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引っ越していった友人に。

 最近、友人が引っ越しをした。
 同じ沿線に住むわりと近所に住んでいた友人だったのだが、となりの区とは言え電車で1時間程度はかかる場所へと越したのだ。

 引っ越したい、という話は少し前から聞いていた。友人は昨年、とある大企業に転職をしたのだが、そこでの縦割りぶりや同僚とのコミュニケーションに四苦八苦しているらしかった。ときどき会うと、冗談めかしてよく愚痴を言い合っていた。本気でグチをこぼせばそれが澱のように溜まっていって、それを認め向き合ってしまうのがお互い怖かったのかもしれない。

 当初は通勤に便利な下町を当たっていたらしい。が蓋を開けてみればそれとはかなり逆の方向へ決めていた。通勤が特に便利というわけでもなく、ふらっと息抜きがてら違う街を見てみたらたまたまいい街、いい物件だったようだ。もちろんあくまで目的は引っ越しなのだから、どこに住むかは友人の自由だ。

 風水はさほど信じないというか明るくないのだけれど、毎日がちょっと何か噛み合わなかったり、悪いことばかりが目につくようなときに、引っ越ししようとするのはわかる気がする。運気をごそっと入れ替えるというか、家の掃除や整理整頓で心が切り替わるような、その大型版みたいな感じで。
 自分は引っ越しという選択肢はなかったけれど、おそらく心がモヤついていたのだろう、古着を買いあさり、クローゼットの夏服はほとんど入れ替わってしまった。にっちもさっちも行かなくなるとき、人は行動からそれを変えようとするものらしい。

 引っ越せば当然だけれど、それまでとは見る景色が明確に変わる。いずれ慣れていくこととはいえ、変化が明らかなのだ。つまり、物事への視点やアプローチが物理的にも心理的にも変わるのだと思う。

 けれど、なのだ。
 近くに住んでいる間は、通勤途中に友人と会うことはほとんどなかったけれど、同じ列車で移動しているということを時折思い出していた。そのせいか、ちがう線路を選択し、ちがう風景を見ながら通勤する友人を想像してみると、なぜか少し寂しいような、置いていかれたような気持ちになった。概して、人と人との距離はこのように狭まったり広がったりしていくものだとわかってはいるけれど。

 なんという答えのない文章なのだろうと我ながら呆気にとられるが、いずれにせよ、友人の運勢が、いや人生が、この引っ越しで好転することを祈る。

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