改名もあり自己紹介文 Part2
初めましての方、知花ちひろと申します。
アタイ2023年7月7日に両親及び親族からの虐待が認められ改名が認められ、戸籍謄本を知花ちひろとする事が出来ました。
アタイは最初noteにて執筆を始めた時は当時の境界性パーソナリティ障害、現ボーダーラインパターンの当事者として、悲しい最期を迎えるだけの人間では無い事の内容、及び日本がどうしたら障害者でもマイノリティでも、何よりどんな人でも生き易くなるかを考え定義して行こうと邁進しておりました。
それは不倫をしていた自分の禊でもあった様に考えます。
しかし、社会的観点から幾つか考えを出す内に、アタイを利用しようとするノーターさんと出会い、心が削られ、自分自身の意義が揺らぎました。
また、障害者が社会的にどんだけ生き易い考えを持ち合わせたとしても、この国の変わる事の無い差別に落ち込むだけでした。
また、何より精神的磨耗となったのは、どれだけ自身が考え実行しても自分は救われない現実から逃避すら出来ない現実で生かされている事に感謝しながら這いつくばって生きるしか無い苦しみに辛さだけが積み重なった事でした。
昨年末、だいたい10月位から今年の5月迄は記憶が朧気でそしてアタイは5月に自殺企図により昏睡状態となり横紋筋融解症となり、現在も臀部の一部の感覚は戻っておりません。
しかし、薬の見直しや死ぬくらいなら何だって自分として生きれば死ぬ事よりマシだと考えられる用に成りました。
過去に囚われ過ぎたり、現在の忌々しい状態や脳みそとの闘いに屈するなら、新たな自分として、一人の大人の女性とし、全決定権は自己にあると呈して生きて行こうと考えられる様に成りました。
その過程で念願の改名が決まりました。
アタイが望、行動し、自分で名付け勝ち得た名前です。
広い心で沖縄の様に強く生きたい。
これが知花ちひろの原点です。
これからは今以上に前向きに、時に後ろ向きでも作品を我が子として出して行きたいと考えております。
当事者目線が多くなる事を恐れておりましたが、芥川賞作家の市川沙央さんに勇気を頂きました。
アタイにも書ける強味をギフトして頂いた気持ちです。
感謝な事です。
新生知花ちひろとして、これからも堂々と心の内をライティングセラピーとしてこの場で闘病記を書き連ねる事もあるでしょう。
しかし、それ以上に読んで下さった方々の気持ちにギフト出来る何かの作品も創り続けられたら幸いに考えます。
自分が例え救われなくとも、それを卑下し苦しむより、それを原動力とし前へ進めたら、それは自身の強味を深められると考えます。
noteと出会い沢山の方々と巡り合わせの中で大変救われました。
沢山の方々に応援のメッセージや背中を押して頂けました事、至極幸せに感じ感謝申し上げます。
この御恩をお返し出来るようにも、これからの執筆に邁進する所存に御座います。
虐待サバイバーであり、ボーダーラインパターンの人間ですが幸せを沢山獲られて生かされている今に感謝しか有りません。
皆様いつも温かく見守り寄り添って下さり本当に有難う御座います。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
アタイがアタイらしく生きる為に
貴方が貴方らしく生きる為に
お互い支え合えたら幸いです。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
感謝を込めて。
2023年7月23日(Sun)星夜
知花ちひろ
宜しければサポートお願い致します。 頂きましたサポート費は今後の作品製作費として大切にさせて頂きます。