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「日本一」目指して熊本行ってきた② 道草小景 番外編 ~八代市、美里町~

裁判ライター兼、観光ライターの「普通」です。

今回の記事では、裁判所の撮影で熊本県に行ったので、それと一緒に行った観光の様子をお届けしたいと思います。

ただ、この旅行話は、裁判所と同じくYouTubeで動画化しているため、
根幹は説明しますが、動画では触れなかった点や、もしくはより深掘りする形で、内容を差別化していければと思っています。
この記事単発では、少し話の繋がりや詳細に欠けると感じてしまっては申し訳ありません。

よろしければ、以下2つの動画や前回の記事などもご覧ください。
今回は、八代市、美里町となります。

まずは八代の裁判所の撮影を終えてからの話。

裁判や旅行の話をすることが多いですが、実はそれとは同等くらいに好きなのは「野球」。特に高校野球にはそれ以上に目がないのです。

という訳で最初に向かったのは、秀岳館高校。八代の裁判所から徒歩で15分ほどでしょうか。
熊本県の強豪校として有名で、つい最近、甲子園にも4季連続出場、3季連続ベスト4という素晴らしい結果を残したことでも記憶に新しいです。

ソフトバンクで大活躍した松中選手は秀岳館(当時は八代第一高)の出身校ですし、その3季連続出場した代から計3人がプロ野球選手となっています。
これはたまたまなのですが、関東住まいだった私が初めて実際に甲子園球場に高校野球を観戦した試合がこの秀岳館高校と常総学院の試合でした。2001年のことでした。


その秀岳館高校から徒歩5分ほどのところには、

県立八代東高校があります。
ここは秀岳館高校ほど有名ではありませんが、強豪が多い熊本県の中でも2000年代に1回甲子園の出場がありますし、プロ野球選手を数名輩出しています。

その選手群は知らない人ばかりだったのですが、Wikipediaを辿っていたらその中で「柏原純一」という選手を見つけました。名前を聞いてピンと来る方もいるんでしょうね。
この人は1988年に引退しているので僕は知らなくて当然なのですが、現役時代はオールスターで4番を張るくらいの名選手だったようです。しかもYouTubeをやっておられて、今をときめくBIG BOSSと対談などもしていました。
これだからWikipedia数珠つなぎはやめられないんだ。


そんな野球が盛んな八代だからこその施設として、

新八代駅下車徒歩10分

松中信彦スポーツミュージアム(残念ながら撮影日は休館)と

有佐駅徒歩15分

秋山幸二ギャラリーに行ってきました。秋山の方は正式には八代市ではなく隣の八代郡氷川町らしいのですが。

ソフトバンクで監督を務めていますので、ソフトバンクの印象は強いかもしれませんが、私にとっての秋山といえばやっぱり西武時代です。

今見ても痺れるメンツです。

ただ疑問なのは、これくらいの歳だと私はまだ10歳に満たないんですよね。野球を自身で始めてもいないし、今ほどパリーグが注目されていたわけでもないし。

まぁ多少の思い出補正が入っていることは否めませんが、辻、秋山、清原、デストラーデ、石毛、伊東といった並びはプロ野球ファンであれば、生唾ものでしょう。


さて野球の話が長くなってしまいましたが、今回の目玉といっていいでしょう、
美里町にあります日本一の石段・釈迦院御坂遊歩道にチャレンジしていきます。

この日本一の石段・釈迦院御坂遊歩道は3,333段もあり、2位の山形県羽黒山にある2,446段を大きく引き離しています。抜きすぎです。

着手から完成まで8年を要したようで、その石段を作り上げるために日本国内の石はもちろん、中国、韓国、インド、旧ソ連、ブラジル、アメリカ、南アフリカなどからも取り寄せ、国際交流にも繋げていたとのこと。
ただ日本一を取りにいくだけでなく、こういう発想はホント見習いたいです。

美里町には電車が走っていないので、バスで向かいます。

それにしても、熊本のバスターミナルは立派でいつ来ても面白いです。

くまモンも建物の上で、数多くのバスの動向をチェックしています。

生まれ育った地から鉄道が近くを走っていたので、バスターミナルという文化にあまり馴染みがなく過ごしてきました。東京や大阪生まれの方などは特にそういう方も多いのではないでしょうか。

ただ、パッと浮かぶのはこの熊本新潟などですが、JRの中心駅とはちょっと離れたところに繁華街などがあるところはこのバスターミナルが異様に充実しているということがよくあります。

