ダンケルク後編タイトル

『ダンケルク』後編「ビートルズが好きなら絶対にダンケ観るべし!『TWO OF US』に隠された秘密とは!?」(究極のネタバレ?)

来たで、後編。

絶対に今回で終わらないよ。

100ダンケルクじゃなくて1万ダンケルクくらい賭けとけばよかった…

はっはっは。

僕はきっちりこの回に収めるよ。100ダンケルクは貰ったも同然。ダンケション。

前編をまだ読んでない方はこちらへどうぞ。

<ダンケルク鬼解剖・前編>

何度も言いますけど、このシリーズは全ておかえもんの独断と偏見で書かれていますので、これらが事実である確証は一切ございません…

しかもおかえもんはまだ『ダンケルク』を観てないので、全ては憶測というか妄想というか白昼夢だと思ったほうがいいかもしれません…

でも本人は「究極のネタバレ!鬼解剖!」と謳っているので、ひょっとするとマジでヤバイ可能性もあります…

信じるか信じないかは、あなた次第…

真っ新な状態で映画を観たい人は、ここで引き返したほうがいい。

一番のダンケお薦めコースは、映画を観てから本記事を読んで、そしてもう一回映画を観に行くって流れだ。

すると一度観たはずの映画が、全く違って見えてくるはず。

「俺はどんなネタバレをされても映画を楽しめるゾ!」と自負する剛の者は、このまま読み進んでもらって結構。

でもそうじゃない人は、ここで引き返したほうがいいかもしれない…



さあ、心は決まった?

準備はいいかな?

たぶんOK!

じゃあ出発だ!

IMAXもビックリの、究極のネタバレ体験の世界へ!


さて、前回は「ビートルズのハンブルグ時代が『ダンケルク』のキーだ!」って言ったとこで終わったね。

これがそのハンブルグ時代のビートルズと『ダンケルク』主要登場人物の相関関係を示したものだ。

ビートルズって5人組だったの?

しかもリンゴがいない…

せや。リンゴは後から入ったんや。他のメンバーと違ってリンゴは、昼の仕事も真面目にやっとったから、金回りがよくて車も乗り回しとった。社会経験が豊富やったさかい、年はそんな変わらんけど空気読めるしエゴも抑えられる。つまりオッサンぽかったんやな。トムハにも通じるものがある。

ベースのSTU(スチュ)とドラムのPETE(ピート)はレコードデビュー前のメンバーやったな。

確かそん頃のビートルズを描いた映画があったような…

『BACKBEAT』(邦題:バックビート)だね。

青春&音楽映画の傑作だ。

かわええな、シェリル・リー。ちょうど『ツインピークス』でブレイクした頃や。

ねえねえ…

他のダンケルク解説ブログと、ウチらのやってる内容が全然違うんだけど…

ここだけだよ…『LET IT BE』とか『BACKBEAT』とか紹介して「ポールがあの時こうやったのが戦闘機の空中バトルシーンになった!」とか「ジョージ・ハリスンの感電事件は超大事!」とか「シェリル・リー可愛い!」とか言ってるの…

Wikiにも書いてあるのとも全然違う…

ノーランは、本作に影響を与えた11本の映画を発表している
グリード(1924年) - エリッヒ・フォン・シュトロハイム監督
サンライズ(1927年) - F・W・ムルナウ監督
西部戦線異状なし(1930年) - ルイス・マイルストン監督
海外特派員(1940年) - アルフレッド・ヒッチコック監督
恐怖の報酬(1953年) - アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督
アルジェの戦い(1966年) - ジッロ・ポンテコルヴォ監督
ライアンの娘(1970年) - デヴィッド・リーン監督
エイリアン(1979年) - リドリー・スコット監督
炎のランナー(1981年) - ヒュー・ハドソン監督
スピード(1994年) - ヤン・デ・ボン監督
アンストッパブル(2010年) - トニー・スコット監督

ノークリは毎回こういうのを発表するんだ。

僕らを煙に巻くためにね。

えっ!?

じゃあこれは全部嘘ってこと?ダミーなの?

