スクリーンショット_2019-04-15_11

呑み会での女性と若者に対する「取り分け強要文化」、平成で辞めにしませんか?

「平成最後」という言葉が浸透して、はや幾霜月。
フレーズのキャッチーさと、ほどよいエモさ、「平成最後」を口実に何かワイワイしたい人たちが多用していたが、いよいよ「平成最後の平成最後」がやってきた。

(「平成最後の」ってよく言っていた人たちはきっとそろそろ「令和最初の」って言い始めるのだろうけど)

それはさておき、元号が変わり新しい時代を迎えるにあたって、平成で終わらせたい、日本社会に染み付いた謎の文化とか慣習ってあるよなーという話を先日友達としていた。

そこで話題にあがったのが「呑みの席での女性と若者を中心に食べ物を取り分けさせる文化」だ。

結論、僕はこの文化を平成で終わりにしてほしいと思っている。

さぁ、ぼやきを始めるぜ。

女性と若者が対象のチキンレース的構図

呑みの席でこんな場面を見たことないだろうか。

================

50代男性「それでさ〜 田中くんは最近恋(読み方:あっち)の方はどうなの」

30代男性「いやいや、からっきしですよ〜」

50代男性「またまた〜」

店員「お待たせいたしました。こちら、半熟卵とモッツアレラチーズのシーザーサラダです。」

30代男性「は〜い」

50代男性「そんなこと言っちゃってさ〜」

20代女性「……」

20代男性「…………」

30代女性「………………」

20代女性「……部長、お皿、よろしいですか?」

50代男性「おっ ありがと」

30代男性「いい人いたら紹介してくださいよ〜」

20代女性「……(サラダを盛る)」

20代男性「…はっはっは(20代女性さん、ありがとう…)」

30代女性「…ふふふ(20代女性ちゃん、それでいいのよ)」

30代男性「恋してぇ〜〜」

================

年下の人間(特に女性)が、年上の人間(特に男性)に対してサラダを取って分ける、Tボーンステーキを切って分ける、焼き鳥を串から外して分ける。

この辺の、男尊女卑的であり、タテ社会的である呑みの席での謎マナーに苦しんだことのある人も多いのではないだろうか。

まるでチキンレースみたいな「誰が最初に動くか」をお互いなんとなく空気を読んで、時に無言の圧をかけ、探り合ってる若手の男女。

それを当たり前のように「ここは年下がやるだろ」「ここは女性の方が」みたいな感じで、ぬるっと無言で任せようとする年上の男女。

その場にいても、傍から見ていても、決して気持ちの良い場面とは言えない。
誰も手を挙げない小学校のクラスの学級委員選挙を見ているようだ。

鍋ものや大皿ものなど、取り分けが必要な料理では誰かが取り分けるのはわかる。
でも、その作業対象がデフォルトで若手や女性になってしまっているのと、取り分けができない若者&女性は減点されるカルチャーが、いかにも昭和的で不適切に感じる。

20代前半の頃の呑み会でのエピソード


20代前半の頃、何かの交流会の後の飲み会で、利害関係はない、どこかの大きい会社の偉い方が熱心に自分に向けて話をしてくれてたので、「ウムウム」と聞いていた時、横の見知らぬ30代女性から小突かれて、「彼、グラス少なくなってきたわよ」と言われたことがある。

「気づいたあなたがやればええやん…」と思いつつも、ビールをお酌しようとしたところ、

「今、話してるから後でいいよ。それに俺、グラスを完全に空にしてからじゃないと注がれたくないんだよね。あと、次は泡にしようかなって。」

なんというか、もう、グダグダである。

全員いい大人なんだから自分で頼んで自分でやれよ!
ママにやってもらうみたいに一方的に享受してんじゃないよ!
それに利害関係のない場で若者やれよ的な空気をぬるっと出すのやめろよ!
ついでにスパークリングのこと「泡」って言うのも恥ずかしいからやめろ!

