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No.643 私の中の亡びざる人

2015年2月17日(火)の大分合同新聞・夕刊「灯」の欄を読んで、「切り抜き」でなく、「書き抜き」したいという思いに駆られました。
 
「夫に先立たれ、再婚していない女性を未亡人とか後家というが、どことなく艶めいた響きを持つ『未亡人』の語源をご存じだろうか。古代中国では夫が死ぬと妻は殉じなければならなかった。未亡人は『まだ死なずにいる人』という意味で、妻がいまだに生き残っていることを恥じて用いる自称だった。だから他人が使うと『あなたはまだ死んでいないのですね』という失礼な意味になる。
 2カ月前に、希少であるために治療法も研究されていない肉腫というがんで夫を亡くした私は新米の未亡人である。心療内科医によると、喪失感と突然襲ってくる悲しみでぼろぼろ泣くのは『喪の作業』に必要なプロセスだということだが、同時進行してわずらわしい手続きをこなさなければならないのは正直しんどい。
 中には銀行口座が凍結され、引き落としができず、本人が死亡しているのに健康保険料を支払わねばならないなどの落語のようなことも起こる。介護保険料については、息子が市役所に問い合わせてくれたところ、日割りにした請求書を送付するということだったが、ずいぶん待たされた揚げ句、届いた請求書には督促状と書いてあった。
 未だ亡びざる人は不快な気持ちを抑え、バラエティー番組『笑ってコラえて』をもじって『払ってコラえて』とつぶやきながら支払いに行かねばならない。」(岩豪友樹子、歌舞伎・舞台脚本家・大分市)
 
新米未亡人と自称する岩豪さんの、ご主人に先立たれた深い悲しみや、銀行や市役所の融通のきかなさ、配慮の足りなさに、遺族の悲しみや情けなさがしみじみ伝わって来るようです。「あるある!」「そうだそうだ!」と。
 
ハード面だけでなく、ソフト面のシステムがもっと見直されるべきではないかとのご指摘は、遺された婦人のご提言と私には思えました。ご主人亡きあと、2カ月が過ぎ、悲しみは深まるばかりだったでしょうに、皮肉な仕打ちも笑い飛ばしてしまうこの脚本家の芯の強さ、とどめの一文にシビれてしまいました。
 
その岩豪さんが、2021年8月7日、65歳で急逝されました。1991年、35歳の若さで新作歌舞伎脚本の公募作「大力茶屋」が初入選して以来、数々の作品を世に送り続けてきました。2020年には大友宗麟生誕490年記念事業として手掛けられた新作ミュージカル「SORIN~我が青春の大友宗麟~」を発表しました。 大分愛にあふれるこの舞台を、2021年8月12日から大分市ホルトホールで上演する予定だったそうで、その直前の訃報に、リハーサル中の団員の無念さ悲しさが伝わるツイートを読みました。
 
岩豪さんは、大分市在住の舞台脚本家で、歌舞伎の脚本も執筆される中、地元の大学で「脚本研究」と歌舞伎を中心にした「芸術文化論」の講義を持たれたり、まんが大賞の審査員を務めたりと、多忙で幅広い活躍をしておられました。「物腰の静かな方で、不慣れであろうマンガの審査にも誠意をもって臨んでくださった。」とは関係者の言ですが、お人柄がにじみます。

 ご主人をなくされて6年目、その若さゆえに、岩豪さんがどんな文芸の世界を花開かせてくれるか、今後の作品を期待するファンも多かったでしょうが、二度と叶わぬ夢となりました。ひたすら、ご冥福を祈ります。
 
大分合同新聞「灯」欄に書かれた、銀行や市役所の融通のきかなさ、配慮の足りなさに、遺族の悲しみや情けなさがしみじみ伝わって来たあの記事から7年が経ちます。「提言」は「遺言」にかわってしまったように思えます。行員や公務員の皆様、彼女らの溜飲が下がる、そんなシステムに変更できているのでしょうか。

※画像は、クリエイター・ぴよまろさんの大友宗麟像(大分駅前)です。使わせていただきましたこと、お礼申します。