見出し画像

#1 底辺からの這い上がり(自己紹介)

突然ですが、皆さまは目の前にこんな社会人が現れたらどう思いますか?
元国家公務員(国家公務員Ⅱ種試験合格、入社するも、その後大手複合会社へ)
保有資格/行政書士、宅建士、FP1級、cfp、簿記2級、英検2級、年金アドバイザー3級、コンプライアンスオフィサー

さて、どうですか?「ああ、勉強が好きで、そこそこの大学を卒業して頑張ってきたんだな」と思いませんか?

ですが、そこそこの大学どころか、大学受験の経験もなく、県下最下位の偏差値の農業高校を卒業し、そのまま車の製造関係の会社に入社。流れ作業で車の部品作りの業務を3か月したあと退職。その後、大手の消費者金融に入社。その会社も8か月で退職した人間。それが私です。

では、どうやって這い上がってきたか?

消費者金融に勤務していた1995年1月、阪神大震災が起こりました。
幸い私の住んでいた自宅はほとんど被害はなかったものの、勤務先(神戸)はかなり酷い状況に。せっかくいろんな事を積み上げても一瞬にして無くなったり、必死に受験勉強していた学生が若くして亡くなったりなどを目の当たりにしました。
でも、それでもそこからなんとか頑張って生きていこうとされてる多くの方々を見た時、自分は何か自信を持って頑張ってきた、形にしてきたものはあるだろうかと考えました。
そして、毎日をただ平凡に過ごしている自分はまだ19歳、今からでも何か本気になって取り組みたい!頑張ってきたものを形にしたい。そう思うようになりました。
今まで逃げてばかりいた勉強に正面から向き合い、大学に行きたい!と思うようにもなりました。
ですが、通っていた農業高校ですら、単位ギリギリでなんとか卒業できたというくらい、学校にも行かず遊んできた自分はいったいどのあたりから勉強をやり直せば大学受験できるくらいのレベルになるだろうか、と途方にくれていました。

その時、二つ上の兄がパンフレットを持ってきてくれました。
それは普段は神戸にある専門学校に通い、通信教育で近畿大学 法学部の卒業資格と宅建や行政書士といった資格の勉強をする専門学校でした。
この専門学校に入学試験とは名ばかりの「名前書いたら受かるのでは?」程度の試験を受け合格。
4年間通うことになりました。

専門学校のクラスは4年間同じクラスで、25人ほどいました。
私以外は大学受験に失敗して仕方なく、という人ばかり。浪人するのが嫌なのでとか、1浪、2浪したけど、大学受からなかったなど。
そのため、年齢は高校卒業したばかりの18歳〜20歳までで年齢が近いためすぐに親しくなりました。
ただ、他の友人達と違うのは社会人経験してること、大学を受験したことがなく、人生をやり直す気は少なくともこのクラスの仲では一番持っていたと思います。

1年生の時に宅建士、3年生では行政書士資格を取得し、自分でもやればできるという自信を持つことができました。
(勉強方法については別途掲載予定)

4年生の就職活動の際、せっかくの資格を活かしたいと、さまざま業種を受けては落ちていました。やはり通信教育生ということが分かるとマイナス要素しかないのか?
ただ、在学中に行政書士、宅建士を取得していることは大きく評価してもらい、就職氷河期の中、大手の不動産会社始め3社から内定をいただきました。

ですが、せっかく法律系の資格を取得したのに、法律の仕事ができないかとも考え始め、法律といえば裁判所、裁判所で働けないだろうか。と突拍子もないことを考え始めました。
そして裁判所事務官になれば裁判所で働けると考えた私はせっかくいただいた内定を全て辞退し、大学卒業を控えた4年生の1月から公務員試験の勉強を始めました。

こうして就職浪人確実、また、専門学校の先生方からも公務員試験は人気があり、相当難しいと反対されまくった試験に挑むことに。

裁判所事務官II種を受験しようと決めてから他の公務員試験も調べていくうち、国家II種試験というのもあることを知った私は、普通の大学生なら早い人は2年生から始める試験勉強を4年生の1月から開始。当然のように1年目の試験は記念受験のようなものになり裁判所事務官II種、国家II種、神戸市役所と全ての試験に落ちました。

さて、予想していたものの全く歯が立たなかった公務員試験。これからどうするか。
その時通っていた公務員試験予備校の先生に相談したところ、行政書士か宅建士の資格を活かし、うちの学校で講師をしてみないか?と。まさかのお声かけいただき、行政書士の非常勤講師をしながら公務員試験の勉強も続けることに。

しかし、講師経験もなく、法律知識もたいしてない私が非常勤とはいえ講師をすることになり、何度も模擬講義をしていただいた結果、教壇に立つことに。
この講師業、やってみると本当に楽しいものの、事前の予習が半端なく時間がかかり、たいして公務員試験の勉強ができないまま、受験しては落ちるということを3年間繰り返し。さすがに26歳にもなると、定職に就かなければと考え始め、非常勤から専任講師(正社員)にならないかという予備校からのお誘いに本気で考えました。

散々悩んだ末、公務員試験を選んだ私は試験の2か月前に予備校を退社し試験勉強に専念。そしてようやく国家II種試験の一次試験に合格しました。
(裁判所事務官II種は一次試験の筆記は合格したものの、二次試験の論文と面接で不合格)
国家II種試験は一次試験に合格すると、二時試験は人事院面接があります。

予備校の面接対策講座に申込み面接の練習を何度もしました。
面接練習は予備校講師2人が面接官役となり、履歴書を渡して想定される質問に受け答えするというもの。
しかし、私の履歴書を見た面接官は、履歴書を見るなり「えっ?」と私と履歴書を交互に何度も見ました。その反応に私は心の中で「ですよね〜」と思ってました。
面接官は隣の面接官にこれ見てと私の履歴書を渡すと、もう1人も同じ反応。そこから「こんなん初めて見た」「ほんま底辺から這い上がってきたって感じやな」と言われました。
割とストレートに言われるな、などと思いながらも、やっぱりこんな農業高校卒、大学も通信教育なんかで、よく受験しようと思ったな、などと思われているのでは、とも考えてました。

しかし、その後、面接官から信じられない言葉が。
「めっちゃ面白いやん!俺、人事担当ならこんなん絶対採用したい!」
私はこんなことを考えてくれる人もいるのだと思うと同時に、そういえば、大学4年の就職活動でも3社から内定もらったっけ。などと思い出してました。

おそらく今まで同じような(優秀な)履歴書ばかり見ていたであろう面接官にとって、私の履歴書は興味そのものという感じで、今までやってきたことを詳細に聞かれました。
この面接対策のおかげで、本番の人事院面接でも受け答えすることができ、なんとか二次試験も合格。

二次試験に合格すると、自分の行きたい省庁に自分で電話し、アボを取り面接。合格すると晴れてその省庁の職員として働けるというものです。
ここでも法務省を第一志望として各省庁を受験するも、年齢が高いことや通信生の大学(これはどうしてもあると思ってます)ということもあってか落ちまくり。
ですが、なんとか2つ内定をいただくことができ、27歳で入社することができました。

省庁名は記載できませんが、その会社で今も働き続けています。

こんな私だからこそ、定年退職後に行政書士として開業したいという思いがあり、働きながらfp1級、cfpなどの資格を取得し準備を進めています。

私なりの、底辺からの脱出には高校まで遊んでいた分、本当に苦労しました。
しかし、諦めたなければ必ず結果はついてきます!
このnoteが1人でも多くの方の励みになればと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?