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「マリコ」は続く

「きっと、私たちは、もうひとりのマリコ」



という帯に、読後ギクっとして、思わず「うんうん」とうなずいてしまった。



益田ミリによる、『マリコ、うまくいくよ』(2018年発行)というマンガには、そんなキャッチフレーズがつけられていた。


「社会人2年目、12年目、20年目。同じ職場の3人のマリコたち。」による、いわゆる「日常系お仕事マンガ」。


社会人2年目のマリコ(表紙の一番左の人物)は、

同期の子たちの仕事ぶりが気になる 出世したいわけじゃない だけど、みんなが 自分より仕事ができるようになっていくのは嫌 (p.12)


と思いながら、同期の子とランチを食べている。


社会人12年目のマリコ(表紙の一番右の人物)は、


新人時代はとっくに終っているものの、ベテランというほどの歳月は流れておらず 会社では、なんだか宙ぶらりんです (p.62)


と感じていながら、先輩からのちょっとした注意で「会社辞めたい」と思ってしまう。



社会人20年目のマリコ(表紙で真ん中の人物)は、

結婚しても仕事はつづけるんだって就職活動のときは思っていたのだけれど、働き出してみれば辞めたいと思うことも少なからずあり、
結婚して子供ができたら辞めようかなとも考え、しかし、やりがいを感じるときがないわけではなく、
そもそも、結婚もせぬままなのでした (pp.70-71)



と思いながら、飲み会での「自分の値打ちが下がっている」と感じている。



私はまだ社会人2年目でも、12年目でも、20年目でもないのに、なぜか「ちょっとわかる」と思ってしまった。



なんでだろう?



そんな疑問を解く手がかりとして、特に「女性」というジェンダーにつきまとう様々な「呪い」に着目しながら、この『マリコ、うまくいくよ』を深掘りしたいと思う。


ちょっとずつ、諦めていく「マリコ」


マリコたちのいる会社は、少なくとも営業部と海外事業部があり(マリコたちの職場ははっきりと明かされていない)、


社員食堂があり、「定年まで働くかも」と考えられる程度には安定しているが、



社員から女性も男性も産休や育休が取りづらい思われ、女性の部長が一人誕生すると男性社員からやっかみが入る、ちょっと古い体質の会社。



同じ会社の中で、1年目は終ったけれど、なんとなくこの会社の体質に違和感を覚える2年目マリコ、



年齢と「女性の」価値との間でゆれる12年目マリコ、



後輩たちと会社の体質を達観しつつある、20年目マリコ。



それぞれのマリコたちが、会社の体質とどう向き合っているのか、考えてみたい。


1. 2年目マリコの場合

○違和感を口に出す、人と共有する

 2年目マリコたちはおそらくまだ20代。結婚や出産といったライフイベントを遠くもなく近くもない将来に考えている。2年目マリコとその2人同期(女性)は、カフェのランチ中にこんな会話をする。




(早生まれだと保育園に入るのが不利らしいと聞いて)

マリコ「でも、何月に産んでも仕事つづけるの大変そう」
同期1「自分にしかできない仕事ってわけじゃないし・・・」
マリコ「産休とってまで、って悪い気もする」
同期1「そういえば育休とった男の人っていないよね」
同期2「そんな雰囲気ゼロだよね~」
マリコ(アハハ)
同期2「強制じゃなきゃムリだって」(pp.102-103)


結婚や出産、子育てに対し、「まあこの会社では仕事続けられないだろうけど」というやわらかな諦めが背景にありながらも、周りと不満を共有している。



2. 12年目マリコの場合

○違和感はあるが、口には出さない

 12年目マリコは、1人の同期(女性)と社員食堂でランチをしながら、ふとこんなことに気づく。

(そういえば、女の先輩って少なくなったな)
(女性社員の数は、変わってないのに・・・)
(産休取って仕事つづけられる仕組みなんか、結局、一握りの会社だけだし)(pp.65-66)


さらにマリコは、一握りの会社に入るには学歴が必要で、学歴のためには教育費が必要である、と考えるに至り、

(生まれながらにして産休むずかしいグループじゃんか)<フッと自嘲>
(ここの会社じゃ、100万年たっても女の役員でてこないわな)<ハハと笑う>
同期「なに思い出し笑い?」
マリコ「べつに、ちょっと」(p.66)


と、同期に考えを共有することはなくこの思考をやめる。このあと、この同期とは違う話題に移る。





3. 20年目マリコの場合

○モヤモヤの蓄積

20年目マリコの場合、産休や育休といった話題が出てこない。しかし、この20年のことを振り返りながら、一人モヤモヤする。



入社当時には社員旅行や寿退社があり、旅行には楽しい思い出もあったけど、寿退社って翻訳できるのかなって考えつつ、

まだなくなりそうにない、女子だけに回ってくるお茶当番
女性社員の登場は、
「うーん」
銀河系の中の地球レベルくらいに小さいような気がします
(うちの会社じゃ)(p.115)



