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なんでも、かんでも、教育!!??    (高梁川ミーティング2023からの〜)

最近、どんな話をしていても、最終的にここに辿り着く。
「結局、教育なんよ!教育を変えないと日本は良くならないよ!」

教育のせい??

言いたいことはよくわかる。子どもの頃からの習慣や考え方はなかなかアップデートしづらい。だけど、教育のせいにしたって、現状は変わらないし、教育をどうにかしようとする人もあまりいない。

高梁川ミーティング

この日は雨が降っていた。2023年5月13日(土)
テーマは「変わる教育」。
どんな話がされたのかをまとめる気はないが、この時間を通して、私は何を思ったか、私のできることは何かを考えた思考の断片を、思い出せる範囲で記述していく。

教育は誰のもの?

「教育」と名がついていると、教育関係者しか来ない。今回は高校生たちも参加していた。これは良かった。
登壇者から言われてハッとしたことがあった。
教育は、先生や学校、教育委員会、文部科学省のものではない。
責任を押し付けるのはもう、やめよう。
教育は、「大人の責任だ」

そうだったのだ、私の責任だ。
では、私に何ができるのだろう?
ただ私は教師ではないので、学校の中で何かをすることはできない。
では、学校の外で何ができるのか?

「政治」に似ている

この構造、「政治」に似ている。
議員ではない私には政治は変えられない。
と思い込んでいる。そして「政治」に対して意見(文句)を言う。
文句を言うのはやめて、体を動かせ、金を使え!

私にできること1

なんかやる大人に地域でお金を出す。
具体的には、コミュニティ財団を作る。
ちょっとのお金をみんなで出し合い、財団を作る。
確か300万円以上の額から財団は作れるはず。

ほんの少しでいい。
地域で八百屋をやりたい。
よし、みんなで100万だそう。
ここに子どもたちが関わることは必須。
ごまかしが効かない、大人のチャレンジ。
なんで、八百屋やるの?野菜美味しいの?
スーパーじゃダメなの?
率直な質問がどんどん浴びせられる。

小さな違和感に気付くようになる。
大人がやっていることが全て正解ではない。
むしろ不正解だってたくさんある。

学歴至上主義は親の問題

なんだかんだ言っても、偏差値さえ高ければ、
なんとかなる。給与が安いと言ったって、高い方にいられる。
だから、結局、学力は死守したい。
と思っているのは、親だ。
そういう社会で生きてきたし、そういう社会で苦しできた。
どうやって手放すか。

私にできること2

子どもとたくさん話すこと。
答えのない話をずっとずっと、話す。
この時間が少なすぎるんだと思う。
だから、私は成果を求めず、話す時間をとりたい。
私の話もする。あなたの話も聞かせてほしい。

私にできること3

自然へ連れ出す。
自然は何と言うことはない。
私の場合だと、畑だ。
畑がどういう場所で、どんな存在なのか、
語る必要なんて全くない。ただ、そこにいて、そこで作業をするだけ。
そこにいることが大事。
何も感じていないように思うが、作用が生まれる。

私にできること4

企業の採用に携わりたい。
企業は本当はどんな人と働きたいのか。
わかっているのだろうか?
標準化された「いい人材」を求めていないだろうか。

学生は求められる「いい人材」になろうと努力してないだろうか。
本来の自分なんてものがあるのかどうかはわからないが、
もっと話せばもっと見えてくるように思う。

私にできること5

高梁川志塾は5期を終わり、100名近い卒業生を輩出した。
この人たちこそが我々の宝。
地域知、地域史をつむぎ、つなげていく。
まだまだ学びはたくさんある。
誰かがどこかで一生懸命に何かをやっている。
その気配を共有しよう。
時にはのぞきに行ってみよう。
え?誰だっけ?って言われてもいい。同じ志塾の人間です。
たったそれだけで、仲間になれる。

私にできること6

なんかモヤモヤするじゃないか。
このモヤモヤはモヤモヤしながら生きていこう。
そして、あなたの意見を聞こう。
きっと答えとはならない、違和感を与えてくれるだろう。
きっと、明日につながる、モヤモヤに。





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