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No.706 今日も揺れる「花明かり」

「つはのはな つまらなさうな うすきいろ」
俳人・上川井梨葉(かみかわい りよう、1887年~1946年)の句です。「つはのはな」とは「つわぶきのはな」のことで、「葉に艶のある蕗」がその名の由来とか言います。今を盛りと咲いていますが、あの濃緑色の広い葉っぱと黄色い花との取り合わせ、あるいは低く群生しているところから暗いイメージを演出してしまうのでしょうか。
 
「淋しさの 目の行く方や つはの花」
大島蓼太(りょうた、1718年~1787年)の句も、寂しい季節やうら悲しさとの取り合わせで詠みこまれていますが、それほどに目を引く花の姿を言ったものでしょうか?
 
そのツワブキの花言葉は「謙譲」、「謙遜」、「愛よ甦れ」、「困難に負けない」だそうです。「困難に負けない」とは、日陰で育っていても葉を茂らせられるほどの丈夫さを持っていることから付けられたといいます。また「愛よ甦れ」という花言葉は、日当たりが悪くても黄色の花が際立っており美しさを変えないところから由来していることを「Green Snap」さんのページに教わりました。
 
私の住まいする団地の裏手の雑木林の根元にも一面に石蕗が群生し、今年も満開です。自生のものは海岸に多いと言われます。誰かが、団地と雑木林との山境に植えたものなのかもしれませんが、日陰者のように隅っこの方に生えているので一層暗いイメージがつきまとうのかも知れません。
 
寒さが身に沁み始めた初冬を前に、控え目にひっそりと咲く石蕗の花は、ずっと「つまらなそうな」印象だけを残して、寂しく季節の移ろいを眺めるのではないでしょう。
 
「老いし今 好きな花なり 石蕗の咲く」
生没年が不明ですが、沢木ていという人の句だそうです。「老いし今」になってみると、密やかに、つつましやかに咲くその様が我が身のようでもあり、いっそう愛おしく思えて来たのかなと要らん世話ながら思ってしまうのです。
 
私も馬齢を重ねながら、いつしか親近感を覚えるようになりました。数日前まで昼間は25度前後の暑さが続く小春の陽気でしたので、木陰で揺れる黄色い花が、明るさを増しているように感じていました。しかし、ここ数日のように初冬の寒さが身に染みるようになってくると、ツワブキの表情も少し違って見えます。季節や天候によって、自然の風物に心象風景を投影させてしまうものなのでしょうか。ある意味、自然は心のキャンバスのようです。
 
「つわぶきの花あるところ暗闇と言えど片照るその花明かり」
歌人・須藤若江(1925年~)