マリコは、この後に営業部の先輩桑田さん(後に初の女性部長になる)から困っていることはないか、と聞かれても、大丈夫です、と答える。


20年目マリコは、不安や不満を口にはしない場面も多く、また会社の上司との会話でモヤモヤすることがあっても、笑顔や冗談を飛ばしてその場をやり過ごそうとする。




3人のマリコたちは、会社の中でモヤモヤとする瞬間があっても、社会人経験が上がっていくうちに、自分の中だけで消化しようとしたり、それをうまくかわそうとする「適応力」を身につけていく。(社会人20年目マリコは、それを「筋力」といっている (p.36))





諦める筋力?

社会人2年目のマリコは、育休産休のことについては、同期と不安を口に出す場面があるが、1つだけ、20年目マリコと全く同じような内容を、心の中でつぶやいて消化する場面がある。



それは、出世のこと。



20年目マリコの同期で、課長になる社員(男性)と役職についていない社員(男性)が登場する。


20年目マリコは、「人と人が働く中で生まれる(中略)『共感』のようなものが」(p.23)出世へとつながっていく、と考える。


そんな20年目マリコたちの、「同期の関係」を見た2年目マリコは、新卒一括採用のあと、同期と一緒に「よーいドンで背中を押されている感じ」(p.27)だと考える。


そして、それぞれのマリコはあとにこう続ける。

女には、あんまり関係がなかったりするけれど(20年目マリコ p.24)


女にはあんまり関係なさそうだけど(2年目マリコ p.27)


出世について考えても、女の自分には関係ないことだけれど、つまり、考えても無駄だけれど、というニュアンスがある。



2年目マリコは、まだ仕事を覚えたばかりで、出世の話が身近ではないので「関係なさそう」という想像にとどまっているが、



20年目マリコは、実際に出世している同期がいて、この会社を何年も見てきて一人も女性役員を見ていない。だから、「関係なかったりする」、という、自分の経験上出世の話は他人事になっている。




「思考停止」がやがて「諦め」を内面化する

このやんわりと何かを非難するマリコたちの気持ちを、「思考停止」が積み重なった上での「諦め」、という観点でみることはできないだろうか。



雨宮処凛の著書『「女子」という呪い』を開くと、経験は違えど雨宮の説明がなんとなくマリコたちの状況にも当てはまりそうだ。



***

雨宮は、キャバクラで働いていた20代のころ、男性客と接する中で、「無知」でいることが「可愛い」という価値観が存在することを自覚した。納得はしなかったが、


私はジェンダー非対称性などについて、考えることを放棄した。あえて、思考停止した。それが唯一の防衛策だったから。(『「女子」という呪い』p.26)



男性は無知キャラを求められず、むしろ勉強や仕事ができることが「モテる」ことにつながたっりするのに、なぜ「女子」には求めるのか。だが、そんなことを考えても、どうにもならない、だから思考停止したという。



マリコたちにも似たような状況があるといえる。



男性社員には出世話があるのに、なぜ女性社員にはそんな話が上がらないのか…、考えてもしょうがないけれど。それ以上先は、闇が深そうだ。「女には関係ないから」としておくことで、闇から自分を守ろうとしているのではないか。



だが、雨宮はその思考停止の先にあったものについて述べている。それが「諦め」という感情だったのだ。



40代になった雨宮は、30代の友人・桃子、ともに一人暮らし同士で飲む機会があるが、定番話としてあがるのは「孤独死」のこと。



給料日前には1日100円生活を送るという桃子は、特にお金を使っているわけでもないのに生活はギリギリ。



そんな状態では、老後暮らす不動産の1つも手に入れるのは難しく、人間関係を維持するにも、お金がなければ会いに行くのも難しい。



総務省による「労働力調査」(2020年5月分)によれば、働く女性のうち約半数が非正規雇用。今正規雇用として働いていても、結婚でパートナーの転勤に合わせて退職する場合もあるし、産休や育休から戻っても席はないと会社から理不尽に言われたりすると、キャリアが中断する。男性との収入に差が開き、経済的不安はつきまとう。


私たちは、知らないうちにいろんなことを諦めているんだな。(『「女子」という呪い』p.110)


この「諦め」の果てに決断した「選択」は、ときに「自分の責任だろ」と言われる。転勤族の妻になったのは自分の選択、産休や育休をとったのも自分の選択。



「選択」といえば選択だが、それが自由に選ぶことができる状況下で選ぶのか、限られた選択肢の中で「選ばされている」のか、この二つではその「選択」にずいぶん違いが出る。


