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浜坂松林(松の庭)の参考資料一覧

5年ほど前、「松の庭物語 〜松の庭を守る笹谷浩二の三十年〜」と題しまして、13分のショートドキュメンタリー形式の映像を制作しました。
映像制作にあたり備忘録として残したブログを削除するため、noteに転載します。


松林の清掃活動を30年来続けた笹谷さん。彼の映像を制作するにあたり、生前交流のあった友人らの証言、旧浜坂町などの資料を元にして、松林の歴史と笹谷さんの想いを伝えるドキュメンタリーを制作しました。

※映像はウェブ上に掲載できませんが、お問い合わせいただければお見せすることはできます。

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概略

本エントリでは映像制作の参考にした文献をリスト化し、公開します。
理由は、私が松林の資料を探した際、まとまった資料が全く無く、とても苦労したからです。
浜坂の松林に関心を持った人のお役に立てれば幸いです。

松林は昭和7年に砂防林として植樹が始まり、昭和13年に完成。
やっとのことで苗木から成長し、砂防林として機能しました。しかしながら、次第にゴミが放棄されるようになり、松林は汚く危険な場所であると認知されるようになりました。
昭和57年に笹谷さんら有志のグループが清掃活動を開始しましたが、メンバーが一人また一人と抜けていき、残ったのは笹谷さんただ一人。それでも毎日懸命に清掃活動を続け、だんだんと綺麗になっていきました。
綺麗になり、白砂青松100選に選ばれてからも笹谷さんが休むことはありませんでした。30年、3万時間、清掃を続け、現在の綺麗な姿・松の庭が維持されている経緯があります。

しかし、昭和初期は写真がレアなものだったためか、松林の写真は数少なく、町の様子や海岸の様子も参考になるものもすぐには見つかりませんでした。

立派な文化的歴史とインフラ的重要な役割があるにも関わらず、資料がまとまっていない。なおかつ、笹谷さんは先人・偉人として語られるべき人物なので松林と有志グループの資料は検索性があってしかるべきです。

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文献リスト

資料をウェブページや本にまとめることは出来ませんので、以下に文献をリストアップします。参考にされる方は該当書籍の該当ページよりどうぞ

「広報はまさか 縮刷版 第一巻」浜坂町
p41, p50, p57, p181, p540, p541, p554

「広報はまさか 縮刷版 第二巻」浜坂町
p28, p32, p47, p52, p58, p65, p70, p80, p86, p89, p126, p295, p447, p532

「写真でつづる浜坂町 明治大正昭和のすがた」浜坂町
p102, p118, p131, p138, p210, p330, p349

「浜坂のくらし」美方郡浜坂町教育委員会
p35, p36, p37

「ふるさと浜坂散歩みち」浜坂町教育委員会
p49, p56, p57

「濱坂漁業協同組合史」浜坂漁業協同組合
p1145, p1146, p1150, p1152, p1213, p1227, p1334

「図説 但馬の歴史」山口久喜
p203

「鳥取文芸選集 第40集記念号 2013」鳥取文芸協会
p37-39

「きらめき -個性 光らせて-」兵庫県教育委員会
p42(第一部 ⑳ 言えばよかった)

上記に示された資料は松林の写真や松林に関する記述が主ですが、浜坂新港や当時の町並みなど、松林の歴史を知る上で大切と思われる資料も含みます。

見逃している資料もあるかと思いますが、ご容赦ください。

「鳥取文芸選集」以外の資料は新温泉町立加藤文太郎図書館より閲覧いただけます。

また、浜坂まち歩き案内所「松籟庵」では、笹谷さんが寄贈されました「1982年〜2010年までの記録写真アルバム」を閲覧いただけます。

松林や笹谷さんに関心を持った方が、よりスムーズに松の庭への理解を深められれば嬉しいです。

年表

簡単な年表を記しますので、ご参考にしていただければと思います。

昭和_7年:砂防林として稚松の植樹を開始。当時の岡田信町長が東北の松林を参考とした。

昭和13年:観音山から赤土を降ろす、岸田川から水を汲み潅水するなどし、ようやく植樹が完了する。広さは約12ヘクタールで、岸田川河口から城山麓まであった。

昭和23年:浜坂新港の設立が決定。岸田川・味原川河口にあった港から城山麓へ。城山麓の松は撤去され、内堀式の港の起工へ。周辺の道路整備も行われたため、松林は数年後には約4ヘクタールにまで減少。

昭和34年:新港完成。この頃には松が2mほどにまで成長。新港開拓と道路整備によって出た砂を浜坂海岸に捨てたため、元々遊泳禁止だった海岸が遊泳可能に。

昭和36年:レジャーブーム到来。観光客が浜坂海岸サンビーチへ泳ぎに来てはゴミを残して帰った。住民の松林に対する美意識も薄れる。

昭和37年:笹谷さんら4名が旧浜坂町の役場職員として採用される。

昭和56年:笹谷さん含む有志が10名ほど集まり、松林の清掃グループを作る。その後メンバーは減るが、笹谷さんはただ一人黙々と毎日松の庭の清掃を行う。

平成20年:8月時点で笹谷さんの松の庭清掃時間が累計2万5千時間を突破。

平成24年:当時の浜坂中学校2年生が壁新聞制作で笹谷さんを取材、立派な壁新聞を制作する。

平成25年:笹谷さん死去(享年74)

平成26年:中学生の壁新聞とそれに関わる想いが県教育委員会の人権教育資料として掲載。

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