ツルガキ太陽がいっぱい6

ツルでもガキでもわかる『太陽がいっぱい』の解説【決定版!】<vol.6>「浪花の海は恋しぐれ、ついてゆきます夫婦善哉」

まいど!ワイは鶴や!ツルヤナンボクや!

ええじゃろうだよ!

さて、いよいよ映画本編の解説に入るとしようか。

これまでの解説はこちら!

vol.1vol.2vol.3vol.4vol.5

ありがとう、ええじゃろう。まさかこんなに長くなるとは思わなかったな。映画の解説なのに、第6話まで映画本編の話が始まらないって凄いよね。

めっちゃ他人事やな、自分で書いといて。

まず映画『太陽がいっぱい』は、海上から飛行艇が飛び立つシーンから始まる。あほぼんフィリップがフランス娘マルジュとの愛の巣があるモンジベッロからローマへ向かうシーンだ。

しかし裏ストーリーでは違う意味を持つ。

なんやねん?

「この後は人間じゃなくて天界の人たちの話です」という意味だ。

えっ!そうなの!?

『太陽がいっぱい』の裏ストーリーでは、世界が3つの階層から構成されてるんだ。

①神の住む至高の世界

②天使や聖人の世界(楽園)

③地上界

の3つだね。

どういうこっちゃ!?

具体的に言うと、

①フィリップの実家があるサンフランシスコ、フィリップになりすましたトムが泊まるローマのホテル・エクセルシオール

②トムが泊まる安宿『楽園亭』、モンジベッロの貴族の館

③愛の巣、ヨット、その他の場所

となっている。

ほう

飛行艇のシーンの次に来るのは、ローマ市街のカフェのシーンだ。

アラン・ドロン演じるトム・リプリーは、サンフランシスコに住む大富豪のグリーンリーフ氏から、息子のフィリップをイタリアから連れ帰るように依頼されている。トムとフィリップは幼馴染みのようだ。トムはたぶんグリーンリーフ家の住み込み家政婦の子とかそんなところだろうね。ちなみに原作ではトムとフィリップには面識は無かった。

さて、あほぼんフィリップは恋人マルジュとの生活にハマっていて、まったく帰る気がない。「今すぐ帰らなくてもいいから、せめて手紙だけでも書いてくれ。でないと僕が困る」とトムに頼まれても空返事だ。

しかもトムのことを便利な小間使い呼ばわりしている。

トムは着ている服とか靴とか身なりや仕草をボンボン連中に馬鹿にされるんだけど、アラン・ドロンがカッコいいから、卑しい身分ってことを忘れちゃうよね。

確かにね。見る人が見たらわかるのかもしれないな。

さて、このシーンを裏ストーリー的に読むとこうなる。


ガブ「若旦はん、どうでっしゃろ。そろそろお戻りになっては…」

イエス「いやや。ワイは帰らへん」

ガブ「若旦はんがお戻りになりまへんと、ワテ、大旦那様に合わす顔ありまへんのや…」

イエス「知らんがな。ワイはマリアと離れとうないんや。地上の暮らしも気に入った」

ガブ「でもどないして暮らして行きますの?大旦那様からの援助も無うなったら…」

イエス「二人で小っちゃな教会でもやるわ。こう見えて信者もおるんやで。じゅうぶん食ってける。だからお前ひとりで帰ったらええ」

ガブ「そない殺生な…。それでは大旦那様の計画が…」

イエス「知らんがな。おやじが勝手に決めたことやろ。ワイはまだ地上で生きてたいんや」

ガブ「では、せめて手紙だけでも…」

神友「おうイエスやんけ!久しぶりやな!今週末にタオルミーナで神殿パーティーあるけど、来る?」

イエス「そりゃええな!そや、ガブ。この金でマリアへの土産を買うてきてくれ。最近ご機嫌ナナメやさかいな」

ガブ「へ、へい…」

神友「あいつ好かんわ。翼とか生えててダサいし」

イエス「まあそう言わんといて。うちの番頭なんやさかい。ワイの生まれるずっと前から親父に可愛がられてるんや。小言がうるさいけど、便利な伝書鳩やで…」


イエスと神友のあほぼんコンビ、ムカつくな。

あと、なんか夫婦善哉が入っとる。

確かにカフェシーンの人間関係やセリフは、こうも読めるよね。

そしてフィリップとトムはカフェを後にする。そして盲人から杖を買い、盲人ごっこを始める。盲人は聖書に頻出するね。足萎え同様に、いろんな例えに使われる。

そんでケッタイなオバハン捕まえて、2対1でセクハラ三昧や。抱きしめて、キスして、おっぱい揉んで。

あそこでのアラン・ドロンの演技は印象深いよね。女の抱き方、キスの仕方、おっぱいの揉み方、すべてがぎこちない。相手をうっとりさせるフィリップのテクとは対照的だ。まるで幼児がママに甘えるようなレベル。あんな童貞オーラに包まれたアラン・ドロンは他ではお目にかかれない。超レアだ。