そんなことはないんだけどね。ちょっとしたアイデアのヒントを得たとか、その程度のことだ。物語や映画の本質とは別問題なんだよ。その本質を解き明かす目的で書かれたものが「天才ノーラン鬼解剖!」シリーズってわけだ。

オッサンの考える本質と世間一般が考える本質が一緒とは限らんけどな。

さて、さっそくキャラクター紹介にいこうか。

でもその前にビートルズのデビューまでの年表をざっくりと書いておこう。


1957年3月:ジョン・レノンがバンド「クオリーメン」を結成

同年7月:ポール・マッカートニーが「クオリーメン」を見てバンドに加入

同年?:「カスバ・コーヒー・クラブ」に出演。オーナーの息子ピート・ベストと出会う。

1958年2月:ポールがジョンにジョージ・ハリスンを紹介。ジョージが加入

1959年10月:バンド名を「ムーンドッグス」に改名

1960年1月:ジョンの親友スチュアート・サトクリフ(スチュ)がベーシストとして加入

同年4月:バンド名を「シルバービートルズ」に改名

同年夏:バックバンドとしてスコットランドツアー。スチュは「スチュアート・ド・スタール」というフランス風の芸名で活動

同年秋~:ドラムにピートを迎え、西ドイツのハンブルグへ出稼ぎ。同じく出稼ぎに来ていたリンゴ・スターと出会う

写真家志望のアストリッド・キルヒャー、画家&ベーシストのクラウス・フォアマンなど現地で出会ったドイツ人とも親交を深める。アストリットとスチュが交際開始。ポールとスチュが大喧嘩

同年末:17歳のジョージが就労年齢制限に抵触している事が発覚してイギリスへ強制送還。その直後には、宿舎にしている映画館の出火を理由にポールとピートも強制送還。ジョンも帰英し、スチュだけがしばらくハンブルグに残る

1961年1月:リバプールの「キャバーン・クラブ」のレギュラーバンドとなる

同年春~夏:2度目のハンブルグ巡業。プールから上がった時のスチュの濡れた髪型をアストリットが面白がり、他のメンバーも真似をして「モップヘア」が誕生。リーゼントにこだわるピートは拒否

同年夏:巡業終了後スチュが脱退。アストリットとの生活のためにスチュはハンブルグに残る

同年12月:ブライアン・エプスタインがマネージャーとなる

1962年1月:デッカレコードのオーディションを受けるも不合格

同年4月:3度目のハンブルグ巡業へ出発。「スタークラブ」への出演直前にスチュが死去。死因は喧嘩で頭を強く打ったことによる脳内出血

同年6月:ジョージ・マーティンによるEMIでのオーディション。デビュー決定

同年8月:ピートが解雇。後任にリンゴを迎える

同年10月:デビュー曲『LOVE ME DO』をリリース


以上、こんな流れになっている。

へえ!知らなかった!

ジョンとスチュは親友だったんだね!

そしてスチュだけ帰英せずにハンブルグに残ったんだ!

でもそのまま死んじゃうなんて可哀想…

ところで、ところどころ太字になってるのは、なんか意味あるの?

よく気付いてくれたね。

あれは全部『ビートルズ』と『ダンケルク』の関係を示すキーワードなんだよ。

人物対応図を見ると、

ジョン・レノン⇔トミー

ポール・マッカートニー⇔アレックス

ジョージ・ハリスン⇔ジョージ

ピート・ベスト⇔ピーター

スチュ⇔ギブソン

になってるよね。

ここにビートルズ年表の登場人物を加えるとこうなる

リンゴ・スター⇔ファリア―

「カスバ・コーヒー・クラブ」オーナー(ピートの父で元軍人)⇔「ムーンストーン号」のオーナーMr.ドーソン(ピーターの父で弟が軍人)

クラウス・フォアマン⇔ドイツ風の名前のオランダ人

たぶん他の人物も映画の中のキャラクターに要素が入れられていると思う。そこは観てみないと何とも言えないね。ビートルズのプロデューサーとして有名なジョージ・マーティンも、第二次世界大戦直前まで海軍航空部隊にいたみたいだし。

映画の中で「ハリケーン」って古い戦闘機の名前が出て来るんだけど、あれはスピットファイアが大量生産されるまでのイギリス軍の主力戦闘機のことなんだ。ジョージ・マーティンも乗っていたかもしれないね。

ちなみにクーパー社の創業者で、ミニ・クーパーの生みの親でもあるジョン・ニュートン・クーパーは、第二次世界大戦中に英空軍に所属し、戦闘機「ハリケーン」の計器の設計に携わったんだ。シリーズの第1回目で解説したね。

クラウス・フォアマンっちゅうドイツ人は、その後ビートルズのメンバーを長年サポートすることになるんやったな。アートディレクターやバンドメンバーとして。ダンケでも親切なキャラなんやろか?