僕も裁判所巡りをするようになると、
やはりそれらが建っているのはそのエリアの中心ですから自然とバスターミナルの充実さなどに目がいくようになりました。

あと、東京、大阪でもごついバスターミナルは、僕みたいな日本の地名好きにとっては電車では一発では行けない地区への行き先がたくさん見れて面白いです。

24番のりばから、甲佐行きのバスに乗ります。

朝7時の出発で早いですが、個人的にはこの時間の出発が後の乗り換えや、気候、チャレンジ後の時間の使い方的にちょうどいいかなと思っています。

ただ早すぎると、バスの窓口が開いていないんですよねぇ。開いていれば、ここで両替もお願いできるのに。

甲佐営業所で乗り換える麻生交通バスでは、車内で両替ができません。HPにもそう記載があります。
ですので、バスに乗車する前に「500円」を用意しておきましょう。

目指す先は「坂本石段前」バス停です。


私、長らく勘違いしていたのですが、
桜町バスターミナルから甲佐営業所を目指すので、甲佐町にある石段だと思っていたのですが、正確には「美里町」ですし、
最寄りのバス停が「坂本石段前」なので、坂本石段という名前かと思ったのですが、市のHPを見ると「日本一の石段(釈迦院御坂遊歩道3333段石段)」というのが正式のようですね。マジでバス停の名前は変えて欲しい。

そんな「坂本石段前」バス停でございます。「坂本」というのは地名のようです。

正直戸惑うのは、石段前と言っているのに、周囲を見渡してもそれっぽいものが見えないということ。

走ってきた道路に沿って数分登っていく必要があります。車で駆け付ける人が多いため、歩いている人の後ろについていけばいいやということも難しいので、ちゃんと自分で見つけましょう。

こういう形でリピーターを増やすという発想もとてもいいですね。

この効果として「やせたい」などとも書かれていますが、
やせたい思いで3,333段登る根性があるなら、どんなダイエットでも成功する気がしますがね。

こんな感じで自分でやってきたことが記録に残るのはテンションが上がるかもしれないですね。
それにしても、この年齢の高さは異常です。そして回数も、これ本当なのでしょうか。

例えば東の横綱「うそ八百山」さんは名前の時点で嘘の可能性もありますが、26年前に初めて登ったとして7,602回。これを26で割ると292/年となります。
1日1回と考えたらとも思いますが、これを26年間ほぼ毎日でようやくこの数字ですからね。もし、本当だとしたらそれは当然たたえるべきことと思うので、なんかインタビューとかどこかでしてくれないかな。

そんな訳で、目指す石段の入口がこちら。東京タワーとかみたいに、高さの全体像が見えてこないのもなかなかにいやらしいです。

もし挑戦したい方がいたら、ちゃんとこの注意書きを読んでくださいね。

一応、救急車両が来れる合流点みたいなのはあるみたいですけど、ちゃんと自分の体調と向き合いながら無理せず登りましょう。自分を無理に大きく見せない、もしくは他者を気遣えるということにも役立つかもしれませんね。

登った人間から言わせると、これをキツいと言っているのに無理に登らせる上司とかいたら、即辞めた方がいいですね、その会社。体力ない人にとっては命に関わります。

こんな感じで100段ごとに目安があるのは、作った人たちの気の遣いっぷりも感じるし、登ってる側としても目標になってすごくいいです。

逆に「死ぬ気で登ってるのに、まだ〇段~?」って嘆いている人もいましたけどね。

均一の高さを保たれた石段を一歩一歩登っていきます。

経験者の私からアドバイスすると、マジでゆっくりでいいです。同じペースを続けた方がいい。途中休み休みやるより、一気に行けた方が僕は楽だと感じたので、とにかく歩みを続けられるペースがいいと思う。

マジもんの「ウサギと亀」ですね。昔話というのは、ときどきホント的を射た教訓を語っているなと感じることがありぞっとします。2,100年代の昔話には、どんな話が人気なのでしょうか。今と同じ作品が軒を連ね続けるのかもしれませんね。

まずは1,000段を目指しましょう。

キリがいいですので、ここで勇気ある撤退も仕方なしかと思います。よく体と相談しましょう。

「栴檀(千段)の木」というダジャレもあなたの心を折りに来ます。体と精神の両方が伴っていないといけないという教えですね。いやぁタメになるなぁ。すげぇムカつくけど。

冒頭で高校野球の話をしたので言いますと、
一時期爆勝ちしていました駒大苫小牧高校の校歌の中に「栴檀林~、栴檀林」という箇所がありますね。

この知識がなかったら、この「栴檀(千段)」というダジャレには心が勝てなかった気がします。

登る決意をした方は、気を引き締めて頑張りましょう。

ところどころ、これくらいの椅子ならあります。僕は途中2回くらい休みましたかね。一度休んじゃうと、次立ちあがったときに感じる疲れで嫌になりそうだったので、出来る限り休憩は省きました。

「あなたに幸せを郵便貯金」
1歩1歩の積み立てが貯金に、みたいな思いなのでしょうか。ここに石碑を立てたのが、昭和63年のようなので、そのときはまさか民営化するだなんて思っていなかったでしょうね。

登っている人の多くは、今写真に写っているような学生が多かった気がします。

さすがに学生の部活動生は、僕みたいにずっと家でパソコンいじってるだけの男に抜かれるとかはありませんでしたが、ペース配分をミスったのか、相当にきつそうにしている子はいましたね。

