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35歳花嫁、コロナ禍で「リアル会場+WEB配信」結婚式を挙げるまで【前編】

完全なる私事ではございますが、昨年の2020年4月4日に結婚式を挙げました。(当時35歳初婚)

このコロナ禍での結婚式、悩みながら結婚式を決行した人、家族のみに変えた人、泣きながら延期した人、中止した人……周りでもいろんなケースを聞きます。

最終的に私たちは、1回目の緊急事態宣言の2日前に、
リアル会場+WEB配信で挙式する決断をした側です。

しかし当事者としてはどの選択肢を取っても
精神面でも金銭面でも、もう、マジで大変でして。

▼岡田悠さんと奇しくも同じ挙式日でした。名字も同じですね。

85名の招待客は、最終的に44名に。
今でこそ夫とは「いい式だったし、挙げれて本当によかった!」としょっちゅう振り返るけど、当時は葛藤だらけで。
毎日来る問い合わせや欠席連絡、行くも地獄引くも地獄、最後の1週間は考えすぎて毎日泣いてるわ眠れないわ胃痛で物もあんまり食べれないわで、期せずして2キロのダイエットに成功。

首都圏の緊急事態宣言も再延長となった今、不安な気持ちで結婚式を控えている方もたくさんいらっしゃると思います。
私たちも当時は気持ちを分かち合える人もおらず、
心の余裕もなくケンカも増え
「本当にこれでよかったのか?」を100回くらい自問自答しました。

そんな葛藤をコロナ禍、そして「自粛」要請に翻弄された一個人として、noteに残したいと思います。
当時の気持ちもなるべく生々しく書いていこうかと。

正解なんてないですし、あくまで私個人の、一事例の話です。
ただこの先結婚式を控える方や、悔しくも延期や中止の決断をされた方、そして結婚式に限らず、今コロナ影響で何かしらの不安を抱えていらっしゃる方などに、少しでも何か伝わるものがあればいいなと思います。

といっても前編は結婚式までの経緯の話なので、てっとり早く結婚式の葛藤やどう開催したのか知りたい方は、後編からご覧いただけましたら幸いです。

結婚式を挙げよう

もともと私は恋愛経験もほとんどなく、自分が結婚しない種類の人間だと思ってたし、強固に結婚式に憧れている訳でもなかった。(というか、できないと思ってた)

しかし、現夫と付き合いはじめて5ヶ月くらい経ったある日。
結婚の話なんて一度もしてこなかった段階で、
「俺たちの結婚式はさ〜、」と、ロマンチストの現夫から切り出される突然の妄想話。

「え??式する前提なの……?!(式挙げるの?+そもそも結婚するの?!)」と思わず口にしたところ、
「俺はな!新卒の頃!営業は顧客に”契約後の世界”を見せて受注するもんだって、習ったんだよ!!」などと独自の営業理論でまくしたてられた。

正式にプロポーズされたのはその1ヶ月後くらいでしたが
あれそうか、結婚するのか〜?とぼんやりその時思ったのと、
せっかく結婚するなら、経験として、結婚式は挙げてもいいかもな〜と思った。(夫の営業理論、なんだかんだで大成功)


しかし女35歳、今まで数えきれないほどの結婚式に出てきました。
ピーク時は毎週出席、2次会幹事も7回経験の大ベテランです。

年齢的にも「さあ人生で一番美しい私を見て〜!」って気持ちもなく。
ケーキ入刀して〜、ファーストバイトして〜、みたいな一連の流れにはやや飽きてきてしまったのが正直なところだし、
私の花嫁姿だけではコンテンツとして弱い。

挙げるからには、お世話になった人をみんな呼んで
「今までの結婚式で一番面白かったーー!」と言ってもらえるくらい凝った式にしたい。
でもって私は人生で大切なことは全てドラクエから学んできたので、ドラクエ風の式にしたい。いやでもキャラもの全面押し出しというよりはお洒落ドラクエにしたい。
夫もそこに乗っかってくれて「謎解き入れようぜ!」とか「緑が多くて開放感あるところがいい」「料理は美味しいの出したい」とか、どんどん要望が増えていく。