ってな具合に、ささやかな社会の理不尽に触れたのが本記事を書こうと思った原体験である。

ここが問題だよ、取り分けマナー

取り分けマナーの問題点を整理してみる。

①女性が対象になっていること

やれ男女平等社会だ、ダイバーシティだを声高に謳いながらも、なんやかんやサラダ取り分けの儀を始め、呑みの席でのディレクター的役割が女性マターになってしまっていることが多いと感じる。

n数は少ないけど、欧米の人と呑む時は、こういうスタイルは見られないなーと思う。
女性も男性も自分で頼んで自分で盛り付ける印象。

マー、女性ばかりに取り分け役を静かに強いるのは実にナンセンスだと思う。

②若者が対象となっていること

「マナーを教える」や「呑みの席でのコミュニケーションのきっかけ」の名目のもと、若者が年上を形式上労い、お酌する文化は根深い。
気のおけない相手とのお酌のし合いは楽しいところもあるけど、女性だから、年下だからを理由にするお酌に僕は価値を感じられない。

会社の呑みの席みたいな利害関係がある呑みの席でも、そうでなくても、基本的に「年下がやる。そういうものだ。」と教えられ、それができない人間はなんとなく赤点をつけられる。
サラダを取り分けられて、ものすごく嬉しい気持ちにはならないが、サラダを取り分けられない女性や若者は、気が利かないやつのレッテルを貼られる。

仏教的な、年上の人を敬う文化的背景や、代理店の接待っぽいヘコヘコにルーツがあるのかもしれないが、年齢や性別、宗教などあらゆるバックグラウンドを持った人がいる中で、すべてにこのルールを適用しようとするのは流石に古いんじゃないかと思う。

たとえ利害関係があっても、今の時代はわかりやすいタテの関係ではなく、パートナーシップ的な、フラットな関係を築く動きがあると思うので、なおさらだ。

年齢や受発注といったガワの関係性や数値を理由にするのではなく、その相手に対してお互いが感謝を胸に気を使い合う関係性こそ理想的だ。

新しい時代になるんだから、理想を語って現実を直視してその埋め方を考えたい。

令和時代の呑み会、こうしたらいいんじゃね?

年齢や性別を理由に一方的に気を使わなくてはいけない人を減らすために、こんな対策できるんじゃね?という案をざっと考えてみた。

①「セルフで」カルチャーの浸透

これは持論なのだけど、イケてる年上の方と呑む時ほど、取り分けようとすると「セルフで!」とか「テキトーにいこう!」と呑み会の頭に言ってくれる印象がある。

この1フレーズ、20代後半の若者からすると、相当にありがたい。

「どちらが上でもなく、下でもない、対等な関係でいこう」という相手に対するリスペクトを感じる。

中には、鍋のような取り分けが必要なものもあるので、それは近い方or先に気づいた方の人間が担当することにして、基本的にはセルフで自由に取り分ける方向性でいいのではないか。

自分の苦手な食べ物が中には入っていたり、あまり多く食べたくない料理なども中にはあると思う。体調が悪くてそんなに呑みたくないのに、やたらと瓶ビールを注がれるのはしんどい。

配慮があった上でセルフで対応すれば、自分のペースや量で食事を楽しむことができる。

中には料理の取り分けを率先することで評価を得たい!というタイプの人もいるかもしれないが、お酌ができたり、サラダや肉を取り分けられたりしたところで、大して評価は変わらないと思うので、同意を取った上で基本セルフでいいと思う。

②菜箸を増やすなどのお店側のオペレーション変更

①で説明したような、客サイドでの対応がメインにはなるけど、本記事の考え方に共感してくださるお店の方には、ぜひとも取り分けのしやすい仕組み作りに注力していただきたい。

例えば、サラダならばトングや菜箸の数を増やすとか、焼き鳥であれば「できれば取り分けずに串のまま食べてください」と書かれた張り紙を貼ったりとか、あらかじめ取り分けた状態で料理提供をするとか。

オペレーションコストはどうしてもかかってしまうのだけど、スタンスとしてもし共感してくださるお店があれば、ぜひ。

さいごに

たかだか呑み会にうるせぇなぁと思う人も多くいらっしゃると思う。
それに、上記の具体策はまるでMECEではないし、根深い文化をアップデートするほどの力はないと思う。
(勢いで書いちゃってすみません。他にこうしたらいいんじゃね?という意見があればぜひ教えていただきたいです)

自分も、基本的に情けないほど気が利かない人間だし、これまでにきっとそういった圧力による「強要」をさせてしまってきたこともあったと思う。申し訳ない。この文章だって、気が利かないやつの言い訳っぽく映るかもしれない。

それでも、今確かにある問題に向き合って、新しい動きをするのに、元号の変わり目はいいタイミングだと思う。

この呑み会のケースだけでなく、
あまり気づいていないけど、なんとなく誰かがしょっぱい気持ちになってしまっている慣習が、少しでも可視化されて、アップデートされていくような、新しくて、やさしくて、気持ちのいい時代になってほしいと願う。

※この記事によって呑み会に誘われなくなったら寂しいので引き続き誘ってください〜!!

せっちん丸のTwitter

サポートをいただけましたら、そのお金で気持ち泡多めのビールとか飲みにいきませんか……!