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『東京の生活史』感想 6人目

<6人目>2023.11.5 読了

 前回から少し間が空いてしまいました。今月から、また再開していきます。

 昨日は眉毛サロンに行き、今日の朝は美容院に行った。

 こう書くと週末メンテナンスOLのように読めるが、2日連続でサロンに行くことなど、滅多にない。滅多にどころか初めてだ。眉毛サロンはもちろん初めてだし、美容院も半年に一度の縮毛矯正をするために行った。全ては週末の文学フリマのためである。

 そもそも、美容院に行くのはあまり好きではない。美容師となんか喋んないといけない感じになるし、施術中はちょっと退屈になる。

 普段眼鏡の人間ならわかると思うが、カットのためにメガネを外すと、字が読めない。美容師が置いてくれた雑誌も、目を近づけないと細かくは読めず、誌面を飾るモデルたちの輪郭をなんとなく目で捉えながら、パラパラめくって終わる。いつも3冊くらい用意してくれるが、興味のない雑誌もあるので、毎回1時間もせずに読み終わってしまう。

 今日もまた、最初の30分で読み終わってしまった。3冊のうち1冊は明らかに先々月号ので、モデルがみんな涼しげな格好をしていた。いくら先取りしてなんぼの雑誌でも、先々月号ではちょうど良いどころか季節遅れだ。

 重く分厚い雑誌を閉じ、顔を上げた。鏡には、輪郭がぼんやりとした自分の顔が映っている。ぼんやりしているおかげで、毛穴や肌荒れなんかも見えなくなり、綺麗になったのではないかと錯覚する。昨日整えてもらった眉毛は、思ったよりも細くなっていて、平成のドラマに出ている俳優を思い出させた。

 担当の美容師の方には、もう3年ほど切ってもらっている。指名している理由は、カットの仕方が好きなのもあるけど、無理に話しかけてこないからだ。施術中、1回くらいは美容師の義務?で話しかけてくれるが、1度会話が途切れると後は淡々と切られる。別にそれで良い。

 縮毛矯正の薬を付けて洗い流した後、2cmほど髪を切ってもらった。鏡台に積まれた雑誌を再び手に取ることはない。そのかわり、美容師の方の手捌きを眺める。

 パシッパシッと細い鋏で切っていく手には余計な力が入っておらず、アイロンをかけると自分の髪とは思えないほど艶やかで、まっすぐになる。いつも雑誌に飽きると、ぼんやりその技術に見入ってしまうが、あまり凝視するのもあれかと思い、鏡台に置いたスマホを立ち上げる。

 電子書籍の「東京の生活史」は、文字がでかい。その分スクロールは多いが、拡大して読む必要がないので、目には優しい。

 青いリンク文字となった目次を、右にスクロールしながら目で追っていく。ちょっと気になったタイトルがあったので、右手の人差し指でタップした。

※引用ページ数は、紙媒体のものを記載。


うちはちゃんと四角いから好きなんですよね。正方形か長方形の部屋だけで構成されている家っていうのはレアだったりするので

 語り手は、1985年、横浜市生まれ。3歳まで横浜で過ごした後、18歳まで川崎市で育つ。母、父、兄、語り手の4人家族だが、父は海外駐在が多く、兄は語り手が12歳の時に独立。6年ほど母と二人暮らしをする。高校は、国際系の高校に通う。大学進学と同時に実家を出る。持病の喘息が原因で体調を崩し、大学を中退。通信制の大学に編入。卒業後、世田谷の人材研修の会社に就職、川崎のアパートから通うが、1、2年ほどで退職。3年ほど職を変えながら働いた後、個人事業主となる。結婚後、東京に引っ越す。妊娠を機に、仕事をやめる。現在は、子供を育てながら、アルバイトをしている。

 全然関係ないが、1985年生まれ、というのは私の好きなアーティスト、セカオワのメンバーの生まれた年(Fukase、Nakajin、DJ LOVE)なので、おお〜、となった。しかも、彼らは大田区の出身のため、川崎とも近い。かの「スターライトパレード」という曲は、川崎の工場夜景を舞台としている。全然関係ない。


 語り全体から読み取れるのは、持病の喘息が、語り手の人生に大きく作用したこと。喘息が、母との関係にも作用し、高校での留学の道が途絶えた原因を作り、大学の中退も経験し、就労にも影響を及ぼしている。その思い出のほとんどは川崎であるが、彼女は暮らした街のことをとても愛しているようだった。

便利だし、その「ほろーん」っていう感じが好きだったんですよね。

p.322

 「ほろーん」の意味はよくわからなかったが、きっと彼女の街は「ほろーん」って感じなのだろう。なんかほのぼのしていそうだ。しかも、駅近で全てのものが揃うコンパクトさや、夜遅く帰っても営業している店がある安心感は、よくわかる。私は生まれた頃からイオンが近くにあったのだが、小学生の時は、お菓子も、漫画も、CDも、映画も、プリクラも、全てが揃っているイオンが好きだった。今でも、駅ビルやショッピングモールに行くと、どこか安心する。私の話も全然関係ない。

 語り手は、一貫して淡々と、冷静に語っているように感じられた。人生を通してあまり体調が良くないこと、かつて母親との間に児童相談所を挟んだこと、自分がADHDであるとわかったこと。それらが話題の中心ではあったが、それらは事実として既にある上で、「じゃあ自分はどうしたいか」という、先を見ながら話しているような、そんな感じがした。目指す方向が明確にあって、「自分が今大切にしたいこと」が見えている姿が、かっこいいなと思った。

 語り手は結婚後、住み慣れた川崎を離れ、東京に引っ越す。タイトルに、「うちはちゃんと四角いから好きなんですよね。正方形か長方形の部屋だけで構成されている家っていうのはレアだったりするので」(p.322)という言葉が選ばれた理由は、なんとなくわかる気がする。この部屋は、おそらく東京の、彼女が新しく作った家族の部屋のことで、ここの語りはとても明るい声だったのではないか?と読みながら思った。

夫の会社の近くに移ってきたという感じです。東京のオフィス街の隙間に埋まっているような家です。すごいちっちゃいんですよ。向かいも大きいオフィスビルだし脇にもオフィスビルがあって。その中にちょいちょいタワマンとか、ちっちゃいマンションがあるんですけど。その中でひときわちっちゃいマンションに。<中略>
 狭いマンションの暮らしがすごい気に入っていて。まず、ちっちゃいのが良いなと思っていて。

p.322

 語り手の彼女にとって、東京は「新しい家族」と暮らす、「新しい街」なのだと思う。だけど、別に彼女の生まれ育った家族や、かつて暮らした街と縁が切れたわけじゃない。引き継いでいきたいものは持ち越しつつ、目指す方向のために今できることやっていく。それが彼女のスタンスなのだろう。

 東京は、彼女が愛を込めて「ちっちゃい」と呼ぶような、素敵な住処を彼女に用意した。その部屋に、明るくて暖かい日差しが注いでいる様子が目に浮かぶ。


 今週末、11/11の文学フリマに出店します。良ければ!


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引用文献

岸政彦 編(2021).『東京の生活史』.筑摩書房.

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