五枚の色紙「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第16回

個性ある書体
 池田の字は、きわめてユニークである。普通の字に比べて、全般的に右上りの傾向、それに横幅も広い。なかには、習字流のオーソドックスな書体を離れた型破りな字も少なくない。
たとえば、( にんべん)や(ぎょうにんべん)の書き方。垂直におろすタテの線は、うえの「ノ」と同じ方向にななめ左下へ走らせる。
だから、ひとつひとつの字を取り出すと、いわゆる上手な字の部類に入りそうにない。それでいて全体的にみると、何となく調和のとれた美しさを感じさせるから妙である。
 三十九年秋、東京国立競技場で創価学会の文化祭がはじめて催された際、スタンドの人文字に王仏勝利の文字が鮮かに描き出された。池田の揮毫がそのまま拡大されたものだったが、とくに“勝利”の二字の力強い感じが私にとって印象的であった。
 このときは、普通の楷書の書体だったが、その後、毛筆やペン書きの独特な書体をみるにつけて、私は池田の字に興味を持つようになった。なぜなら、その独特さゆえに、池田の豊かな個性をあらわしているように思われたからである。

書道家の論評
 字は、人をあらわす、という言葉もある。書道の大家なら、池田の字からはたしてなにを直感するだろうか。ふとそんな考えが頭に浮かんだ私は、あるとき池田に不躾ながら「あなたの字について、専門家の論評をきいてみたい」と話した 。
 「困った、困った。恥を残しているようなものだ。どうしても書いてくれといわれるので 。学会員のなかの書道家なら、少しはお世辞でほめてくれるかもしれませんが…」
それから数日あと,五枚の色紙を借り受けた私は書道界の権威を訪ねた。
以下はその論評。

「縦の線が澄んでいて、運筆に渋滞がない。結体(形のとり方)が横広がりになっているところが特徴で,個性的である。とくに、横広がりの文字の横の画は思い切ってのびが働き、白い空白に非常に利いている。横の線の働きで空白の部分を埋める手法は、普通の人がすると、嫌味になるものだが、全く嫌味を感じさせないところはみごとだ。全体として、書の構成をよく心得ている。澄んだ筆づかいからみて、いわば“心境の書”というべきものだ」

 つまり、上手、下手の問題ではないということだ 。
「五枚の色紙は、それぞれ異なった構成をとりながら、そのどれもが、よくまとまっている。このことから、情勢に対応する能力がきわめてすぐれていることがうかがわれる。字でみる限り、性格的に、とてもデリケートな人ではないだろうか」

 たしかに、情勢に対応する能力にすぐれている点は池田の特性の一つである。繊細さも、池田との接触を通じて、私自身しばしば痛感したところである。してみると、毛筆の先端の微妙な動きだけから、それを直感する書道家の目は、さすがといえる。
 池田の字は運筆の軽快さでも、特徴的だという。古来、書で定評のある伝教大師とも、その点で共通するものがあるそうである。創価学会が、戸田時代に基礎を固め、池田時代になってから、飛躍的発展を遂げた事実を思い合わせると興味深い 。