おかしょう | 読み屋

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サービスデザイナー | 日々の学び、書評、「学び」のデザインについて書きます。文章を読み書きするのが生きがい。 https://twitter.com/okasho_pr

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最近の記事

ToDoリストだけじゃなくて、ToChallengeリストを作ろう

毎日。僕は1日のはじまりにToDOリストを作る。その日にしなければならないタスクを1つずつ思い出し、リストにしていく。 この作業自体は嫌いではない。無感情にタスクを追加していくだけで、何か高いハードルがあるわけではない。とても気が楽だ。 日課にしている朝の散歩から帰宅したら、リスト作りにとりかかる。 ただ、そうやって仕上げたToDoリストを前にしたとき、事情は変わってくる。これからこいつらをやっつけなければならないのか・・・とその壁の高さに少しばかり暗澹たる気持ちになる

    • 文脈からの距離をとると、世界が変わる

      年末年始が明けて、数週間が経とうとしている。ようやく連休にどっぷりつかっていた身体が、稼働モードに切り替わってきた。 去年はありがたいことに、12月24日から年末年始休暇をいただき、2週間弱の余暇を得た。その間は伊豆に旅行に行ったり、妻の実家のある茨城に帰省したりと、小旅行も楽しむことができた。 伊豆の温泉につかりながら、ふと休暇に入る前の戦場のような日々を振り返る。 12月は、年始にリリースする企画準備のため、毎日、息をつく間も無いほど、大量のタスクに溺れていた。本当

      • 仕事に人をつけるか、人に仕事をつけるか

        仕事に人をつけるか、人に仕事をつけるか。 どちらがいいんだろう。 分業化された大きい組織で働くようになってから、考えるようになった。 明確に定義された仕事があってそこに人をつける。米国的なジョブ型の雇用体系の会社では、ジョブディスクリプションが明確になっていて、ジョブ(仕事)に人をつける、という考え方が主流だ。 まず、最初に仕事があって、そこに人をつける。そのためには、仕事内容が標準化されている必要がある。つまり仕事の手順や方法が明確になっていて、その人がいなくなった

        • 【2021年下半期】読んでよかった本7冊

          2021年ももう終わる。 転職・結婚・出産・育児・引越し・・。いろんなことにがあった1年だった。この数年で1番忙しかったのだけど、不思議なことに読書冊数は162冊と1番多かった。 忙しくても本を読む時間だけは捻出したい。そう強く思い、朝、赤ちゃんが起きる前に1時間読書タイムを作るようにしていた。結果、この数年でもっと本を読むことができたわけだ。 そんな中で読んで良かったなと思ったを7冊選んで紹介したい。今年は仕事漬けだったせいか、ビジネス本が多めです。 世界は贈与でで

        ToDoリストだけじゃなくて、ToChallengeリストを作ろう

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        • 『学び』のおすそわけ
          17本
        • 読み屋の雑談
          22本

        記事

          【2020年下半期】読んでよかった本6冊

          2020年はたくさん読むことができた。 コロナで家にいる時間が増えたせいか、ゆっくりと本を読む時間を持てたからだ。 僕は、自分の置かれている状況によって、読む本のジャンルが変わる。仕事で困ってるときは、目の前の課題を解決してくれるビジネス書が多くなるし、時間に余裕があるときは小説やエッセイなどエンタメっぽい本が増えてくる。 下半期は、有給消化期間があったおかげか、小説やエッセイが多めだった。ゆっくりとエンタメを楽しむ時間があるって幸せなことだなぁとしみじみ。 そのなか

          【2020年下半期】読んでよかった本6冊

          『量をこなすこと』と『質を高めること』のバランス感

          何かに上達したいときに、迷うときがある。 「量をこなすべきなのか」と「質を高めるべきなのか」と。 たとえば、noteの記事についてもそう。文章が短くてもいいから毎日更新するのか、それともじっくり時間をかけて推敲して記事を出すのか。 量を追求していたら質をあきらめるしかないこともあるし、質にばかりこだわっていても量をこなせない。あっちをあげれば、こっちが下がる。こいつらは、犬猿の仲なのか…。 最近、転職をして新しい職場にうつったのだが、そこでも量と質のバランスについて考

          『量をこなすこと』と『質を高めること』のバランス感

          いま僕のいる場所が探してたのと違っても

          中学1年生のとき。 はじめて自分でCDを買った。 Mr.Childrenの『シフクノオト』というアルバム。このアルバムに収録されている『Any』という曲が欲しかったのだ。 年末に放送されたカウンタダウンTVの音楽ランキングで『Any』が流れたとき、妙に頭にひっかかって、この曲いい…!と強烈に感じた。歌詞は聞き取れなかったけど、曲調に惹かれたのである。 いまなら、その場で「Any ミスチル」と検索して、ダウンロードすればおしまい。すぐに手に入る。でも、当時はインターネッ

          いま僕のいる場所が探してたのと違っても

          エンドロールのその後にも物語は続いている

          カーテン越しに日差しがあたり、うっすらと目を覚ます。 有給消化中の水曜日の朝。休みの日の午前中ほど、こころ穏やかな時間はない。 いつもの休みと違っているのは、僕は休みだが、まわりの友人は仕事をしてるということ。遊び相手もいないし、なんとなく世の中から隔絶されているかのような感覚がやってくる。 まあ、でも悪い気はしない。ひとりの時間を満喫している。独身の一人暮らしは、ひとり遊びスキルを青天井に高めてくれる。独身貴族とでも言うのだろうか。ストレスフリーで快適な生活なのである