そうみたいだよ。

ピート・ベストのことも話しておこう。彼のお母さんが万馬券当てて大金が入り、新しく買った家の一階を「コーヒー・ハウス」にするんだよね。サロンとかクラブみたいな感じだ。この夫婦は若いバンド連中の「お父さん・お母さん」みたいな存在になった。ちょっとしたパトロンだね。もちろん当時クオリーメンと名乗っていたビートルズの面々はその中の筆頭格だ。息子がドラムで参加していたから当然なんだけど。だからレコード会社との契約なんかも、ピートの家でピートの親同席で行われた。まあ、その後すぐにバンドを解雇されちゃうんだけど。

そうそう、ピートは髪型にこだわりがあってね。モップヘアを拒否したんだ。あんな汚らしい髪型は嫌だ!ってね。

映画の写真を見る限りでは、ピーターだけいつも髪型がキチッとしてるよね。たぶんピートだからかな。

映画観て、ピーターの髪型が乱れなかったら、そうなのかも…

船の名前「ムーンストーン」号って、どっかで聞いたことあるような気ィがするんやけど…

何やったかな…?

ふふふ。よく気付いたね。あとでゆっくり教えてあげる。

気になる…

ところでジョージ・ハリスンって一人だけ若いんだね…

「17歳」ってことがバレて、イギリスに強制送還されたんだ…

そうなんだ。そしてダンケのジョージも17歳…

ん?

前回、映画『LET IT BE』でのジョージの感電事故とポールの発言を紹介したよね。

「あれでジョージが死んでたら君たちクビだよ」

ってやつ。

ダンケでは、あのパロディ動画みたいにカツラは飛ばないけど、頭に重大な傷を負ってしまうらしいんだ。まるでスチュみたいにね。

おお!そこに繋がるのか!

スチュのことも話しておこう。

スチュことスチュアート・サトクリフはスコットランド人で、リバプールのアートスクールでジョンと知り合い、すぐに親友となった。ジョンはスチュの才能にやられてしまったそうだ。絵が天才的だったんだよね、スチュは。絵が高く売れたんで、その金でベースを買った。いや、買わされたんだね。ジョンがバンドへ入れたくて。

スチュはイケメンだったんで、女の子ファンをゲットするためでもあったらしい。

スチュは芸名をフランス風の「スチュアート・ド・スタール」とした。彼が敬愛する画家ニコラ・ド・スタールにあやかってね。ニコラ・ド・スタールはロシアからドイツ・ベルギーを経てパリへ移った画家で、そのままフランスで没したんだ。

ハンブルグでアストリッドと恋に落ちたスチュは、ポールと険悪になった。可愛いアストリッドをゲットしたスチュにムカついたとも、前からポールがジョンとスチュの仲を妬いていたとも、そもそもスチュがルックスだけでベースの腕がイマイチだったことにイラついてたとも、理由は諸説ある…

スチュについての詳しい話はこちらで。

ダンケでもアレックスとギブソンは仲悪いらしいやんけ…

ギブソンはイギリス人やのうて、フランス人やったから…

「トミーとアレックスとギブソン」の人間関係は、そっくりそのまま「ジョンとポールとスチュ」になっているだろうね。

ちなみにスチュが急死した後、彼のベースはクラウス・フォアマンに受け継がれたんだ。そしてクラウスはビートルズのメンバーを支え続けることになる。

ええハナシやな…

さて、そろそろ『LET IT BE』の曲にいこうか。

アルバム版の順に紹介しようかな。

てことで、まずは『トゥー・オブ・アス』だ。

歌ってくれるのは…

待てェ!

ワイお薦めの動画でドヤァ!

ビートルズカバー業界最強双子歌姫こと、モナリサ・ツインズや!

いてこましたれ!モナぁ!リサぁ!

MonaLisa Twins『TWO OF US』

なんて可愛らしい双子ちゃん!

くっそ~…

それならこっちは『ダンケルク』のピーターが歌うバージョンだ!

ピ-ター(トム・グリン=カーニー)

ぬァにィ!?

頼んだぞ、ピーター!

Jill Sargeant & Gordon Grajek『TWO OF US』

なんや!偽モンかい!

でも似てる!

てか、動画バトルしてる場合じゃないし!

こんなことやってるから、いつも終わらなくなるんだよ!

返す言葉も無い。

でもね、この曲は「ゲットバック・セッション」の中でジョンとポールにとって重要な意味をもっていたように、ダンケでも非常に重要な意味をもっているんだ。

だから二回聴くぐらいが…

チョウドイイ!

ショーンか!


もう100ダンケルクは貰ったようなもんだな…

さあ、歌詞にいくよ!

