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断捨離とは「自分の未来を決める通過儀礼」

こんにちは、ひとみんです。

先日、わたしの近くでいちばんお若いお友達(二十歳くらいの方)から

「ひとみんさんのばんばんやっちゃう断捨離について知りたいです」

とリクエストをいただきました。

ありがたいことですね。
早速書いてみたいと思います。

わたしにとっての断捨離ってどんなものだろうな?と考えたとき
自分の未来を決める通過儀礼みたいなものかな?と思いました。

わたしは定期的に

半年後どうなっていたい?
一年後は?
三年後は?

と、よく自分に問いかけるのですが(変態)

断捨離するときはいつも

「半年後のわたしにコレ、必要?」
「一年後のわたしにコレ、ふさわしい?」

って自分の心に問いかけます。

ただ、問いかけといっても
断捨離作業中は気持ちも脳みそもスイッチオンしてるので

問いかけしても答えが出るまえに
すでに対象物がゴミ袋に入っている感じ。

判断軸は「未来の自分」

でも、なんだってそんなに未来の自分のことばっかり考えているのさ?

という問いには

それはもう、破壊と再生がシュミだから!?

と答えるしかない(笑)

わたしは西洋占星術的に太陽冥王星コンジャンクションのせいなのか
何もかもリセットしたくなるモードのときが定期的に来ます。

変化のない
安定のない日々があんまりすきじゃなくて

安定が数年続くともう

「ぜんぶリセットしたーーーーーーい!」

おそらく
破壊と再生のタイミングをいつも伺っているんですね・・・

コワwww

でも
この生き方はわたしには心地が良いだけで
みんながみんな断捨離をバンバンできるようになる必要はないと思うんです。

みんなそれぞれ、たいせつなものを抱えて生きています。

たいせつなものがそばにある安心感のなかでおだやかに暮らす
たいせつなものをたいせつにできる環境こそ宝物

そんなふうにも思います。

そしてわたしは

人に比べてたいせつなものが「データ化」されている割合が多い

それだけなんだと思います。

「たいせつなものはぜんぶGoogleドライブに入ってる」

これが口癖です。

たいせつなものはすぐに
有料契約しているGoogleドライブにしまいます。

国宝や文化財は国やしかるべき機関がしっかり守ってくれているし
本は国立国会図書館に行けば保管されているし
服は年齢や立場によって似合うものが変わるし
思い出はモノで持っててもしょうがないし

写真や書類をデータ化できる時代になって
ほんとよかったと思っています。

で、ここまで書いてみて思ったのですが

わたしは、数年で興味の対象や交友関係が変わっちゃうので
もってる必要のあるものや思い出が
人に比べたらべらぼうに少ないんだと思います。

だから
断捨離ができないよう、って悩んでいる人は、もしかすると
わたしみたいに、ばんばん捨てれる人にならなくてもいいかもしれないです。

なかなかいいまとめにならなかったんですけど
今いる喫茶店が閉まっちゃいそうんで
一旦ここで締めますね!

つづきはまた、こんど!

ひとみん

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