          エンドロールのその後にも物語は続いている

          「帰れる場所」と「向かう場所」で軽くなる

          先月、会社を辞めた。 4年半ほど働いたが、ジェットコースターのような日々だった。 インターネット業界のサービスの栄枯盛衰は激しい。1年前に調子がよかった事業が、翌年には競合の登場で低迷…なんてことは日常茶飯事。とにかく1つ1つのサービスのライフサイクルが早い。 僕が携わっていたサービスも漏れなく、激しい戦いのど真ん中で、なんとか生き残ってきた。 毎日のように、トラブルが起きるし、あちこちからニュースが飛び込んでくる。物理的な忙しさもあったが、それ以上に頭の中が大忙しで

          「帰れる場所」と「向かう場所」で軽くなる

          僕の『ちびまる子ちゃん』が終わった日

          小学生のとき。 日曜日の夕方には「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」がテレビでかかっていた。特に理由はない。強いていうならば、日曜日だから。 毎週のように観ていたはずなのに、記憶に残っている話はほぼない。ぜんぶ忘れてしまっている。あんまり前のめりに観ていなかったからかもしれない。 『ちびまる子ちゃん』は料理に例えれば「ごはん」みたいじゃないか。率先して食べないけれど、いつもそこにある。ないと寂しい。僕にとってはそういう存在だった。 いつもかかっていたアニメだったけれど

          僕の『ちびまる子ちゃん』が終わった日

          実家の餃子は、なぜこんなにウマいのか。

          餃子うめぇ…。 久しぶりに、帰省した実家の食卓机でうなった。 外食ざんまいの毎日ひとり暮らしをはじめて、5年間。外食ざんまいの毎日。寿司屋、焼肉屋、ラーメン屋、定食屋…。本当にさまざまな店を開拓した。ときには、悶絶ものの美味いものにありつけることも。 しかし、その代償として舌がずいぶんと肥えてしまった。学生のときには美味しくて仕方がなかったお寿司屋さんの寿司にも「うーん、まぁまぁだなぁ」などと言い始める。 ちょっとやそっとなものじゃ満足ができなくなってきた。慣れって恐

          実家の餃子は、なぜこんなにウマいのか。

          こころの状態で物語が変わる

          こんなことを経験したことはないだろうか。 同じ本を読んでいるのに、昔と今で感じ方が変わった。10代のころに興奮して観た映画を、10年後に観たら、ずいぶんつまらない…。 触れるタイミングで「物語」が変わってしまう現象である。 こういうことは頻繁に起こりうる。そして、昨日もまた起こった。 Netflixで『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というアニメを見終えたのだが… なんじゃこら。目から水滴がとまらない;; 部屋でひとりで視聴を終えて、なんだかしんみりしてしまった

          こころの状態で物語が変わる

          サードプレイスとしてのnote。そして、よみがえる遺産。

          noteで文章を書くようになったのは、今年の4月のことである。 3月から仕事が完全なリモートワークとなり、1日中、家で過ごす毎日。 困ったことになった。喋り相手がいない。独身で定年退職をしたら、こんな感じなのかもしれない。 自分で言うのも難だが、僕はかなりおしゃべりな奴である。ふらふらと近くにいる人と喋らずにはいられない。 人と会わずにいるとムズムズしてくる。 アル中は、断酒するときに禁断症状に陥ることがあるというが、僕はおしゃべりを封じられて、うぎゃーと発狂しそう

          サードプレイスとしてのnote。そして、よみがえる遺産。

          ノートでアイデアを発酵させる

          アイデアというのは、気まぐれなやつだ。 歩いてたり、お風呂に入っているときに、突然頭の中に降りてくる。 あまりにも突然にやってくるものだから、それがアイデアであることに気づかないことすらある。 いざ頭の中にアイデアらしきものが現れたら、しっかりとそいつを捉えていかねばならない。そうしなければ、立ちどころに思考の波に流されて、忘却の彼方に霧散してしまう。 意識的にアイデアを生み出すコツはないものだろうか。そんなときに役に立つ道具のひとつにノートがある。 アイデアの生み

          ノートでアイデアを発酵させる

          肌で変化を感じることには意味がある

          最近、日々の変化に鈍感になったな…と感じる。 2020年もいつの間にやら、10月である。コロナウイルスの影響で、今年の3月からリモートワーク中心の生活をしている。独身のひとり暮らしなので、人と会話する機会がめっきり減ってしまった。 週末は遊びに出かけることもあるけれど、平日は家で仕事をしている。ほぼ家にいる。家から出るのは、ご飯の食材を買いに行くくらいのもの。1日に声を発したのが、コンビニの会計時に「袋は入りません」「Suicaで」だけ…という日もザラにある。 こうやっ

          肌で変化を感じることには意味がある

          『観察』とは無意識を意識化すること

          『観察』とは、なんだろうか。この1ヶ月くらいずっと考えこんでいたのだが、ようやくその答えに思いいたることができた。 観察とは、無意識を意識化すること もしかしたら、当たり前だろ!と思う人もあるかもしれないが、僕には新発見の事実だった。そもそも、これまで『観察』という行為について、真面目に考えたことすらなかった。 なぜ、突然に『観察』が気になりだしたのかと言えば、あまりにもそこかしこで観察することが大事だ、という言説に行き当たり、どうにも観察することから逃れることは難しそ

          『観察』とは無意識を意識化すること