TWO OF US

作詞作曲:レノン=マッカートニー

日本語訳:おかえもん

<1番>

僕ら二人、目的も目標も無く彷徨ってる

誰かが必死で稼いだお金を浪費しながら

お前たちと私は、日曜の小旅行

まだ目的地には着いてない

なぜなら家に帰ることが目的の旅なんだ

さあ我が家へ帰ろう

<2番>

僕ら二人、言葉を送り合う

慎重に選んだ言葉だけ使って

お前たちと私はマッチに火をつける

扉に掛け金をしっかりかけてから

でもまだ目的地には着いてない

なぜなら家に帰ることが目的の旅なんだ

さあ我が家へ帰ろう

<Cメロ>

我々は同じ記憶を有する同胞なのだ

目の前に伸びるこの道や、目の前に広がる大海よりも

もっと長く、もっと偉大な記憶を…

<3番>

僕ら二人、レインコートを着て

太陽の下で、うずくまる

お前たちと私は新聞を追いかける

だけどあいつはもう帰って来ない

新しい我が家へと向かっているんだ

人生とは、我が家へと帰る旅

さあ帰ろう


「僕ら二人」「お前たちと私」「我々」と主語のニュアンスが微妙に違っとるな。

なんか深い理由でもあるんか?

鋭い!

それこそが…

天才クリストファー・ノーランがこの歌を映画『ダンケルク』の最重要曲に選んだ理由でもある!

ハァ!?

『TWO OF US』こそが、映画『ダンケルク』における物語の背骨になっている曲なんだ!

この曲が「ダンケのすべて」だと言ってもいいくらい!

毎度のことだけど、そこまで言うか!

ノークリはこの曲を、

「僕ら二人」の部分はトミーとアレックス

「お前たちと私」の部分はピーター、ジョージとMr.ドーソン

「我々」の部分は全ての英国人

という3つのパートに分けた。

この映画は何かと3つに分かれているね。しかしうまいところに着目したもんだ。英語の「You and me」だと二人だとは限らない。「Two of us」だと二人だけどね。

だから同じ登場人物のことを歌っている歌詞を、「二人の話」と「三人の話」に分けることができたんだ。そしてそこからストーリーを紡ぎ出した。この歌詞にダンケが凝縮されてると言っていい。

ちなみに3番の「You」には他の登場人物も含まれる。「paper(新聞・紙・証明書)」を「chasing」する人物は他にもいるからね。

あと「chasing paper」には「獲物の居場所を書いた紙」って意味もあるんだよね。なんかそういう紙が降って来たよね、予告編で。

何度も言わしてもらうけど、映画本編見とらんのに、よう言い切りおるな。

でも出だしの歌詞…

僕ら二人、目的も目標も無く彷徨ってる
誰かが必死で稼いだお金を浪費しながら

って完全に大陸へ戦争に出かけた英兵のことじゃんか。

3番の

僕ら二人、レインコートを着て
太陽の下で、うずくまる

も、予告編でそれっぽいシーンがあったよ…

なんかレインコートみたいの着てた…

あ、そうそう!大事なこと忘れてた!

さっきのカバーバージョンには入っていないけど、ビートルズのアルバム『LET IT BE』では、この曲の前にジョンの「おふざけ」が入ってるんだ。

”I Dig A Pygmy” by Charles Hawtrey and the Deaf Aids. Phase One, in which Doris gets her oats.
(チャールズ・ホートリーと補聴器ズによる「I Dig A Pygmy」、第1部「ドリスは男漁りが好き」でした)

ってやつ。

おお、あったな。

映画の中での「TWO OF US」であるトミーとアレックスが二人で汽車に乗る際に、目の見えない老人が現れるらしい。

ビートルズの歌では「聴覚障害」だったけど、ダンケでは「視覚障害」に変更された。

このアルバムには他にもいろいろ「おふざけ」が入ってるんだけど、きっと映画内で小ネタに使われているだろうね。

ひゃあ!マジか!?

まだ映画を観てない人は、曲の歌詞だけでも頭に入れて映画館へ行ってね。

もうすでに観た人は、ホントにこの歌詞通りなのかどうか、もう一度確認しに行ってください。

どっちにしても観に行かなければいけない…

その前にお前が観に行け。

はい、これ。

約束のものだよ。

まだアルバム『LET IT BE』の中で『GET BACK』と『TWO OF US』の2曲しか解説してないよね。あと10曲くらいあるのかな?

我ながら、全くいつ終わることやら…

僕の負けだ。

100ダンケルク紙幣!!!

裏もあるよ。

手が込んでる!

よく見ると某国の高額紙幣と絵柄の位置関係まで似てるぞ!

話だけじゃなくて紙幣まで勝手に作ってしまった!

僕も「chasing paper」してみました。

ズコッ!

おあとがよろしいようで…


完結編につづく



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