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『東京の生活史』感想 7人目 & 2023年総締め

<7人目>2023.12.31 読了

 駅からも遠いこんな田舎で、しかも大晦日にガストに来る奴なんか居るのだろうかと思って店内に入ったら、やっぱり少なかった。猫型配膳ロボットの頭を撫でるとニコニコするらしく、撫でてみようと手を翳したらさっさと行ってしまった。

 朝から自分の部屋の大掃除をした。何年も着ていない浴衣を捨て、子供の頃集めた石英のような鉱物を捨て、雨の跡がたっぷり付いた窓を拭いた。

 私の部屋には物が多い。一年に一度のタイミングで「あ、これはもういらないな」と思った物をどっさり捨てる。いらない物を捨てれば、この部屋が自分の好きな物や必要な物ばかりになれば、もっとこの部屋が好きになるのではないかと思って毎回やってみるのけど、やっぱりこの部屋にいることができない。私はこの部屋を好きになることはないのだろうと今日思った。


 2023年にやり残したことと言えば、『東京の生活史』感想の7人目である。12月の頭に1編読んで、noteに感想を書こうと思っていたのだけど、転職活動やら何やらに押されて大晦日を迎えてしまった。しかし自分の部屋で書くのはたぶん無理なのでこうして人の少ないガストに来たというわけ。


「長くできてすごいね」じゃなくて、優しさと、惰性と妥協と、で、続いてしまったってだけの話ですね。自らの意思で進んだ一〇年じゃない


 語り手は、東京都目黒区祐天寺生まれ。蘇生が必要な状態で生まれる。母親は銀座のクラブを経営、16歳離れた姉がいる。習い事の多い小学校生活を過ごす。中学校で習い事は全て辞め、地元の塾に通う。都内で下から3番目の高校に進学。北海道の短期大学に進学。2年留年し、卒業。友人の誘いでエレベーター内の案内の仕事に就職。10年ほど勤務している(インタビュー当時)。数年前に母親から、自分が政治家の隠し子であることを告げられる。


 今年の11月末頃から私は転職を考え始めたのだが、私の場合、惰性と堕落と怠惰で続いてしまった3年である。「私、なんで仕事辞められないんだろう」と思っていた時、ふと帰りの電車の中で読んだのがこの1編だった。短期大学なのに2年留年しちゃって、「結果的に四大になった」という聞き手とのやりとりで思わず吹き出した。

 この語りからは、何というか、「こだわり」みたいなものを感じない。自分の人生について流れに身を任せるというか、現れたものを一つ一つ退けながら乗り越えた先に今がある、という感じ。10年続けているエレベーターの仕事も、当時の友人から紹介されて出会ったと言う。

「自分らしさ」「個性」「やりたいこと」「私が○○する理由」。生きてるだけで「私らしさ」が求められがちなこの時代に、淡々とした人生談を聞けるのは面白い。

 語り手はエレベーターの接客の仕事を元々苦手としていたのに、他の接客業の技を取り入れて克服した。しかし、それも「必然的に必要なことだからやってった結果で、俺は別になんも努力してない」(p.155)と言う。私からすれば、そこまで思い入れのない仕事に対して、より良い結果を出すために試行錯誤することは誇るべきことだと思うけれど、そこをサッパリ語っているのが格好良い。

 語り手は、本インタビューを「政治家の父親への存在証明」と位置づけていたけれど、私はきっとこの先、「あーあ、また続いてしまった」と現状への焦りや自責の念に駆られる時、この語りをことを思い出すだろう。


 流れを受け止めながら乗り越えていくのもまた人生なのだ、と。

 2020年から毎年、大晦日に「今年のまとめ」的な記事を書いている。

 これも別に「絶対に大晦日に書こう!」と意気込んだわけではなく、なんとなく書き始めたら4年目に突入した、という流れの結果である。

 「流れに身を任せ」というのは今年結構あって、休職して、今の職場に復職したのも「復職してみる?」と会社に言われて「流れに任せてみたら?」とカウンセラーに助言されて「転職や退職の決断をできるほど元気もないからそうしてみるか…」という超受け身的思考の結果である。

 だけど、そんな流れに身を任せた1年の中にも、「小説を書ききる」や「同人誌を出してみる」は、自分の中の「こだわり」がぶち抜いた出来事で、私はこれらの過程で感じたことを大切にしたいと思った。

 来年も、同人誌を1冊は出したい。小説を通して文字にした世界は、「自分の存在証明」になると、今年の自分が教えてくれたから。


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引用文献

岸政彦 編(2021).『東京の生活史』.筑摩書房.

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