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田中 浩「ホッブズ リヴァイアサンの哲学者」読書感想文

自宅と事務所(実家)を往復するたびに、Audibleを聴く習慣がある。

若い読者ではないが、今はこれを聴いていて、ギリシャからプラグマティズムまで来たところ。意外と知らない名前が点在しているし、名前しか知らなかった哲学者の研究の概要や、歴史的な位置を知ることができる。


万人が蛮人に

最近、あまり見ないように気をつけているつもりでも、常識の底が抜けたような事件や事故の話題が目につく。

知り合いからも、都会では往来に様子のおかしい人が増えたとか、トラブル相手の嫌がらせがヒドイとか、そういう話題を聞くことが増えた。

日本全体が困窮し始めている? PV至上主義が良識や倫理を度外視した影響? 原因はわからないけど、とにかくこれまでのモラルが通用しない人たちが増えているのだとしたら、どう自分たちの身を守ったり、仲間をサポートしたらいいのだろうか。

それで、こうした万人が蛮人と化す状態のことを、なんか…高校の倫理の授業で…言っていた歴史上の人物がいなかったっけ?と思っていたら、冒頭の「若い読者のための哲学史」にも出てきたトマス・ホッブズを思い出した。

この人がホッブズさんではない

ただ、代表作の「リヴァイアサン」は文庫でも上下巻に分かれる大作で、いきなり原典にあたって一人で読破できる自信もない。

そこで、地元の帯広市図書館で関連書籍を探したところ、薄めで読みやすそうな本を発見。前哨戦としてまずこれを読むことにした。

御長寿ホッブズ

まずびっくりしたのが、ホッブズは早産で生まれたにもかかわらず大柄で、当時としても珍しく91歳まで長生きしたということだった。

その長い生涯でホッブズは、イギリスの清教徒革命とパリへの亡命生活を経験し、また、ホッブズの死の10年後には名誉革命が起きている。

この二つの市民革命の時期に、大きな影響力を発揮したのがホッブズ…高校の授業の遠い記憶がおぼろげに浮かび上がってくる。

古典に明るいホッブズ

実はホッブズは若い頃からギリシャ哲学に明るく、トゥキュディデスの「歴史」のラテン語訳をしたり、亡命先のパリでも研究者と親しくしていたらしい。

さらに、この本の中では「ホッブズの政治哲学はエピクロスの影響を受けている」とあり、いやそんなん初めて聞いたわ!となった。

王党派vs議会派

ホッブズが最初に書いた政治学書「法の原理」は、当時激化していた、国王と議会の対立を解決しようとして書かれたものだったという。

その時点で、すでに「リヴァイアサン」の骨子ができていた。

  • 人間はそのままだと自然状態(万人の万人に対する闘争状態)である

  • 人間の「自己保存」本能を自然状態で達成するために、他人より優位になろうとすると際限がない

  • そこで、自己保存のために暴力などの手段を積極的に使う権利(自然権)をみんなで放棄する

  • そして全員と契約した、代表者が唯一の主権者となる

当時は王族に仕えていたホッブズがこれを発表し、また「法の原理」がまず王党派の中で回し読みされたことから、この考え方が「絶対王政の肯定」と見なされがちであり、もうそれは全然わかってない勘違いであるということが書かれていた。

ホッブズ誤解されがち

たしかに、字面だけを読むと、じゃあ王様が主権でいいじゃんとなる。

表紙もこれだし

しかし、当時のイギリスが、分離していた主権によって大モメしていたこと、さらにホッブズの哲学がエピクロスに依拠している。というのを知っていると、ちょっと見え方が変わってくる。

この本によると、王や市民の権利よりも、もっと根本的な権利というものに立脚した政治があるじゃないの、と第三の道を提案していたということらしい。

ただ、ホッブズの考え方が日本に来た時も、あるいは第一次世界大戦後のドイツなどでも、誤解されて(あるいは都合よく曲解されて)受け取られていたというので、歴史的な背景が相対化されてなお、いかようにも解釈できてしまう要素があるのかもしれない。

「リヴァイアサン」は強烈な教会批判だった

結局イギリス国内で対立をとめられなかったホッブズは、立場も危うくなったのでパリに亡命、それから書いた「リヴァイアサン」は「法の原理」を踏まえた上で、社会契約によって立ち上がる主権をおびやかす存在としての教会権力に対しても、まあ…かなりラジカルな批判を加えていたらしい。

そこでは「キリスト教派は全部『キリストを救世主とする』という一点のみで統一せい」と言ったり、

感覚と経験を基礎にする自然法思想は、神がわれわれの救い主の再来まで、われわれがこの世においてなんとか切り抜けていけるようにと、われわれの手中においたものである

「なんとか切り抜ける」って表現好き

つまり「救世主が来るまでは自然法の書が聖書みたいなもんだ」などと言っていたのだから、詳しくないけど教会側が相当怒ったのも、わかる気がする。

対立を無効化する根本原理を問うこと

さて、視点を現代に戻すと、ホッブズが生きていた当時は王党と市民の対立として表れていたものが、私たちの社会にもあるような気がしてくる。

自分が蛮人だと思っていた人たちは、これまでの権威としての常識やモラルを問う存在であり、彼らからすると、無法に眉をしかめている連中こそ、既得権益にすがる腐敗した王権に見えているのかもしれない。

立場の違う相手を忌避するのでも、屈服させるのでも、あるいは懐柔するのですらない別の道が、社会の成り立ちの根本に眠っているのではないか? そういうことを、ホッブズに触れたことで、考えることができるようになった。

あとは、個人的に政治哲学は全然触れてこなかった分野だけど、かなり楽しむことができたのが発見だった。哲学史のような一本の線を引くことには、理解を深める以前の、興味関心を拡張する機能があるのかもしれない。


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