「緑が多くて開放感あって謎解きができてドラクエの世界観作り込めるほど自由度が高くお洒落で料理の美味しい式場」なんてどうやって探すねん、と思ったが、
ゼクシィなびさんに相談したら奇跡みたいにぴったりの式場を紹介してくれた。

式場もカフェもお花屋さんもあって、周辺が丸ごと農村の設定だという。え、めっちゃいいじゃん。
見学に行き、馬小屋をイメージした木造づくりの教会で「さあ、こちらが式場です!」と扉が開かれた瞬間、「♪パーン、パパパパン、パーン〜〜」とスピーカー大音量でドラクエの序曲が流され「うぉぉぉぉぉぉ!!!!!」と2人でテンションだだ上がり、その日のうちに契約にサインする大変に安い客であった。

挙式日は3月15日(サイコの日)にしようかなんて話もあったけど、
もし4月から転勤の人がいた場合にドタバタしてる時期だし、
何よりイギリスに住んでる姉と姪っ子が日本に帰ってきやすいのは春休みだよねと、式場の空きと合わせて4月4日にした。
完全なる後付けだけど4合わせで「幸せの日」でもあるらしい。いいじゃん。

この頃はコロナのコの字もなく、大変に平和であった。

父の話

招待客でまず悩ましかったのが、父を呼ぶかどうかだった。うちの両親は私が3歳の頃に別れており、父親は再婚して別の奥さんと暮らしている。
3〜5年スパンで全く会わない時期も何度かあったものの、ここ最近は年に何回か一緒に食事したり、姉の帰国時には姪っ子含めて一緒に遊びに行ったりなど、交流は生まれていた。

元新聞記者の父はなんというか変な人の部類で、ガンで胃を3分の2ほど切除したあとも、常にお酒でお腹を満たしているような人だ。
父と母含め、かつての家族全員で集まったことは記憶の限りでは私の小学校2〜3年くらいが最後で、その時も両親は揉めていた。父は私の家族の話をする時に「君の親戚は……」みたいな言い方をする。

一個人としては面白いと思っているし、血の繋がった「親」だとも思っているが、もう「家族」ではないのである。

そして病名は名言されないものの、このところ体調は明らかに良くなさそうだった。
結婚前に夫と父の家に遊びにいったときは「今度入院する」と言っており、結婚の報告をショートメールで奥さんに送ったあとも(父はネット隠者のため連絡が繋がらない)、「落ち着いたらまた4人で食事しよう」と話しつつ、父の熱が下がらないなどでなかなか実現しなかった。

結婚式+披露宴になると拘束時間も結構長い。
奥さんの付き添いがないとちょっと心配ではあるけど、
しかしさすがにうちの家族テーブルに奥さんを同席させる訳にはいかない。
父自身も25年ぶりにうちの親戚に1人投げ込まれても居心地悪いだろうし、呼ばない方がいいのかもしれない。

父の体調が回復し、食事会が実現したのは入籍から3ヶ月後。
結婚式、一応誘うだけ誘った方がいいのか?いやでも誘ったら負担か……?

さりげなく話のついでな感じで
「4月4日に結婚式挙げるんだ〜」と報告すると
父は「おおそうか、まあそっちはそっちで楽しくやってくれ」と言った。
夫も気にはしていたけど、その言葉が真意なのかどうかはちょっと測りかねた。

父からは「まああれだな、俺から君たちに言えるのは、もし離婚するなら早いうちにってことだけだな!」との有難いお言葉でその日の食事は締められ、新婚3ヶ月の我々としては「勉強になります!」としか言えなかった。

結局父は呼ばないことにした。
しかし夫の提案で、式場の試食会の時に父夫妻を呼んで、その日にドレスの試着もお願いして、ちょっと結婚式気分を味わってもらおうということになった。なかなか良い提案だと思った。

招待状の発送

2019年〜2020年の年末年始には、南米へ新婚旅行に行った。
リオ・デ・ジャネイロで夫が買って1ヶ月の携帯をズボンの後ろポケットに入れて2分でスられ、家に帰ってきたらエアコンと空気清浄機が18日間つけっぱなしだった。

