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伝える:おかの場合

小学3年生のころ図工の時間に紙粘土や折り紙、段ボールなどを使って公園を作ってみましょうという授業があった。たしか一学期まるまる公園作りに当てられていて、完成お披露目会には消防士が来て感想を言ってくれるというちょっと大掛かりな授業だった。

僕は真面目に公園を作った。どんな遊具を設置したか詳細は忘れたが、自分が普段遊んでる公園をイメージして作ったと思う。

「この公園もそうなのですが、木が少ないんですよね。もっと環境に配慮された公園を作ってほしかったです」

消防士の方から言われた僕の公園の感想はこんな感じだった。僕の作った公園の木は広場を囲むように生えていたが、等間隔に配置された木の間には隙間があり、確かに実際にこの本数だけ木が生えている公園は環境に配慮された公園とは言えないかもしれない。

しかしその時僕はこう思った。
「いや、確かにおっしゃるとおりだけど、木の本数は想像でおぎなってよ!時間とか技術とかの関係でこれだけしかないけど、僕的にはたくさん木を設置したつもりなんだよ!」

僕はこの消防士のことを想像力のない馬鹿だと思っていた。

しかし大人になってみるとこの時の自分が子供だったということに気付かされる。
それは伝えるということの難しさだ。
人に何かを伝えるというのは難しい。伝えるためにはもちろん自分自身がしっかり理解していないといけないし、相手がわかりやすいように伝える方法も考えなくてはいけない。相手は自分が思っている以上に自分の伝えたいことをわかっていないのだ。
だから伝えるためには、決して「汲み取ってもらおう」としてはいけないのだ。

僕は消防士の方に「汲み取ってもらおう」としていた。それが子供だったのだ。

…まあでも僕は実際に子供だったので消防士の方には汲み取って欲しかったです。
もしあの時公園を褒めてもらえていたら僕は自分を天才だと勘違いし、その勘違いが功を奏して、なんやんかや建築士とかになってなんやかんや世界中で活躍してバリバリ稼いだりしてたかもしれないのに。

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