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彼女のドタバタ女将日記⑤家康公の如く!なんもない荒野に店を建てる♡

彼女が女将を務めるお店は、最寄駅から約2キロ。街はずれの川沿いの、そして商店街ではなく、住宅街だ。

洒落た一軒家やマンションがが立ち並び、数件のドラッグストアや天然酵母を売りにしたベーカリーショップに、アレルギー対応が売りのケーキ屋さん、小児科クリニックや保育園。週末ともなれば、家族総出でお買い物に出かけるファミリーたち。

今でこそ、住宅街となっているが、彼女が開業したのは1993年。そこはまだ未開の地だったと言っても過言ではない。

ジャリが敷き詰められただけの駐車場。
雨が降った後なんかは、水たまりができ放題でみられたもんじゃなかった。

目の前の土手には、山積みの不法投棄されたたくさんの粗大ごみ。

今のように、”川沿いのお店” なんてキャッチフレーズを使うことなんてとてもできるような風景ではなかった。

住宅もあまりなく、周りは町工場と空き地ばかり。当然、電気も水道も通していない区画だった。

ここに店を建てると言い出したのだから、

「こんな辺鄙なところに飲食店を立てたって、誰も来るわけないだろう。」

多くがそう言って止めたのも、わからなくもない。

今はアプリだのSNSだの、インターネットの力を借りて集客できるようになった。街外れのお店でもお客様の目につく様な宣伝方法や広報活動ができる世の中になった。だが、当時はそんなものはない。どんなに味が良くても、どんなにサービスがよくても、どんなに店構えがよくても、立地条件が一番ものをいう業種、それが飲食だった。

だから、こんな辺鄙なところで開業しても、誰も来ない!!

そう思われても仕方なかった。

「そんなこと言われたって、もうここでやると決まっちゃってるんだから、仕方ないじゃん!!」

心の中でそう叫んだけど、たぶん誰にも聞こえてないだろう。だって、心の中で叫んだんだから、誰にも聞こえないように叫んだんだから。

店の建設工事が始まった。

まずは、業者がユンボで土を掘り起こす作業。基礎をしっかり作ってもらうためだ。砂利が敷き詰めてあるその下の土を掘るのだが、あまりの固さに、ユンボがひっくり返りそうになるのを何度も見た。

「ここらの土地って、どうなってるんでしょうかねぇ。こんな固い土地、初めてですよ!ユンボが持ってかれるなんて、初めての経験です!」

と、業者のお兄さんが、ユンボの運転席で顔をしかめながら、こっちをみてそう言ったのを覚えている。

川に近いということで、できるだけ基礎をしっかりと作ってもらいたかった。頑丈で揺るがない建物にしたかったのだ。後になって思うと、そこだけは、譲らなくって良かったと思う。

2011年3月11日の東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)。
日吉地区でもかなりの被害があり、建物内の物が倒れたり壊れたりしたお店もあると聞いている。しかし、信じられないことに、海んちょの建物は揺るがなかったし、食器の一枚も割れなかった。

おかげで、震災当日は、近隣の方の避難場所として利用してもらえたし、翌日から営業も再開できた。

そして次に水道だ。砂利敷きの駐車場であったその土地には、水道は通っていなかった。だから、本管から水道引き込み工事、つまり水道本管から店の敷地内まで配管する工事をしなければならなかった。

水道の引き込み工事の料金がいくらだったのかは記憶にもうない。ただ、引き込みの菅は、1つではなく何本かを配管した記憶があり、また、諸経費もかかったと記憶している。

とにかく、OLの彼女にとっては、思った以上に大きな出費となったことだけは間違いない。だから、店舗建設中は、とにかく働いた。残業は進んでやったし、同僚の仕事も進んで手伝わせてもらった。稼いだお金は生活を支えるためだけでなく、店舗建設の費用に当てた。

今、営業中に水道を使うたびに、あの時の残業費用でこの水が使えているのかと思うと、感慨深い。

人は、兎角、

「そんなの、無理じゃない? できっこないよ!」

と言いたがる。でも、やってみなきゃわからない。

かつて家康が、荒れた荒野に城を建てると言った時、誰もが反対した。(と思う)

それでも、

「みていろよ! この荒野にいつか日の本一の都・・・いや、世界一の都を作ってみせるぞ!!」

と目を輝かせて言った家康の台詞に、ある舞台の演目で出会った時、涙があふれて仕方なかった。

時代は違い、規模も全く違うけど、おそらく思いは同じだったと思うから。

2020年秋。彼女の店のある地域には洒落た一軒家やマンションがが立ち並び、個性豊かなお店にクリニックや保育園のある、活気に満ちた住宅街となっている。

川の土手沿いには、お洒落なウエアに身を包んだランナーがジョギングを楽しむ姿。週末ともなると、家族づれやカップルや、ワンチャン連れの方がお散歩をしている。

コロナ禍で団体のお客様が激変したが、その代わりに、リモートワーク中のお客様や、ご家族連れ、ご夫婦など、新しいお客様が増えてくれた。結果、なんとかコロナ禍でも営業を続けれいられる。本当に感謝の言葉しか出てこない。

時が経つと環境も変わる。環境が変わると人の心も変わる。

あの時、

「こんなところで飲食店を始めるなんて、自殺行為でしょ!!」

と言った人たち。最近、

「繁華街は集客が難しくなったし、損害も大きかった。街外れでも常連様やファンのお客様に支えられているお店が羨ましい。いい場所でお店を持ったね!!」

と。彼女は思わず吹き出してしまった。でも、あの時、何もないところに店を建てる決断をした彼女は、あの頃の自分に、

あなたの決断は、間違ってないよ!!絶対大丈夫だよ!!

と言ってあげたいと思っている。









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