だから僕は映画の最後のほうでハラハラしたよ。トムのあの技術で、はたしてマルジュを満足させることができるのかどうかを。もしマルジュがフィリップと比べてしまったら…って。

さすが、おかえもん。観点が違うな。

そして場面はモンジベッロの貴族の館に移る。ここは②の天使や聖人の世界(楽園)だったね。天界でもなく人間世界でもない。地上にある天界の出張所みたいなもんだ。

みんなバレエを踊ってるのは、そういうイメージだからだね

そうだね。だからよく見ると壁に天使たちの絵が描かれてる。ちなみにこの映画では、壁や床の模様にも色んな仕掛けがしてあるんだ。よーく観察すると、その絵や模様もストーリーになっている。

原作にある同性愛ドラマが描けんなったんで、監督のクレマンはんはそっちに徹底してこだわったんやな。

そうかもね。そして次の場面はフィリップとマルジュの愛の巣だ。

マルジュを演じるマリー・ラフォレが可愛いね。彼女のデビュー作だ。実に初々しい。歌うフランス娘ってのは前に説明したけど、聖フランシスコのお母さんから来てるんだったよね。イエスにとってマリアといえば、母の名であり、同時に愛した女の名でもある。

フィリップはマルジュにお土産のフラ・アンジェリコ画集を渡す。彼女は宗教画に関するレポートを作ってる最中だ。そして『受胎告知』の絵が出てくる。

二人はエッチなムードになり、トムは部屋を追い出される。そしてトムはフィリップの衣裳部屋へ行き、フィリップごっこを始める。

フィリップの服を着て、フィリップの真似をして、鏡の中の自分にキスするシーンやな。そんで、ムチを片手に仁王立ちして怒ってるフィリップの姿に気付いてビビるんや。

そうだね。有名なシーンだ。

そしてこれが原因で「二人は同性愛関係だ!しかもSM趣味なんだ!」って言われるようになってしまった。まあ原作ではそう読めるんだけど。

でも映画版では違うんだよね。

じゃあ、どうゆうこと?

あのシーンは、聖書の神殿清めの場面の引用なんだ。

いつも温厚なイエスはんが異常なまでに激怒して大暴れしたレアなシーンやな。

そう。エルサレムの神殿で生贄用の動物やお土産を売ってた商人たちに罵声を浴びせ、露店を星一徹ばりにひっくり返すんだよね。

「神聖な場所を汚すな!」って。

同じようなことフィリップはんも言っとったな。

そうだね。フィリップにとってこの愛の巣は神聖な場所だ。そこを汚されたんで激怒した。聖書でもイエスはムチを片手に威嚇するんだ。こんな風にね。

この「コスプレトムが鏡にキッス、鞭を片手にフィリップ激怒」のシーンを裏ストーリーで読むとこうなる。


ガブ「ええなあ若旦はんは…。あんだけ好き勝手しても、いずれ大店を継げるんやさかい…。ワテは身を粉にして数千年も奉公してきたんやで…。なのに血が繋がってないっちゅう理由だけで番頭止まりや…。大旦那様も、若旦はんが生まれる前は、いつかワテに店譲るとまで言うてくれとったやないけ…。なんでや…?ワテのどこがアカンのや?羽生えとるからか?ああ憎い。ワテのこの姿が憎い。ワテも若旦はんみたいになりたい。若旦はんみたいにオナゴといちゃつきたい。ああ、チューして!もっとチューして!…」

イエス「なにしとんねん!ワイのカッコして!超キモいわ!ここはワイとマリアの神聖な愛の巣やで!汚すなドあほ!はよいね!」

な、なるほど…

そして週末、フィリップとマルジュとトムの3人は、フィリップの船マルジュ号に乗ってタオルミナのパーティーへ向かう。

フィリップはトムにヨット操作の手伝いをさせようとするんだけど、トムのヘボさにイライラし出す。

なんでも器用にこなすトムのはずやったけどな。女と船の扱いは苦手なんか?ヘリや飛行機まで運転できるっちゅうのに。

天使だから飛ぶのは得意なんだよ。でも海と女は専門外だ。

さて食事の時に、フィリップはトムの魚の食べ方にもイライラする。ナイフの持ち方とか、骨の取り方とか。マルジュの前で、トムの出身階級の低さをバカにするんだね。ちなみにキリスト教で「魚」ってのはイエス・キリストのことを指す。

どうして?

