只今関係再構築中

うちにはテレビを置いていないので、もともと興味のなかった芸能ゴシップとは、かなり縁遠い生活をしている。

それでも、スマホに流れてくるネットニュースには「人の不幸は蜜の味」を絶え間なく刺激する記事が溢れていて、目にする機会はゼロではない。

そんなゴシップ記事のとある見出しの中に、「再構築」という言葉を見つけた。

おそらく芸能人の不倫ネタで、別れずに関係を再構築する、といった内容だったのだろうと思う。


私には、誰かとの関係を再構築した経験はない。

なのにその時、なぜかそれが他人事には思えず、いつもなら通り過ぎていくような類の記事の言葉が、心の中に居座った。


ところで、梅雨という季節柄か、6月中旬頃までの、時間がある限り何かを吸収するぞ!という自分的超効率モードからうってかわって、最近は完全にダラダラした生活を送っている。(季節のせいにしたらいかんですね^^;)

頭を空っぽにすることが多いからか、物心ついた頃から1年前くらいまでの断片的な記憶が、突然ふっと浮かんで来たりすることがある。

以前は、3、4歳の時の記憶なんてめったに思い出すこともなかったけれど、最近はよく頭の中で、子どもの頃の自分が心のままに遊んでいる。

なぜか俯瞰した映像で、子どもの自分を眺めている視点なので、リアルな記憶なのかはちょっと定かではない。

でも一つ思い当たるのは、今の自分が、当時の自分にかなり近い状態にあるから、そんな映像が浮かんでくるのではないか、ということ。


1年前までと会社こそ違えど、働いていることには変わりないはずだけれど、精神的には格段に自由になったと思う。(noteを始めたことも大きい。)

一方で、今ようやく心が解放されつつあるからこそ、それまで当然のこととして受け入れたり耐えたりしていた、主に社会人になってからの記憶も、快・不快で言えば不快なものとして思い出すようになった。

今改めて考えると、よく笑っていられたなとか、よくスルーできたなと思うものもあって、怒りとか、悔しさを追体験することもある。

そんな時、不本意なことをさせて傷つけてしまった自分に対して、「本当によく頑張ったね。ごめんね。」と心の中で声を掛けている。


「再構築」という言葉が他人事に思えなかったのは、無意識に、自分との関係を再構築していたからかもしれない。

当時の自分は一生懸命で余裕がなくて、その場しのぎの精一杯の対応として、自分の感情を黙殺したり、麻痺させたりしていたのだと思う。

でも、理由はあれど、感情をなきものにされたらやっぱり辛いわけで、私は自分に対して不信感みたいなものを持っていた。

それが今、自分の感情はいったん全部認めて、社会人である為のギリギリのラインまで自由にさせていることで、自分に対する信頼がようやく戻ってきたように感じる。

ただ、無視されていた方は長年のことだったから、当時未消化だった感情を、今の寛容な自分に改めて認めてもらうことで、気持ちの整理をしているようなのだ。


自分が我慢すれば丸く収まる、という思考は、私の中でかなり深く根をはっていて、根こそぎ取り除こうとしたけれど、地中の奥深くにまだ少しその一部が残っているような気がする。

だから気を抜いたらうっかり、その思考がまた顔を出してしまう可能性もある。


一度は許しても二度目はない、と言ったりするように、二度、三度と信頼を失うことは、相手が他人であれば別れに繋がるくらい危ういものだ。

相手が自分であれば、結論としては再構築しか道はないのだけれど、他人のように距離を置くこともできないので、信頼し合えない状態が続くのはとてもつらい。


再構築後も、自分との信頼関係を深めていけるように、さらに強くしていけるように、残った根っこの一部が土に還るまで、私は自分の感情に、いつも耳を傾けていたい。







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