ツルガキ太陽がいっぱい4

ツルでもガキでもわかる『太陽がいっぱい』の解説【決定版!】<vol.4>聖フランシスコと受胎告知の謎


さあ、第4回だ。

第1回は、映画と原作の違い

第2回は、原作にはあった同性愛描写が無くなった謎

第3回は、ディッキーがフィリップに改名された謎

そして今回は、サンフランシスコと受胎告知の謎だよ。

原作ではニューヨークやったよな。

マット・デイモン主演『リプリー』でも、そのまんまニューヨークやった。せやのになんで『太陽がいっぱい』でクレマンはんは、わざわざサンフランシスコにしたん?

ディッキー改めフィリップに、アッシジの聖フランシスコを重ね合わせるためだ。

ザビエル?

フランシスコ・ザビエルの名前も、この聖人にあやかって付けられたものだね。もともとフランシスコってのは「フランス人の子」って意味で、昔は人気がなかった名前なんだ。

北海道生まれの子に「どさん子」って付けるみたいな感じやな

でも聖フランシスコが大スターになったおかげで人気の名前になったんだ。だから「どさん子」ってアイドルが大ブレイクしたら、北海道の親たちはこぞって我が子を「どさん子」って名付けるかもしれない。

そんな北海道は嫌だ。

聖フランシスコはイタリアのアッシジで生まれた。

お父さんは裕福な毛織物商、お母さんは美しいフランス人だった。このお母さんが歌うフランスの歌を子守唄として彼は育ったんだ。

(゚∀゚)キタコレ!!

そう、ここからフィリップの恋人フランス娘マルジュのキャラクターが作られた。演じるのはマリー・ラフォレ。この映画でデビューした彼女は、シャンソン歌手としても活躍したね。

そして聖フランシスコは成長して青年になった。

しかし、とんでもない放蕩息子だったんだ。

なんやて!?聖人のくせに!?

聖人になる前だよ。いや、聖人になってからもだな…。

とにかく聖フランシスコは、放蕩三昧だったらしい。ローマなど都会に出かけては、悪友たちとつるんで散財の日々だ。父の仕事柄、最先端のファッションに詳しく、いつもイケてる服に身を包んでいた。さぞかし女にもモテたことだろう。

そういえば『太陽がいっぱい』では、服を着たり脱いだりするシーンが多いよね。なんか関係あるのかな…

よく気が付いたね、ええじゃろう!

関係あるどころじゃない。クレマン監督は映画に出てくる「服」に様々な意味を持たせている。

この映画の最重要アイテムは「服」なんだ。役者たちの表向きの演技が表ストーリー、「服」は裏ストーリーを語る役割になっている。そしてその二つのストーリーが『受胎告知』の絵に集約される。これが名匠クレマンが描いた『太陽がいっぱい』の設計図だ。

おお!

さて、放蕩三昧だった聖フランシスコの話に戻ろう。

ある時、彼は大病を患った。病気からは無事回復したんだけど、彼の中に大きな変化が生じていた。世界のすべてが虚しくなってしまったんだ。

あれだけ楽しかった放蕩の日々が、大好きだった歌や女も、すべてに何も感じられなくなってしまったんだ。

おとなになったんじゃないの?

まあ、そういう見方もある。

でも彼はとても不安になってしまってね。籠って瞑想したり、必死で理由を求めたんだ。そしてある日、ハンセン氏病患者を見かけた。当時は忌み嫌われていた存在だ。聖フランシスコも今までは彼らに近づこうとはしなかった。

でも、この時、彼は何かひらめいた。そしてハンセン氏病患者に近づいて、抱きしめ、接吻したんだ。

なんかあったな、似たようなシーンが

その瞬間、彼は天啓を受けた。それから彼は奉仕の道を進むことになる。

えらいな!

でも、その奉仕活動の財源は親の財産だった。父の目を盗んでは、商品の毛織物を横流ししてたんだ。

偉いんだか偉くないんだか、ようわからん奴っちゃな。

ワイは好きやけど。

父の怒りは頂点に達し、ついには絶縁宣言される。そこでフランシスコのとった行動が面白い。

おもむろに衣服を脱ぎだし裸になり、その服を丁重に父親にこう言いながら差し出したんだ。

「すべてをお返しします。これから私の父は、天の父だけとなります」

そうして彼は完全に出家した。彼の思想は「イエスの時代に帰れ」だ。当時イエスが送った生活をリアルに再現しようとしたんだ。食生活からファッションまでね。かなり厳しい清貧思想だ。

ほとんど原理主義やな

そして「LOVE&PEACE」というスローガンを掲げ、いつも歌を歌い、花や自然を愛し、権威的な学問や組織運営や服装を嫌い、シンプルでナチュラルに生きることを訴えた。

ヒッピーやんけ

そうだよ。だからサンフランシスコがヒッピー文化の中心地になったんだ。聖フランシスコの町だからね。

映画の中でフィリップがマルジュの研究にいちゃもんつけるのも、聖フランシスコの逸話から来ている。

彼は教団内で宗教学を学ぶことを禁止していたんだ。イエスの言葉だけが正しいとしていたからね。よけいな学問は堕落だと考えていたんだよ。

なるほどね。

フィリップの改名と出身地変更に、そんな意味があったなんて面白いな。よく考えたよね。

「サンフランシスコから来たフィリップとトム」という設定だけで、ここまで語れるんだ。ルネ・クレマン凄いよね。

おまえもな

ふふふ。

じゃあ『受胎告知』にいってみようか。

オイラこれ楽しみにしてたんだ!

宗教画の大家フラ・アンジェリコの1430年頃の作品だ。

大天使ガブリエルが処女マリアのもとへ現れ、神の子の受胎を告知しているところを描いたものだね。多くの画家たちに愛されたシーンだ。

映画の中で画集をめくるように絵が次々と映されるシーンがあるんだけど、その中の一枚だ。映画では一部分しか映されないけどね。クレマンはそうやってさりげなく物語の秘密を隠しておいた。

でも実は、もうひとつとんでもない仕掛けがあるんだけど、それは最後の最後に明かすとしよう。

気になるやんけ!

さて、最初にこの映画の裏ストーリーが「神と子と天使」の愛憎劇だって言ったよね。

脚本&監督のルネ・クレマンは、オモテウラ2つの物語が『受胎告知』の絵にすっぽり収まるように作り上げたんだ。

遠く離れたところにいる厳格な父、そこから逃避し女のもとに走る息子、それを連れ戻しに派遣された美青年、突然の事態を受け入れるしかない女…

てことは…

そう、

映画『太陽がいっぱい』は、「父なる神、子イエス、大天使ガブリエル、処女マリアの愛憎物語」なんだ。

ていうか、イエス・キリストとガブリエルが「神のお気に入りNo.1」の座をめぐって争う話なんだね。

なんでキリストと天使が争うの?

それはまた次回の講釈で。

それ仏教や



つづく…




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