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【詩】どんな楽しみを未来に置いておこうか

しばらく楽しみに置いていたイベントが終わった。すると妙にぽっかりした気分になる。

「何を楽しみに生きればいいんだろうか」

素でそんなことを考えていたが、かと言って何か楽しいイベントを自分で用意するつもりにもなれなかった。

楽しいというのは人に紐づいていることが多い。単にイベントが面白いというのもあるが、この人となら楽しいかもという予感が働いたりする。

今の私の環境ではその「人」に会うことが難しいロケーションになっている。家族以外とコミュニティが無いような感じだ。

家族というコミュニティも悪く無いのだが、40代独身彼女無しおじさんとしては「このまま老いていくのみ」という感じがしてくる。

シェアハウスに住みたい欲求というのは、昨年突如として思い立ったものだ。それまでは他人と暮らすなんて考えられなかった。家族と過ごすのがギリって感じ。

一人暮らしをしていたときには実家に戻るなんて選択肢は頭に無かったと思う。どうしても追い込まれてようやく決断に至った。もちろん収入がないから、である。

幸運なことに、私でも働ける場所が見つかり、なんだかんだ日々を送っている。しかし在宅ワークなもので、基本的には1人で概念として職場がある感じだ。

これのよく無いところは、人と会っている感はないのである。映像を観ているだけ。

働いているので社会と接点は感じる。

だが、それ以外は皆無だ。
ただ、老夫婦と暮らすのみ。
なにか子孫を残しているわけでも無いのに、これが続くのは思うところがある。

結局のところ、人が楽しみを生み出し、人が悩みを生み出し、勝手にのたうちまわって一生を終えていくんだと感じる。

どんな楽しいことがあった日も家に帰る道すがらは寂しかったりもする。

やるべきことがいっぱいやって来ている時だと、そんなことに気を向ける余裕がない。でも余裕ができるとそんなことを考えている自分に気付く。

シェアハウス。
一回見学に行った。
ある意味で想像していた感じだったし、ある意味でリアルな人間関係が横たわっているとも感じた。

それをストレスと感じかどうか。

感じる、と思った。
と同時に、それでもやった方がいいとも感じた。

共同生活というものを体験しないと、なんの経験もないまま老人になる未来しかない。

いくら実家で金が貯まるとはいえ、不自由・不便・外部接触無くなるの3コンボは人生そのものの意味を問いたくなる。

もちろん人生は暇つぶしだ。
だからこそ、誰かと会って感情を共有できることが良いんじゃないか。

そんな風に今の僕は感じる。

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