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人生に親友は必要か。

 今年、職場で唯一とも言える友人の結婚式に出席した。
 ほかの、ただの同僚であれば体良く断ったと思うのだけれど、彼は同い年でなおかつ転職組ということもあり、なぜだか最初から馬が合った。仕事の話だけではなく、くだらない話から下ネタまで、おおよそ同じ波長で話せる人間と出会うのはなかなか難しいことだ。特に下ネタはそもそもが下世話な話題のため、ともすると直截すぎるというか品がなくなるというか、そのあたりの線引きも、彼とはちょうどよかったのだと思う。ともあれ、その結婚式と披露宴は、いつもは見ることができない彼のやたらと真面目な表情に、ひとり笑いを堪えていた。

 その式でふと思い出したのがいつか聞いた格言のような言葉、「その人を知るにはその周囲の人間を見ること」だった。結婚式だから基本的には親族のほかに、学生時代の友人や勤務先の同僚などが参列する。彼の式も例に漏れず、むしろ知らない面々が列席していた。
 特に彼を茶化していたのは、地元の友人たちのようだった。なかなか奇抜な着物を着た人、髪の毛を片側だけ刈り上げた人、やたら真面目そうな人など、バラエティーに富んだ顔ぶれだった。ああ、新郎の彼にも僕が知らない顔があり、物語を生きてきたんだなと思った。

 自分を振り返ってみると、親友と呼べる人がかなり少ないと言えると思う。というかそもそも斜に構えがちで、「すぐに親友だ」という人たちが苦手だったせいもあるかもしれないし、親友と呼べる存在がいることで勝ち誇るというか安心しようとする人たちが苦手だったからかもしれない。

 ともあれ、小さい時は親の転勤が多く、転校もかなりしていたため、東京育ちではあるが、地元と言われるといつも迷ってしまう。ともあれ、小中高と都内で過ごしてきて、部活でもわりと大人数いる運動部の部長などをやっていたけれど、そこそこの友人はいるものの、親友とまで言い切れる人は少なかった。
 一人だけ、高校時代同じ部活だった男が、親友と言えるかもしれない。だが彼は今、イングランドで仕立て屋をやっており(高校の途中でベルギーに留学し、その後ロンドンに渡った)、あまり頻繁に会うことはできない。

 僕は基本的に、「男女の友情は成立しない」スタンスなのけれど、妻は間違いなく親友と言えると思う。異性でありながら、また元々は他人でありながら、いっしょにいることが自然と思える人は稀有だ。なので、つい忘れがちだが、妻という人間がそばにいてくれることは本当にありがたいことだと思う。というか、妻を失うとすれば親友としての存在も失われてしまうわけで、そうなったら僕としてはその後の人生をどうすればいいのかわからなくなってしまうと思う。わりと本気で。

 なぜこんなnoteを書こうかと思ったかというと、娘が保育園のころからとても仲良しだった子と小学生に上がってクラスが別になってしまってから、少し縁遠くなったように感じられるからだ。
 息が合う人というのは、最初からなんとなくわかるものだ。そして、そんな人とぶつかるようにして出会う確率はけっこう低いということを、父である僕は経験則で知っている。だから、ついついその子と最近どうなの?などと聞いてしまうのだ。もちろん、娘にとってはこれから出会う未知の人間の分母の方が多いのはわかっている。今後、興味ある分野も人も道もどんどん枝分かれしていくだろう。となるとなおのこと、変わらずにそばにいてほしい人がいることの大切さがしみじみと思い起こされて、よけいなお世話を焼いてしまうのだ。

 幸いにして、僕は妻と離婚でもしないかぎり親友を失うことはないが、親友と呼べる存在がいた方が、確かに人生は豊かだと思う。けれど、いなければいないなりに、違うモノやコトに価値を見出す人生もあると思う。という、クソ面白くもない結論になってしまってすいません(←誰に?苦笑)。

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