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仕事だけが自己実現なのか

自分を表現する、自分を高める、自分らしくいる…そういった類の本には、必ずといっていいほど「仕事」がある。

今や共働きの家庭は約7割に及ぶ。働いてない妻の方が珍しい。

国民の三大義務に「納税・労働・教育」がある。働かざるもの食うべからず。という古い諺もある。

実際問題、働かなくては生きていけない。生きるために働く。

生きるために仕方なく働く人もいる中で、仕事にやりがいを見つけて楽しみましょうと提唱される。

確かに、どうせやらなきゃいけないことなら楽しんでやれたらいい。でも中にはそうでない人は大勢いる。終身雇用は無くなってきて、転職の時代だけど、そうも簡単にいかない人もいる。乳児がいると転職がままならない友人の話も聞いた。

私は、これといったキャリアがない。営業企画やデザインや調剤事務など色んな仕事を経験してきているが、持病の都合で、ひとつの職場にいたのは長くて4年弱だ。

今は乳児を育てているし、以前は扶養内パートだったので育休手当などもない。完全な専業主婦だ。

子どもが幼稚園に入ったらパートするかもしれないし、もう1人子どもを産むかもしれない。デザインを勉強し直して、在宅でもできる仕事をするかもしれない。今の段階で明確なビジョンはない。

夫婦共にそんなにたくさんお金を使わないので、贅沢をしなければ教育資金とプラスαで貯金はできるので、今すぐ働かなきゃいけない必要にも迫られてない。

かといって、「働いてない自分」にコンプレックスを抱いてもいない。

以前はこれが強かった。結婚はしていたけど、子どもがいなかったし、いくら障害者手帳持ちとはいえ働いてない自分というのは、すごくダメな人間な気がしていた。同じ立場の他人にだったら、ダメな人間など思わないのに、自分にはそういう烙印を押してしまうのはなぜだろう。

今、家には乳児がいるし、家事育児に追われているので、そもそも仕事のことまで考える余裕がないのはある。

でも、評価軸を他人にしてしまっていたのは大きいと思う。仕事をしていてもしていなくても、私は私だ。

近年、「FIRE」や「サイドFIRE」というものが流行っている。
FIREとは、経済的自立したまま早期退職するという言葉で、仕事をしなくても貯蓄や資産運用で収益を得ながら生活することだ。
FIREには莫大な資産が必要だし、なかなか実現できる人は少ないので、サイドFIREならと目指す人の方が多い。
サイドFIREは、貯蓄や資産運用の収益をメインに、好きな仕事を無理のない範囲でやる。

こういった、仕事をしないことを目指す人もいるように、仕事だけが自己実現ではないと思う。

形が仕事にしろ趣味にしろ、自分のやりたいことをやれている、またはそれに向かって努力できていることこそが自己実現ではないのか。

心理学者マズローによる欲求階層説によると、人の欲求は5段階に分けられる。

下の階層から、食事や睡眠などの「生理的欲求」、「安全の欲求」、家族や仲間などの親和関係を求める「愛情と所属の欲求」、他社に認められて尊敬されたい「承認の欲求」。そしてこれらが満たされると最終的に、より創造的な目的を実現しようとする。これが「自己実現の欲求」だ。

例えば、初めは周りに認められたくてピアノに取り組んでいたとしても、ある程度上達すると、ピアノの演奏自体が楽しくなる。するともっと美しい音色を奏でたい、もっと創造的に表現したいと思うようになる。

それは自分の精神の成長だ。他人の評価に依存していない。これこそが、自己実現の欲求である。

マズローは「人間の究極的な欲求は、自己実現の欲求だ」という。全力で何かに打ち込み、人生の真の目標を悟った時、至高体験を通じて自己実現が可能になると主張している。

人生は長い。
この自己実現の欲求を満たすために、人は日々生きているのかもしれない。

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