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水をタダにしよう

「日本人は水と安全をタダと思っている」

「日本人とユダヤ人(1970年)」で、イザヤ・ベンダサン氏が指摘してから50年以上たった。もちろん「水」と「安全」はタダだというのは比喩であるが。時が過ぎ、今それをタダ同然だと思っている人はいないだろう。それどころか、金がかかりすぎるのだ。

小さいころは、田舎では井戸水を生活水につかっていた。そう、テレビで見る時代モノのように。桶の水をつるべでひっぱりあげるところは少なく、キコキコと手押しポンプを使って汲み上げるのがほとんどだった。

町に行けば水道があった。蛇口をひねれば水が出る。楽だった。水質を管理し滅菌処理がされているので井戸水よりは安全だ。それを考えればタダ同然だったかもしれない。

「日本人とユダヤ人」が発表された1970年ころ、日本の水道普及率はまだ80%だった。1960年代は60%、1950年代は30%にすぎなかった(厚労省:水道の基本統計による)。現在、水道の普及率は98%以上である。

上水道菅の法定耐用年数は40年だ。それをはるかに過ぎた設備が大半である。耐震菅に代えることが必要だし、古い浄水設備は品質向上のための更新がせまっている。そう、「水」に金がかかるのだ。水道代が今後2-3倍になるという自治体もでてきた。なかには、赤字の水道事業を放り出して民間に委託するコンセッションを選ぶところもある。

ベンダサンの、「水」はタダ(同然)だという指摘を改めて考えてみよう。世界の非常識だといわれるのは、他国が真似のできないところなのだ。それが日本のとびぬけて良いところなのだ。

「ふるさと納税」というのがある。地方の税収を補い地域活性化のために「寄附」をという。返礼品競争が、なにか本末転倒のようにも思えて賛成ではなかった。が、これを水道事業に使えばいい。

シャケで、ホタテで、熟成肉で。原産地の枠をはめるという。それなら返礼品を水にすればいい。寄付金を募って水道のインフラ整備を今やっておけば、40年以上はもつ。その間、寄付者に旨い水を返礼し続ければいい。「安全」な水がいつも届くという「安心」もつけて。

「水をタダ」にしよう。

こんな良い国は他にはない。