友達に誘われて通っていた。 その子は家がみなクリスチャンで、家族ぐるみで熱心に活動していたのが子供の私には羨ましかった。 うちは家族ぐるみで何かに熱心に取り組むということがなかったからだ。よくあるような簡単な理由だ。 自分は何もわかっていないなりに、その教会のことが好ましかった。その教会に通う人々のコミュニティに通底している根拠のない(彼らにとっての根拠はもちろん主の存在であるのでこの言い方は正

      • 瞼の皮膚の裏には肉塊が潜んでいる!

        フィクションの肉塊は本当だったんだ、と思う。 私は具合が悪いときのことはそんなに嫌いではない。 具合が悪いというのは身体的に、が第一条件だ。 抗うような祈るような気持ちで目を閉じる。 そういうときには何が見えるだろうか。 私の瞼の裏にはそのときに身体にも精神にも影響が最悪であろうイメージが次々と浮かぶ。そのときに悪いだろうと判断されたものの中で選りすぐりの最悪が提供されるのだ。 緊張しているときにそれは顕著になる。家でじっとしているときよりは不特定多数が空間を共にしてい

        • 魂がくすんでしまったゆえ

          先日病院に行った。 主治医に「これからどこに行けばよいのかわかりません」と言って「そうでしょうね」と返してもらった。 人間はどこに行けばよいとかはない。そこに行ってしまったが最後、そのよさは自分で見い出すものなのである。 絵を描こうとした。 絵を描くのは好きだから、機嫌がいいと描きたくなる。 描こうとした、というのは描き方がわからなくなってやめたからだ。 何かを存在させるために道を進んでいくイメージが描画にはあって、それが面白くて好きなのだが、線を引いた途端完成系が見えなく

          ものと出会い直す

          ものとの出会い直しについて書く。 なんというか、自分はそのような精神の経験が多いが、なかなかまとめて考えることがなく、良い機会だ!と思ったから書く。 料理への欲求が少し前から高まっているのだが、この度エプロンとまた出会い直すこととなった。これはもう5度目くらいの出会い直しである。 私は料理や食事から心が離れている期間とその反動のように興味の矛先がむく期間があり(悲しいことに前者の方が長い)、心が離れている期間の離れっぷりは凄まじいものなのでエプロンの持つ要素ことをほぼ確実に

          ものと出会い直す

          毛並みが良くなるとうれしい!

          自分はあらゆる猫のことを「にゃにゃ」と呼んでいる。 家の猫や外の猫に対して「きみ」や「あなた」の感じで「寒いねえにゃにゃ」や「にゃにゃはそこからどうするの」というふうに使う。 猫の二人称だ。 そうなると、猫の一人称もあるだろう。こうして予期せず、猫としての自我を理屈で手に入れる。冬毛を陽に当ててよりふわふわにする。 しかし猫としての一人称は特に思い浮かばない。猫は、一人称なんてなくても生きていけるのかもしれない。強かだから。 誕生日ってどのように過ごせばよいのだろう。人が

          毛並みが良くなるとうれしい!

          ごきげん

          ごきげんなとき、自分が光っている感じがする。光っている感じがするし、他の光にも敏感になる。これが余裕というものなのかしら。これが一日まるっと寝込んだあとならではの余裕でなければいいのだが。 こういうときは場所を移して何か作業をするに限る。一緒に住む人間が好きな猫には悪いが、家だと息が詰まってしまうからだ。 突然だが、私の住んでいる家には遺品が半分くらいと私物が半分くらいある。この前のゴミ出しのときに、故人の櫛を捨てた。使っているところがありありと思い出せるので捨てづらかっ

          ごきげん

          爆音ショパン

          ひょっとするもう知っているかもしれないんですけど、完全におしまいになった。 小学二年生のとき6×7の答えが言えなくて泣いたことなどを思い出し、そのときとまったく同じ気持ちになっている。緊張して全部忘れたので、家で覚えてきた時間などは全部無駄になった。せっかく覚えたのに! 悔しい!悔しい!!!悔しいのに努力もできないから死ぬ以外の解決法がなくて口を引き結んで黙っている!! 話が変わるが、最近はずっと車の中でかける音楽をショパンにしている。ちょっと煩いくらいまで音量を上げる。

