見出し画像

突然歩きながら会話していると呂律が回らなくなり、「自分はしゃべれなくなること」が一番喪失感があることに気付けた

大病院に行って脳のCTを撮ってもらったんですよ。脳自体には異常はないということで、頭部の血管についてみてもらったと。

これが前回書いたnoteの範囲でして。
で普通に帰ってお出かけするまでにnote書いて投稿したんです。

今日はそこからの続きの話で。
CTを取るときに脳の血管を広げるおくすりを打って、その薬が抜けるのが48時間かかると言われていたんです。身体の不調が起こる可能性があるということも言われました。

しかし、部屋が寒いぐらいしか気になるポイントがあまりなくてですね。
特に異常はないということで、レストランで食事して帰ってきたんですよ。
会計まで結構待たされましたが。

で、その夜に予定があってラーメンを食べて帰るというものですね。
その検査が終わってから5時間くらい経過していたんですが、お店を出て2人で歩きながら会話をしていると呂律がまわっていない感じになったんですね。

それをネタにして喋ろうとしてもまた呂律が回らない。

あ、やべえ。
脳の病気ってことで喋れなくなった?

このときに非常に表現しにくい不安感を感じてしまいました。
猛烈な喪失感というか。
単語でぶつ切りだとしゃべれるんですが。

「オデ、オマエ、マルカジリ」

ぐらいなら言えると思いますが、人間らしい会話が歩きながらだと難しくなっていました。

完全に足を止めた状態で会話をするとちゃんと会話ができたので安心しましたが、これは今後続くことなのか一過性なのかもかなり不安に感じました。

言葉を読み上げようと思ってしゃべることはとりあえずできたのですが、雰囲気で会話を進めることができない。黙っちゃうか、単語で喋るぐらいしかできない。

まあ、そんなに歩きながらとか喋る機会はあまりないのでその点は問題ないのですが「もし喋れなくなったら」と思うと恐怖を感じました。

視界のほうもそれぐらい不安感があっても良さそうなのに、そこにはさほど不安感はありませんでした。見えなくなったら障害者手帳持って障害年金もらうだけとしか考えてなかったので。

ただ、喋れなくなったらというのは孤独感をかなり強めるものでした。
この経験から

「自分はどうやらなにかをしゃべりたいタイプの人間のようだ」

という自覚が生まれました。
特にコンテンツは無いんですけど、それが問題なんですが、とりあえず感じたことを喋るとか思っていることを喋るということができるとよいのかなと感じます。

TikToKに自分が生成した動画をエンドレスで流しながら、雑談をするとかそういうスタイルもいいのかなって思い始めました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?