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No.605 教え子の忘れられないお爺ちゃんのお話

今から18年前の2004年(平成16年)編纂の「現代学生百人一首」(東洋大学)という冊子の中に「秀逸作品」の紹介があります。高校生らしい瑞々しい感性とはこういうことを言うのではないかと思わせます。

「悲しみを薄めたやうな色合ひの入浴剤を今日はためらふ」
(長野県・伊奈西高等学校・3年女子)

「数学は叶わぬ恋に似ています見えぬ答えに翻弄されて」
(岩手県・水沢高等学校・3年女子)

「周りよりゆっくり進む舟ですがあなたの言葉が私の舵です」
(青森県・第一養護学校・2年男子)

さて、同じ冊子の秀逸作品には、こんな一句と選評もありました。
「初めての期末考査を前にして妻の夜食に一息いれる」
(茨城県・下館第一高校・1年男性、60歳)
選評…「期末考査」と「妻(の夜食)」という素材の組合せは、これまでは教師の側のものだっただろう。「期末考査の採点をしながら妻の夜食を食べる」、「期末考査の試験問題を作りながら」というのがこれまでの情景ではないだろうか。しかし、これからはこの歌のような情景も考えなければいけない。作者は60歳の高校1年生。初めての期末考査に緊張して、試験勉強に取り組んでいるのだ。そこに運ばれてきた妻の夜食。一息入れる私。学ぶことの喜びと、緊張感が伝わる一首である。」(造酒委員)

私は、1981年(昭和56年)から地方の私立高校に勤め始めました。最初の年に受け持ったのは2年生38名でした。その中の一人の男子生徒は、家庭の事情があって、祖父母に育てられました。彼は、勉強嫌いでした。

PTAの学級懇談会があった時の事、凛とした姿のお爺ちゃんが参加して、こんな話をしてくれました。
「私の孫は、中学時代、勉強はそっちのけでした。難しい年頃で、なかなか言う事を聞くもんじゃありません。そこで、孫の高校入試を機に、『私も高校に入って孫と競い合ってみよう。そしたら、やる気を起こしてくれるかも知れん。』そう思って、私は定時制高校に入学しました。今は、孫と同じ高校2年生です。」

聞き終わった後、参加者から大きな拍手が起こりました。お爺ちゃんの意気軒高さに気圧(けお)されながらも、孫への愛情の深さ、志の高さに誰もが心打たれたからです。

ところが、現実は甘くありません。人間味のある心の優しい子に育った彼でしたが、いざテストとなると、からっきし意気地が出ません。仲間たちから「爺さん」と呼ばれ親しまれた彼でしたが、お爺さんの頑張りを見、叱咤激励を受け、薫陶よろしきを得ながらも、最後までお爺ちゃんには敵わなかったそうです。

「初めての期末考査を前にして妻の夜食に一息いれる」
の句を読むと、お婆ちゃんに支えられながらも気骨ある生き方をしたお爺ちゃんのことが思い出されます。孫を思っての再びの学生生活でしたが、苦しさの中にも学問の面白さや奥深さに気づいたことでしょう。

そのお爺ちゃんが何年か後に亡くなったという事を、卒業生から教えられました。人生の後半生は、孫のお陰で喜怒哀楽の振れ幅は大きくとも、張りのあるものだったでしょう。私はその夜、したたかに飲みました。