ギリシャ語で「イエス・キリスト、神の子、救世主」って書いて、その頭文字を繋げると「魚」って単語になるんだよね。それで魚はイエス・キリストのシンボルになったんだ。だからフィリップがトムに魚の食べ方とかナイフの使い方を教えるのは、ある種の暗示になっている。

ようできてるな

さて、食欲が満たされると次は性欲だ。フィリップとマルジュは船室でエッチを始める。トムを船上に追い出してね。

身分を馬鹿にされ、エッチを見せつけられ、トムに怒りが沸々と湧き上がる。


ガブ「どうせワテは卑しい生まれや。ととさんの顔もかかさんの顔も知らんみなしごや。羽の生えたゲテモノや。だけど若旦はんにあそこまで言われる筋合いはない。ワテのほうが何十倍も何百倍も大旦那様のために働いてきたんや。ワテのおかげで世界はここまで来たんや。それがどうや?この仕打ちはなんなんや?あーイライラする!メシ食って、交わって、動物かアイツら!ギリシャやローマの汚らしい神々と同レベルやんけ!くっそ!ムカついてきた!ええい!揺らしたれ!面舵おっぱい!ちゃうちゃう、いっぱいや!」


マリア「きゃー!」

イエス「なんや、この揺れは!さてはガブの野郎…」


イエス「やい!ガブ公!番頭の分際でなんの真似や!ワイがお仕置きしたる!」

ガブ「ひええ…。堪忍しとくれやす…若旦はん…」


そして小舟で放置プレイの刑になるんだね。

そんでヨットと小舟を繋いでたロープが切れてもうて、プレイが危うくホンマの死刑になるとこだった…

そう。漂流したトムは、容赦なく照り付ける日差しの中で意識を失い、背中に火傷を負った。発見が遅れたら本当に死ぬところだった。

インテル入ってる…じゃなくて、イカロス入ってる!

そうだね。聖書とギリシャ神話って、結構共通する物語があるから。

さて、そんなトムをマルジュは優しく介抱する。火傷跡に薬を塗ってあげてね。これは聖書でベタニアやマグダラのマリアがイエスに香油を塗る場面に対応してる。キリストって言葉は、メシア、つまり香油を塗られし者って意味だ。

つまり裏ストーリーでは、ここでガブがフィリップに代わり選ばれし者になるってことを暗示している。

そんでマルジュとフィリップの仲もギクシャクし出すんよな。トムに対していちいち刺々しいし、あそこまでせえへんでも…って。

フィリップはどんどんイライラしてくる。マルジュがトムの肩を持つのが気に食わないんだ。挙句には、トムが選んだフラ・アンジェリコの画集に夢中になってることにもムカついてくる。

マルジュはトムがフィリップのコスプレして自分とのエッチを想像して興奮してる変態野郎だなんてこと知らんからな。

それをナイショにしててくれたフィリップは漢や。

いや、もしナンボクがトムみたいなことしてるのをオイラが目撃したとしても、誰にも言えないよ、怖くて。

ははは。さて、マルジュは船室でアンジェリコの宗教画についてのレポートを書き上げ、それをフィリップに読ませようとする。そしてフィリップのイライラは爆発するんだね。なぜならこの船マルジュ号は、フィリップにとってモンジベッロの部屋と並ぶ愛の巣、つまり神聖な場所だったんだ。いや、正確にいうと聖ではなく性なんだけど。

愛の巣にそない面倒なもん持ち込むなってことやな。

やりたいだけっちゅうことか(笑)

そんなフィリップの意識もマルジュは気付いてる。けど今まではそれを言えなかった。でもトムへの仕打ちへの同情心もあって、ついにフィリップに食って掛かる。それがフィリップの怒りに油を注ぐ。

そんで怒りの頂点に達したフィリップは、レポート用紙を海にばら撒くのか…

船も神聖な場所だとすると、これも神殿清めと同じってこと?

そうだ。裏ストーリーではイエス役であるフィリップに聖フランシスコの要素も入ってるって前に説明したよね。聖フランシスコは権威的なものや学問を嫌った。教団内で宗教学を禁止したんだ。「Stay foolish!バカになれ!」ってね。だからこんな感じになる。


イエス「そもそもなあ、ワイはこうゆうの好かんのや!」

マリア「あんた罰当たりやで、こんな有難いもんに対して…」

イエス「やかましいわ、おばはん!ワイは偶像崇拝はアカンてなんべんも言うたやろ!言葉と信仰の中だけに真実がある言うたはずやで!こんな絵ェが有難いわけあるか!ドあほ!こんなもん、ただの紙きれや!」

マリア「そないなこと言うたかて…。この絵めっちゃ素敵やんか。見て、この天使の羽。超キラキラや。うちもこんな羽ほしいわ」

イエス「天使の羽とか、お前はヤンキーか!メンヘラ女か!大阪のおばちゃんか!髪の毛紫か!」

マリア「ひどい…ひどい…」

イエス「ええい!こんなもん、こうしてやる!」

マリア「うち、これまであんたに尽くしてきた…。バカな女て陰口叩かれても耐えてきた…。それもこれも、あんたを世界一の男にするためや。でも、もうアカン。あんたとはやってかれへん…」


今度は春団治かいな

マルジュを途中の港で降ろし、船上はフィリップとトムの二人っきりになる。

そしていよいよ運命の瞬間がやって来るんだね。

そして、次回に続く。

ふふふ、よくわかったね。じゃあ、お別れの曲いってみようか。

でも、どっちにしようかな…

よし、こっちに決めた!

この歌もやっぱり裏ストーリーがあるのかな?

浮き草暮らしとか清貧思想とか、あやしくない?

背中が道しるべの男って、もしかしてイエスさんのことじゃない?

んなアホな!ええかげんにしいや


vol.7に続く…



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