朝青龍が学生時代に近くにあった「青龍寺」から命名したように、この階段で育ったスポーツ選手がいたら「御坂」の名前をつけてほしいですね。そうしたら、アニヲタもたくさん釣れて人気になると思います。

2,400段を超えたところにあるこの建物はなんだったのか、謎です。ルートはこの階段を登るのでなく、その下をくぐるのです。

今は登れないっぽいので用途はわかりませんが、上のちょっとした踊り場みたいなところでお茶でも楽しみながら、ひーひー言って登っている人を観覧するための小屋なのでしょうか。
うーむ、それはカイジの鉄骨渡りを見ているVIPよりかは悪趣味でもなく、楽しそうですね。

正確には何段くらいか忘れましたが、少なくとも3,000段を超えれば、その先にゴールが見えてきます。だいぶ端折っているようですが、さすがに途中の段数の感想はこと細やかに覚えてはいないです。


という訳で、到着したのですが、疲れすぎていたのでしょう、
頂上の写真が撮れていません!
これはやってしまいましたな。チャレンジ自体はちょうど1時間くらいでしたかね。

言い訳ではないですが、ちょっとした広場風なものがあるだけで、
「おめでとう!」の一言もないです。
それどころか、

次の目標を定めてくる始末…。人生は目標の連続ですね。

3,000段から頂上が見えると言いましたが、少なくとも僕の目の前でゴールした人はそのまま引き返しているように見えたので、ここを目指す人がどれほどいるのか。
それと「西の比叡」と言っていますが、比叡山も京都と滋賀の間ですからね、立派な西日本です。「ぽっくり寺」という名称も含めて、この看板はツッコミどころ満載です。

…まさか!3,333段登って精魂尽き果てずちゃんとツッコミで意識を保てるよう、こんな看板を立てたのでは?

だって、これから下りですからね、上りで完全燃焼されても困っちゃいます。

実際、この頂上で「やだやだ、もう下りたくない~」とかダダこねた人とかいるんでしょうかね。この頂上に登り切った人の表情を集めるために定点カメラを設置する費用のクラウドファンディングするというなら、僕は1万までなら出しますよ!


下りもなんなく終了。

YouTubeでも言いましたが、登った人にしかわからない3,333段あるあるとして、
「登りの人とすれ違うときの苦しんでる顔めっちゃ面白い」を提唱していきたいと思います。

スピードは下りの方がでますが、踏ん張る力が必要になるので、ふくらはぎとかは下りの方がきつかったですね。心肺は全然楽でしたけど。

大学まで部活をやっていましたが、心肺系のトレーニングは超嫌いなので、不安でしたがなんとかなりました。運動をやってきた人や日常的に動いている人ならペースを守れば大丈夫だと思います。

ただ、本当に調子こかない方がいいですね。早めに行ってペースを落とすと、そのままずるずる行きそう。


一定のペースを保ちながら歩いていると、余計なことを考えず体がそれに全集中していることに気付きます。なかなかそんな経験はないです。

生きていく中で、多くの雑音に囲まれるのは仕方がないことではありますが、この地で一心不乱に、他者を気にせず自分の体と向き合って集中できたというのは、とてもいい経験になったと思います。


その後は、

麻生バスで甲佐に戻る途中にあります「佐俣の湯」で下車。
まったりとお風呂に浸かり、改めて今回のチャレンジについて頭で何度も回想をし、

自身へのご褒美として、「あか牛のステーキ丼」をいただきました。
とても美味しかったのですが、、、
HPを見ていたら、諸事情で2022年4月よりしばらくこのメニューの販売は停止するようです。しっかり体を動かしたご褒美としてバッチリだったのに。


最後に、この御坂遊歩道チャレンジのためのタイムスケジュールなど

2021年12月の時刻表をもとに実施
07:00 桜町バスターミナル 出発
08:02 甲佐営業所     到着

08:13 甲佐        出発
08:44 坂本石段前     到着

日本一の石段に挑戦

11:06 坂本石段前     出発
11:22 佐俣の湯      到着

お湯に浸かったり、徒歩でいろいろ散策

12:55 小筵        出発
13:07 甲佐        到着

やっぱり人って心と体が連動しているなと感じます。

石段を登っている最中も紹介した通り、100段ずつ石碑が建っていればそれが目途となって、体は動きます。
そして、ただ3333段を登ったのでなく、日本一と銘打っているところの達成なので、充実感もあります。
日本一ということもあってか、遠方から来る人もいるようで、充分にぎわっていました。

冒頭に、松中、秋山の出身ということも書きましたが、それを聞けば地元の野球熱も高まるでしょう。


僕もまだまだ影響力は弱いですが、

こういう全国のパワーをもらって、皆さんに発信することで何かを感じ取っていただけるよう今後も頑張る次第です。

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