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単一民族である日本人に思う事

1422字 ほんと久々の投稿になります。

皆さん、一度は電車の中や街中を歩いている時に「この人、私と同じ服着ている。とか、電車の中で色の組み合わせ一緒、気まずい!」という経験ありますか?ありますよね!そんな話です。

私がソロモンへ行ったとき、周囲はみんな黒人であった。人生で初めて見た。

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すれ違う人全員、同じ顔にしか見えない。

おそらく、脳がただ黒という事しか認識できないのだと思う。人種はメラネシアン(たしか、自信はない)という。

その顔の上についている特徴的な、クリッとした大きな目、厚い唇の口、耳、のそれぞれの詳細の比較を認識できない。

やっぱり、みんな同じ顔にか見えない。区別がつかない。当たり前だ。

そんなソロモン人の顔も、2年も住めば見分けが当然つく。逆に彼らから言わせれば、日本人、韓国人、中国人の見分けはつかない。なぜなら、アジア人をあまり見ないから。皆さんも経験があると思う、海外旅行へ行った際、「中国人」と間違えられた経験が。理由はそれは中国人はどの国にでもいる人々だからアジア人=中国人である。彼らにとって、身近なアジア人は中国人しかいないのである。

オーストラリア人も同じで英語を流暢に話さないと見分けがつかならしい、ソロモンには中国人が多くいるので、彼らもソロモン人同様にアジア人の見分けがつかないそうである。

何が言いたいのか、人は見慣れないと顔は区別を認識できない。という事です。

私は日本人である。確かに2年間、限定的に日本人ボランティアの顔をソロモンでは見てきたし、日本で育ったから見慣れていて、いいはずである。

しかし、帰国してからも、見慣れない、識別できないのです。

なぜなら、日本人が皆、同じに見えるのです。他にも他者に興味・関心がないからとの意見があると思いますが。それ議論は今回はしません。

例えば、オーストラリアという国は移民国家である。〇〇系オーストラリア人という人々が多くいる、目の色、顔の形・色、髪の毛の色・くせ、体格、全て違ってもオーストラリア人である。

想像してみてほしい、同じ白いT-shirtsとブルーjeansをそのそれぞれの〇〇系オーストラリア人が着るとして、同じ人種に見えますか? 見えないはず! 見た目からして、個性的にならざるを得ない。これが多民族国家である。服というよりも、髪の色、目の色、骨格や肌の色が服よりも主張してしまい。着ている服は同じように見えません。脳が同じ洋服というよりも、それぞれの身体的特徴の差の方を選んでしまうのでしょう。

私がソロモンに住んでいた2年は、周囲がソロモン人しかいない為、どんな服装をしていても、どこにいようとも、誰よりも目立っていました。なぜなら、肌が白いから。隠しようがありません。

そして、日本ではSNSあたり前となり、みんな芸能人やモデルの真似をする。メイク、髪型、服装など、結果、同じ人間にしか見えない。ならざるを得ない。なぜ真似をしたがる。かわいいから?流行りだかろ? 他者と違う事を嫌がっているようにも見えてしまう。実は服の一部分が違う、素材が違う、との細部のこだわりがあるのかもしれないが、説明されなければ、わからない。なぜなら、全体的には同じだから。細部なんて、大体の人は見ない、気づけない。

自分のアイデンティティはどこへ? あるけど主張できない理由は何?

一言で言ってしまえば、同調圧力と説明できるかもしれませんが。

この続きは以下に続きます。





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