秋の陽は短し歩けよ乙女

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これは私が初めてひとりで京都という地に降り立ち出町柳界隈を歩いたときのお話です。

そもそものきっかけはタイトルと冒頭からお分かりいただける通り、好きな作家の一人である森見登美彦先生の作品の地を一黒髪の乙女として歩いてみたかったのです。

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その前に、出町柳の前に訪れた場所についても書きたいと思う。

大山崎山荘美術館

ひとり旅の幕開けは山登りから始まる。高校時代は入学式と卒業式にしか履かず、大学4年間で相棒とするハルタのローファーを早足でカツカツと鳴らし、すれ違うご婦人方から若いわね〜と言われるのをいい天気ですね〜と返す。上野にごった返す人に慄き、京都の山にまでモネを観に来ました、どうも富士山県の住人です。高校時代には年一回強歩大会という五合目までの富士登山イベントで皆勤賞を果たした上、大学2年生では山の上に位置する大学のために週三程度朝から一限ダッシュを決め込むという登山経験をもっています。

そんなローファー登山を15分ほどした後、美術館本館である洋風の建物に心奪われる。
イギリスの「チューダー様式」の建物はチューダー家の紋章である薔薇のような模様がいくつも施され、手をかけるべく私を待つドアノブからうっとりとしてしまう。煉瓦と梁に用いられる木の相性は不思議な感覚で、また窓ガラスは陽に当てられて虹色の光を放つ。魅力のありすぎる建築に、何度も息を呑んだ。

さて、お目当てのモネの作品をここで紹介するとしよう。

クロード・モネ 《アイリス》
(現物は撮影不可であるため、こちらはポストカードの写真)

常設展の展示室は厳かに靴の音が響くコンクリートの階段をただ下った先に在る。小さな部屋にはモネの睡蓮2枚とアイリス、シニャックなどたった6枚の西洋絵画のコレクションが並ぶ。そんな部屋に30分ほどひとり座り込む時間があった。それに、この展示室には足元にロープが張られていない。絵まで10センチほどの距離にまで近づいて、もちろん触れられないが、舐めるように筆致の細部の浮き上がりを確かめては、離れてその一筆が全体の一部であることに安堵する。

そういえば先週新宿でゴッホのアイリスに心奪われていた。そして翌週こうしてモネのアイリスとも邂逅する。ここにモネの睡蓮があることを記憶した上で私はここに来たのだが、モネのアイリスとここで出会えるとはゆめゆめ思ってもみなかった。こんな縁に結ばれたような出会い方をするひとなどきっと私しかいないだろうと心を弾ませる。

ここでゴッホのアイリスの写真も載せておく。
ゴッホのアイリスはアイリスという生き物で、
モネのアイリスは「生きている風」というフィルターが存在しているように思う。


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次の目的を果たすべく、美術館から下山した足を笑わせながら長いこと満員のバスに揺られる。出町柳駅で止まると思われたバスは知らぬ顔をして、川向かいの出町柳駅を離れた。新葵橋というところで私は慌ててバスを降りた。(地形を理解していない初見殺し!)心身の疲弊を感じながら私はどうにか鴨川を視界に入れると、途端足が軽くなったのがわかった。わたしは走った。川底が光っていて、白い鳥が飛んでいた。目の前を鴨が歩くのをみて、今日一番の高揚を歌った。

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すっかり元気になった足で駅前のジャズ喫茶と下鴨神社を後にすると、出町座という映画館と本屋とカフェを兼ねた店に足を運んだ。小一時間その夢のような店に滞在し、気になった本を次々と手に取り、「こうして出逢ったのも、何かの御縁」と3冊の本を新たに抱えてまた鴨川に向かう。
折坂悠太の詩集を開き彼の曲を川を眺めながら聴いていた。

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川の色がピンク色になる瞬間を、わたしは観た。デルタ付近では新たなこどもがやって来てはぴょんぴょんと石を飛んでいく。その川の光が白からピンク色になるのはほんの数分のことだった。
わたしは急いで階段を上がり橋の真ん中にまで走った。川はピンクと青がまばらに揺れていて、空はどこまでも続いているようだった。

わたしはこの景色のために、今日ここに来たのだ と、少しだけ泣きそうに鼻を詰まらせた。

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完璧な夕方に心を満たした私はお腹を鳴らした。
そういえば下鴨神社から川沿いを歩いて来たが、神出鬼没の猫ラーメンには出会えなかった。


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