見出し画像

No.720 雪のお話二つ

雪の便りが聞かれる季節になってきました。「雪」というと、このいにしえの話をしたくなってしまいます。どうぞお付き合い下さい。

平安時代末期から鎌倉初期にかけて藤原俊成・定家父子は、当代歌人を代表するほどの優れた歌詠みでした。その定家の日記『明月記』の1204年(建久4年)11月30日の条に、「遅明」(夜明け)の頃だったそうですが、父俊成の臨終の事が書かれています。

付きっきりで看病していた俊成の娘の健御前(けんごぜん、定家の姉、建春門院に仕えた女房)に、俊成が今はの際に、夜中に降った雪を所望したそうです。健御前が差しだすと、大層喜んで何度も食べたと言います。
 
その臨終の時にあっても、俊成は、「雪」を「めでたき物かな」「猶えもいはぬ物かな」「おもしろきものかな」と言いながら口にしたそうです。雪は、天からの清い贈り物として俊成の末後の水となったのでしょうか。俊成は、91の長寿で没しました。
 
もう一つ「雪」の話がありますが、これは皆さんの方がよくご存じかも知れません。
 
藤原俊成没後、718年の1922年(大正11年)11月17日、宮澤賢治の妹・トシが若くして昇天しました。朝から霙(あめゆじゅ)が降っていました。トシは、激しい熱と喘ぎの中から
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
(雨雪を取ってきてちょうだい!)
と賢治に頼みます。彼は欠けたお椀をもって曲がった鉄砲玉のように霙の中を飛び出して行きました。そして、気づくのです。
「ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ」

そんな兄への思いやりを死の間際になっても忘れない彼女は、こうも言うのです。
「うまれで くるたて
 こんどは こたに わりやの ごとばかりで
 くるしまなあよに うまれてくる」
(今度生まれてくるときは、こんなに自分の事ばかりで苦しむのではなく、人のために苦しめる人として生まれてきたい)
 
信心の厚い人だったのかもしれませんが、何という人間愛と奉仕の心の強い人だったことでしょう。賢治は「つややかな松の枝」に降り積んだ「あめゆじゅ」を妹のために取ってきます。トシは、喉を潤して旅立ちました。24歳でした。

今年は、トシの没後100年目です。地元では、
8月20日(土曜):まなび学園(生涯学園都市会館)
9月17日(土曜):菊池捍邸(花巻市御田屋町)
10月15日(土曜):まなび学園(生涯学園都市会館)
11月27日(日曜):茶寮かだん(花巻市花城町)
と4回にわたって「宮澤トシ没後100年記念行事」が行われたそうです。故郷の人々からいかに愛されているかがよく伺えます。

彼らにとっての「雪」や「霙」は、命の火の消える間際に天から届いた聖餐だったのだろうと思います。

「雪」は「雪(すす)ぐ」 私の何を雪ぐため みぞれ静かに降ってくる朝
 歌人・俵万智

※画像は、クリエイター・風花会那さんの、タイトル「冬景色」をかたじけなくしました。ハイマツに積もる雪化粧とか。お礼申します。