デール(2020)によれば、日本において多くの男性がサラリーマンを選び、女性が専業主婦を望むことについて、ジェンダーに関する役割や期待が、日本の制度や「伝統」にまで影響を与えていることに言及した上で、以下のように述べている。


表面的に、自ら選択しているとはいえるが、同時に現在の社会の構造や制度を考えると、その選択へ導かれたともいえるだろう。(デール,2020,p.132)





「女だから、がんばったところでキャリアアップは望めないし、期待もされていない」と思わされる環境で働いているマリコたちは、知らないうちにキャリアアップを諦めるという選択を「させられている」といえる。



マリコたちの、「女には関係なかったりする/関係なさそうだけど」という言葉には、女性のキャリアアップが難しい会社の現状を脱したいが、かといってそれに正面から異議を唱えて立ち向かうとますます風当たりは強くなりそうだし、そこそこ安定したこの会社を離れるわけにもいかない、という、諦めからくる今の選択に揺れていることが読み取れる。



そして20年目マリコの場合、そんな「諦め」が続き月日がたっていくうちに、「女には出世の話は関係ない」という価値観が内面化され、そういうものだという「呪い」がかかっている、ともいえる。



「マリコ」たちを取り囲む様々な「呪い」

マリコたちが直面する「呪い」は、キャリアだけの話ではない。


年齢は「若い」方が、仕事以外の場面で「価値」がある、と20年目マリコは自分の年齢とそれに伴う周囲からの目を気にして感じているし、12年目マリコは、そんな20年目マリコの立場に自分がいつかなると知っていながら、20年目マリコよりも若いことを「武器」にしているところがある。



「マリコ」たちは、社会経験が長いマリコたちを見ながら、「いつか自分もああなる日が来るのか」と思う。



仕事面で想像が付くのはもちろん、年代を超えて女性というジェンダーにつきまとう、様々な「呪い」に半分気づき、半分は内面化されているからこそ、マリコと同じ年齢でもないのに共感してしまう。





マリコたちは諦めない

そんなマリコたちの職場は、マンガの途中まで「女役員がいない会社」だが、ついにマリコたちの頼れる先輩、「桑田さん」が営業部の部長になる。



社内からのやっかみ(ここでは男性社員からのみ語られる)がひどく、3人のマリコたちはそれにがっかりする。しかし、マンガの後半で、自分たちの「未来」のために動き出す。(詳しくは本編をお読みください)




『マリコ、うまくいくよ』は、3人のマリコがそれぞれの年代特有の悩みや不満を描きながら、



一方でどの年代にも存在する、「女性」というジェンダーに絡む「呪い」

について、マンガの向こう側にいる「マリコ」たちに問いかけている。



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あとがきと「マリコの前日」のあとがき

社会人になってから、それまでぼんやりとしていた「人生」という言葉が、「人!!!生!!!」くらいの勢いで迫ってきた感じがします。



『マリコ、うまくいくよ』のマリコたちの、ぼんやりとした不安は曖昧だからこそ「わかる気がする」という気分になるし、逆になんで「わかる気」がしてしまうのか、この記事では「ジェンダーにつきまとう呪い」という観点で改めて考えてみました。他の観点から考えてみると、また違った見え方がするかもしれません。



そして先日、「マリコの前日」というタイトルで、一本エッセイを書きました。お気づきの通り、「マリコの前日」は、この記事冒頭の『マリコ、うまくいくよ』の帯「きっと、私たちは、もうひとりのマリコ」という言葉に影響されて書きました。社会人0日目の「マリコ」です。




そして、「磨け感情解像度」という私設賞に「マリコの前日」を応募させていただいて、佳作に入選しました!やったー!



「マリコの前日」も、このコンテストがなければ書いていなかったと思いますし、この記事で、「マリコの前日」の原作(?)について深く考えてみようと思わなかったと思います。



この場を借りて、読んでくださった皆様、「磨け感情解像度」というコンテストを設けてくださった入谷さん、コンテストを盛り上げてくださった皆様に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。


おわり


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参考文献

デールSPF(2020)「第6章 日本の女性は専業主婦、男性はサラリーマンになりたいのか」,ガイタニディス・ヤニス 小林聡子 吉野文編『クリティカル日本学 共同学習を通して「日本」のステレオタイプを学びほぐす』.明石書店,pp.119-134.


参考資料

総務省統計局『労働力調査(基本集計) 2020年(令和2年)5月分結果の概要』<https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/pdf/gaiyou.pdf>(2020年7月26日閲覧)

雨宮処凛(2018).『「女子」という呪い』.集英社.

益田ミリ(2018).『マリコ、うまくいくよ』.新潮社.











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