          爆音ショパン

          月が欠け、こぼれいくらの乱が起こる

          月が影に覆われるところを一緒にみませんか、という素敵なお誘いをいただいていたのを思い出して、ファミレスで友人に連絡を入れた。昼には別の友人と月蝕の話をしたため、その友人にも声をかけ、お茶会も兼ねて三人で夜空を眺めることになった。 私は寒気を完全に恐れていたので、外套と帽子とマフラーを身につけた。スキー場に向かうときの出立ちと同じだ。 田んぼの入り口で三人でひたすら月を見上げた。私は何の影が月を覆っていくのかわからず、月を隠す相手がデカすぎて怖いと頻りに言っていたら「それは

          月が欠け、こぼれいくらの乱が起こる

          泉をそそがせて

          元気がないと本が読めなくなるが、元気すぎても本が読めなくなる。 元気すぎると、というのは、文章を理解はできるが、単語のひとつや台詞回しにいちいちエウレカ!というような気持ちにさせられ、風呂場を飛び出し、そのとき感じた感情や思い出した情景をどこでもよいから書きつけておきたくなってしまう、ということだ。 それが学術書や参考書であったらあとで手帳にでもまとめればいいでしょ、続きを読みなさいと理性が諭してくれるのでまだよい。口を尖らせたエウレカは脳の隅にしずしずと移動する。 でも

          泉をそそがせて

          フューという生物に乗る夢

          LEGOのコマ撮りアニメ映画の制作現場であるその丘では、現地の遊牧民が、脚の細い、馬みたいな動物を乗りこなしていた。 湿った砂漠のような、ぽつぽつと草むらがある高原という印象だった。 映画はコマ撮りのため、コマとコマの間で動かすブロック以外は動かさないことが大切だ。だからその動物の異様に(ハイヒールのヒール部分のように!)細い脚は、現場の維持が必要とされる緻密な作業において役立っているという。 すごいなあと眺めていると、いつのまにかメディアリテラシーの授業が始まった。 どうや

          フューという生物に乗る夢

          違う世界のこと

           「牛乳を買いに行こう」という海外のノベルゲームの概要を少し前に知った。それで思い出したことがある。  たしか4-12歳のころ、壁や物を指でトントントンと3回叩かないといけない(頭の中ではそれに合わせてリズムを刻む)というルールを決めてしまい、急いでる時でもそのルールを思い出したらその場から離れられなかった。 それなら3回さっさと叩けば良いじゃないかと思うのだが、厄介だったのは、3回叩くことを3回する→3回叩くことを3回することを3回する→3回することを3回することを3回

          違う世界のこと

          二本柳くんへ

          二本柳くん この前の君の手紙が出てきて久々に筆をとってみた。 先日は互いに羽目を外し過ぎてしまったね。二条橋での大騒ぎ、あれは大変よかったが反省している。 君がいっしょに酒を飲めるまでになるとは思っていなかった。 病床の君が書いた手紙を受け取ったとき、僕は夢見る月を眺めながら倦くことなき〈tristesses〉を肴に酒瓶すべて飲み干してしまおうとたくらみをしていたくらいだ。 まさにフロべエルとボオドレエルのようではないと思わんかね。 送金はもうしない。戸を叩いてそのとぼ

          二本柳くんへ

          愛へ おこがましさより

          私がうまくいかない、というか得体が知れなくて恐怖している、恋愛および愛について。 (愛を語ることのおこがましさを書く間常に感じているので周りくどい。そして原始的な悩みなのですごく恥ずかしくそして多少不気味に感じているということは始めに書き添えておく) 私の恋愛(と思しき、一般的にはそうであろうもの)が駄目になる寸前に、自分の中で爆発する考えをまとめてみる。 ・そもそもとして親愛と性欲を一緒の対象に抱くのは怖すぎ ・相手にはその二つを抱ける(社会的に可能な)相手が“恋人協

          愛へ おこがましさより

          カフェにて

          初対面の人が好きだ。 私のことをよく知らないので。

          カフェにて

          NOTE

          noteへ書き付けるのはこれが初めてです。 記念すべく… とはいえ、だいたいわたしが何かものを書きたくなるのは感情がどこかしらの角に触れている時なので、少し嬉しいような、少し残念なような 一番は、穏やかなときに、例えば永住する渡り鳥を見たときにコミカルな気持ちをもって書けるくらいになりたいなあ、と思っています。 なぜか新品のノートに記帳するときみたいに緊張している。 いずれこれを見返したわたしが、共感でも情けなさでも成長でもなんでも、何か感じられるよう祈りつつ。