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記録(2) SAVE KAKOGAWA FES 2022

人なんか歩いていなかった。JR加古川駅の北口から川原まで、下見をくりかえして設定した動線はぜんぜん機能していない。

しかも、安全のために配置した誘導人員は、なぜかぜんぜんちがったルートに配置されてボーッと立っている。メチャクチャではないか。
 さらに問題発覚。今回、改札前と川原の入り口の2カ所にはとくに愛敬のいいスタッフを配置する指示を出していた。お客さんをまっさきに最高の笑顔で迎えたいからである。なのになぜかきわめつけに愛想のない社外スタッフがぼんやり突っ立っているではないか。愛敬どころか仏頂面そのもの。その面のほっぺたにはていねいにも「ゴマ」がへばりついていた。買い食いしたおにぎりに乗っていたのであろうか。
 このイベントに賭けるわれわれの意志など知りようもない顔である。
 お客さんはいないし、彼がそもそもこの場所にいることじたいがおかしいのだが、まあとりあえずゴマを取るように言う。

「ゴマが付いてますよ」
「まだ取れてないよ」
「アゴの先に移った」
「まだ取れてない」

5回こすりなおしてようやく取れた。
 んなバカなやりとりをしている場合ではないのだ。危機感をもよおし、自社スタッフを無線で呼び出して対応を命じる。

後ろ髪を引かれながらMTBでとって返して会場へ戻る。カヤックレンタルブースにお客さんがある。会場にまだお客さんは少ないが、徐々に増えてきてくれると信じるしかない。モヤモヤした頭のままカヤックの漕ぎ方の講習をスタートしてそちらに集中しようとする。

そうしている間に岡田康裕加古川市長が到着。1600時からはわれわれ岡本篤・亮の兄弟と市長とのトークショーがある。会場訪問してくれるよう依頼したのはこちらのほうだ。
 カヤックの講習を手短に切り上げ、スタート地点への送りだしは他のスタッフにまかせてステージへ。
 客入りはあいかわらず気がかりだが、こちらに集中せざるをえない。

スタート直後の市長とのこのトークイベントは、重要な意味を持っている。
 これまで株式会社ムサシは40年間、大企業の下請けに甘んじず、自治体や国の補助金の恩恵にもあずからず、地元の経済団体にも参加せずにあくまで野良犬的に経営してきた。その独立独歩の精神をおれはひじょうに誇りに思っている。
 しかしこれからは社会を作り直していくことを企業の本務に据えた。「官」との連携を進めざるをえない部分がたくさん出てきている。このため、今回は加古川市の「かわまちづくり」に連動した企画を複数もうけた。市長との対談の成否はイベントの今後どころか、会社の今後の運命を占う意味さえあるのだ。

おれが18歳で自転車による長距離旅に出ていらい、川原という空間を使い続けてもはや30年になる。「所有者不明の不定形で広大な空間」は現代人の意識から消え去ってきたが、おれだけがこの空間に住むようにして生きてきたといってもいい。あちこちで川原を中心にキャンプ泊をした回数はもはや1000泊を超えているだろう。
 自治体とどう組んで河川空間をどう活用していくかは、おれの人生にとっても、「川の民」とも評される日本人の未来にとっても重要だ。「自然とたたかう」を標榜して社会に貢献しようとする株式会社ムサシにとってももちろんのことだ。
 加古川は、日本の他の川とくらべても異様なくらい使われていない河川といっていい。その地元の川の画期的対談になる可能性があった。

1600時。ステージで対談が始まった。岡田市長は担当課長まで連れてきてくれ、詳細にわたるところは話を振っていく。
 この姿勢は「細かいことに答えられない市長」みたいにとらえられる可能性もあるが、じつは岡田市長はスタンスとしてゴリゴリ自分で押していくリーダーシップを取らない。ボトムアップを徹底して待つタイプの人柄だ。徹底している。市長だが彼は黒子に徹している。ガマンを重ねて部下の活躍を待ち続け、心から喜ぶタイプのリーダーだ。
 従来型のリーダー像や英雄待望論者からは「物足りない」と言われることも多いし、1─2期目には、正直言っておれもそういう印象を持ったこともあった。最近は近隣の明石市の泉房穂市長が正反対の強烈なリーダーシップを発揮して話題を振りまいているのでよけいにそう見られることも多い。
 しかしおれは10年ほど前に岡田市長本人を個人的にインタビューしたことがあり、その録音音源をあらためて聴いていた。
 印象は「これほど聡明な人間が、なんの戦略もなく市長の重責を務めるわけがない」というものだった。実際に話をすればわかるのだが、国際関係から何から、目から鼻に抜ける秀才というのはこういう人物である。たんなるリーダーシップの欠如ではない。リーダーシップのタイプが違うのである。
 経歴がエリート感満載なのでグイグイ率いてほしい、と思われがちだが、彼自身は異様に謙虚な人間である。この日も「自分にはアイデアはないのです」と繰り返し言う。とにかく意欲のある人の盛り立て役に徹する。そういうスタンスを貫いている。
 このスタンスにおれはひじょうに共感を覚えるようになった。会社を経営してまもなく8年。同じような場所にたどりついているからだ。

市長2期目になって、市の中堅課長から全国に誇れる有為の人材がぞくぞくと出始めた。この町だけで暮らしているとわかりにくいが、すでに加古川は「スマートシティ加古川」としていつのまにか全国的に有名になっていたりする。大所帯ゆえなかなか変われなかった市役所が、ついに変わってきた。市長は方角を示すだけでいい。有能な部下が市長が考える以上の政策を立案してくれる。そういう関係性ができつつあるという。
 よくぞそこまでガマンしたものだとおもう。(ちなみにおれは岡田君と同い年。君づけは君子の意味である)
 対談は期待以上の結果になった。市長ははっきりと今後の方針を示してくれたし、それはわれわれの方向付けていこうとする川の活用とかなり一致することもわかった。

ひとつその象徴をご紹介しておく。「かわまちづくり」で加古川市が加古川の利用シーンの未来像を描いたイラストがある。子どもたちが川で水に入って遊んでいる姿が描かれている。
 ぱっと見はたいしたイラストではないのだが、じつは「加古川にとっては画期的」だ。
 いまの加古川は、2面張りのコンクリート護岸がほどこされ、そこにさらに鉄製の柵まで付いている。全国あちこちでいろんな川を見てきたが、遊ぶ場所としてあきらかに「最悪の部類」と断言できる。川に近づくことは「悪」であり「禁止」であり(禁止する権限など本来国にはない)、このため物理的に川に近づくことすらむつかしくしてある。

この時代がおわり、ようやく「川は人が遊ぶべき場所である」ということが共通認識になりつつあるのだ。
 おれが死ぬころには2017年に訪ねたフランスのドルドーニュ川のように、夏になったらカヤックが何万艇もツーリングを楽しむ川になっているかもしれない。

対談が終わり記念撮影をする。亮が「クラシック」をフェスのテーマにするというので、おれは山下清ふうの白い短パンとランニングをイメージした格好だったが、とても企業の社長とは思えない写りになってしまった。岡田君も「KAKOGAWA CITY」と書かれたチョイダサTシャツを着てきているのでいい感じである。

市長と市職員のみなさんをVIP席に案内し、アウトドアアクティビティブースに戻る。
 さてフェスは夕方にはいり気温もさがっていよいよ本番になってきている。会場を見回してみると客足はやや増えてきているが、やはり過去の大型イベントと比べてかなり少ないのが見て分かる。

会場をぐるっと、朝市で顔なじみの出店者に質問して回ることにした。

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