▼イースター島にも行きました

中国で発生したという「新型コロナウイルス」が初めて報道されたのは、
この新婚旅行中だった。
ブラジルのホテルで携帯からニュースを見て、多少は話題にしたと思うが
SARSや新型インフルエンザが流行ったときの記憶もあり、まあそういうこともあるよね……程度にしか捉えていなかったと思う。

帰国してからは職場でゴシップ的にコロナが話題になることも多くなっていたが、「武漢」や「クルーズ船」など、遠く離れた一部で大変なことが起きている、怖いね、あんまり人混みには近づかないようにしないとね、くらいの感じで、この時は後々にここまで自分たちの生活に影響してくるなんて夢にも思わなかった。


そんなある日、父親から電話がかかってくる。

いつも奥さんとショートメールでやりとりしているので、
父親から直接電話がかかってくるのは相当珍しい。

私「どうしたの?」
父「思ったんだが……僕もほら親として、君の旦那のご両親に挨拶とか、そういうの、しておかなきゃいけないんじゃないか?君の旦那の実家に行けばいいのか?」

そんな世間的な常識を述べる人では全くないので、面食らう。
といっても両家顔合わせも実家へのご挨拶も、とっくに終わってしまってはいるのだが……

父「それで、君はいつ結婚式をするんだ??」

決して自分からは言わないが、
明らかに呼んで欲しそうな空気感がすごい。

私「えーーーと、じゃあ……結婚式来る?」
父「おおそうだな!僕も親として、挨拶とかそういうのしておかないと。」

「親として」とか生まれて初めて聞いたんじゃなかろうか……?
しかし、こうとも続ける。

父「ただ本当に行けるかどうかは直前にならないと分からなくて、4月となると……まあ、いろいろとあるんだよ。詳しくは今度話すよ」とのことだった。


父も行けるかどうか分からないのと、
いずれにしても当日は奥さんは来れないこともあり、
4人の式場での試食会はそのまま決行することにした。

1月19日、その日は夫の誕生日祝いも兼ねていた。
ドレス試着は16時半から、試食会は17時半から……と家でのんびりしていたら、12時45分くらいにプランナーさんから電話がかかってくる。

「今日、12時半集合ですが今どこにいらっしゃいます?!」

プランナーさんからのメールを見返すと、確かに12時半と書いてある。
家から式場は1時間半かかるので何をどうしたって間に合わない。私の脳内で何が起こったのかは分からない。

プランナーさんにも夫にも父夫妻にも平謝り、ドレス試着会はそのままに、試食会は丸々キャンセル料を支払った。
さすがに落ち込んでたら「まあそういうこともあるよ」と父から慰められた。

ドレスを試着して、みんなでなごやかに記念撮影。
そのまま、併設のカフェで夕飯を取ることにした。

夕飯を食べている途中、父がとても苦しそうに、胸を押さえた。
食事はほとんど進んでいなかった。

心配とかされたくない人であることはみんな分かってるから、誰も、気づかないフリをして、何も言わなかった。でも、
ああ、この人はもうあんまり長くないんだろうな……と思った。

人がいなくなるのは、怖い。とても怖い。
みんな、いなくならなければいいのに。

結局その日は「今度詳しく話すよ」と言われていたことは、
何も話されずに終わった。こっちも切り出さなかった。

結婚式の準備も、着々と進めていく。

「招待状から体験を作ろう」と
理系院卒の夫が謎解きを、文系の私がストーリーを自作。

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招待客それぞれが村を訪れる勇者の設定で、
ストーリーをヒントに折り紙を折って行くと、「勇者のしるし」が出てくる仕立てにした。

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久々の友達からも「これで合ってる??」「こんなの初めてでワクワクする!」と連絡が来たり、職場でもすれ違うと「何あれww」「ちゃんと折ったよ!」と声を掛けられて嬉しかった。

いろいろあるけれど、最初から気持ちは変わらない。
「来てよかった!」「今までで一番楽しい結婚式だった!」と
みんなから心から思ってもらえるような、思わずSNSシェアしたくなるような、楽しい式にしたいなと思った。


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