「短小」でない人に「短小」の気持ちはわからない
「コンプレックスは喰いものにされる」
辛辣な言葉ですが、これは事実でしょう。
現に青年雑誌の裏面は、その手の広告で溢れかえっています。
コンプレックスとは、人生に影を落とす、忘れたくても忘れられない身体的特徴や精神的特徴であり、それを解消することが可能なのであれば、是が非でも解消したい対象のことです。
お金で解決できるのであれば、少々大金でも、興味を示す人が多いのではないでしょうか?
私もそのひとりです。(正確には、そうでした)
私はコンプレックスを解消したのではなく、そのコンプレックスを解決することが不可能だと諦め、人生も中年に差し掛かったタイミングで、受け入れることにしたのです。
結婚も私の中では大きなでき事でした。
これは、年齢や境遇によって変わってくることだと思いますので、努力でどうすることもできない感情だと認識していますが、
できることなら、同じような境遇の方が、金儲けのための手段にされるようなことがないように、筆を執っている次第です。
ギリギリ理解できる、許せると思える広告は、
私(広告主)も、そのコンプレックスを抱えていたことがあって、どうにか解消できないかと勉強し、努力し、とうとう解決策を見つけたので、その過程や方法を開示することを前提として、皆様へお金と交換で提供します。
こんな感じの広告でしょうか。
しかし、現実には、そのコンプレックスがある訳ではなく、我々の羞恥心を煽って、商品や技術を売りつけるもので溢れかえっています。
悲しいですが、それが現実です。
言わば、私たちはもてあそばれているのです。
「短小」の気持ちは、「短小」にしかわかりません。
それをどうか理解した上で、賢明な判断をなさってください。
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