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「sowhat」を冒頭につけてみた

sowhat:
いいたいことを書いておく。こうしないと、書いているうちにだんだん横みちにそれて、ちがう方向にいってしまう。結論がぶれないように。これは、普段の会話、意見交換も同じことだ。

本文:
noteを書くときは、言いたいことをまずメモっておく。2~3行、かんたんに。それを、sowhatとタイトルをつけて冒頭におく。本文を書きながら、ときどき見返す。こうしないと、横道にそれてちがう方向にいっていしまう。短文を書くのってむずかしいですね。

アップした原稿をみなおす機会があって、いくつか読み直してみると、なにをいいたかったのか、最初と最後がはなれているのがありました。書きながら気をつけているつもりなんですが、途中で考えが変わっているのでしょうね。つまり、軸がいいかげん。

話をするときも同じです。しっかりと自分の意見をもちとおすのは、むずかしいものです。自信のないときは、途中で相手の意見などに歩みよりがちになるし、いつのまにかそれが自分の意見になりかわっている。まことにいいかげんで、日和見的なことになってしまう。池内紀さんによると、これってトシヨリのクセらしいですが。

新聞の切り抜きは毎日やってます。これも、何日かあとになって、スクラップした目的がわからないことがある。共感や意見があってのことのはずなのに、そのときの気づきを書いておけば忘れないのに。

で、結論は、
sowhat:
をつけることです。それをときどき見返しながら、かいたり、話したり、読んだりする。これをつづければ、すこしはましになるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。