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#151『本多作左衛門』童門冬二

 誰だっけ…と思いながら読み、「ああ、あのエピソードの人か」と思い出した。とてもじっくりしっかり書かれているので、これでもう彼のことを忘れることはあるまい。
 この本多作左衛門という男。徳川家康に仕えた戦国武将だが、主君が天下を取る頃にはお払い箱にされてしまった。なぜか? 状況の変化により、彼の長所が短所に変わってしまったからである。
 彼は何も変わらなかった。ただ状況が変わったのだ。
 彼は愚直な男、誠実で忠実な男だった。曲がったことは大嫌いで主君のために全てを捧げた。だから妥協が出来なかった。
 家康はある時点で秀吉の軍門に下る。それから彼が天下を収めるまで、家康は秀吉に対して低姿勢や服従のポーズ、我慢、妥協をしなければならなかった。その駆け引きに作左衛門は耐えられなかった。「なぜ殿はそんな惨めなことをするのか!情けない!」という訳である。
 この真っ直ぐな気骨のために、ある時期までは家康に非常に頼りにされたが、後に彼は秀吉をイラつかせる存在になってしまう。「おまえの親分の親分である俺に服従せぬか」と秀吉は当然思うが、「俺の親分は家康さまであってあなたではない」と言い切ってしまうのだから、これでは世渡りは上手くできない。
 彼自身が世渡りできないなら彼だけの問題で終わるが、その責任は家康が取らされてしまうから、結局家康は作左衛門を左遷せざるを得なかった。

 以上がだいたいの話であるが、これに似たことは私たちの人生でも実によく起きる。例えば私は二度離婚したが、やっぱりそれも「ある時期までは助けられたが、ある時期からは重荷になった」とか、「ある時期までは許せたが、ある時期からは許せなくなった」とか、そういうことで、だいたい、相手の性質は実は大して変わっていない。状況の変化が相手と自分の違いを浮き彫りにしたことが大きい。
 人生ってこういうことを繰り返すよなあと思った。共に変わっていければ良いのだが。例えば作左衛門の場合、「もう状況が前のように単純ではなく複雑だから、おまえも変わってくれや」と言われて「そうですね、殿」と言えれば良かったのだけれど、「なぜですか、殿。俺のやり方は武士の正論であるはずです」から動けなかった。
 左遷された作左衛門も気の毒だが、かつて深く信頼していた作左衛門も左遷せねばならなかった家康も辛かったことと思う。こうして人は出会いと別れを繰り返す。
 ただ、変わり身が速く世渡りが上手な人間だけがいれば良いのかと言ったら多分そうでもない。こういう頑固で融通の利かない人間が、縁の下で何かを支えていることもある――たとえそのために後で苦しむことになったとしても、である。

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