僕の宿毛高校物語エピソード2【彼らと過ごした2年間】

当時の宿毛高校男子バレーボール部の置かれていた状況について少し説明をしておきたいと思います。

まず、宿毛市は東京から公共交通機関で行くことができる市で最も遠いランキング全国第2位。
※全国1位はこの度赴任することになった清水

校区の中学校に男子バレー部は0
※全員素人

練習試合ができる高校まで車で2時間
※今は違います

ということで、当時僕は日本で1番境遇の悪いバレー部だと思っていました。

そこからのスタートです。

今でこそ、少しは有名になった宿毛高校ですが
当時は完全に無名。
練習試合の相手もいない。

それに加えて監督である僕はバレーボールを誰かに指導をしてもらった経験もない。

全てが手探りの状態でした。

必死に勉強しました。

しかし、がんばっただけで勝てるほどバレーボールは簡単な競技ではありません。

着任当時は3年生はおらず2年生ばかりだったので、彼らとは2年間同じチームで戦いました。
なので、同一チームで言えば1番長く過ごしたチームプレーです。

2年間がんばった結果、



1度も勝つことはできませんでした。

試合が終わった後の集合で、1番に泣いていたのは1番生意気だったセッターでした。
2年間キャプテンをして、僕に1番怒られたエースも泣いていました。
そして、僕も泣きました。

勝たせてあげられなくてごめん。

あれから12年、

当時生意気だったセッターは、今も生意気です。僕の作ったジュニアバレーボールチームの小学生のコーチをしています。

1番怒られたキャプテンは、僕の作ったジュニアバレーボールチームの中学生のコーチをしています。

1番長く過ごした彼らがいたから、
1度も勝つことができなかった彼らがいたから、

今もこうして僕はバレーボールをしています。

今、改めて言います。

ありがとう。

今日はここまで。

次回予告
エピソード3【たった1人のキャプテン】




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