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No.1016 石っこ文(ふみ)ちゃん

静岡の畏友が、一隅を照らす郷土史の研究書(私家版、150部)を上梓しました。『神々に訊ねよ~旧芝川町内房の石造物を核として~』(2023年9月20日刊、フジ印刷)がそれです。郷土にある「馬頭観音の石像」に魅せられ調査するうちに、石像全体を俯瞰する作業にまで発展し、郷土の石の文化をみごとにまとめ上げた本です。
 
その読後感想です。お目汚しだったら、ゴメンナサイ。

「人馬一体の時代があった。馬と人の暮らしから、郷土の『馬頭観音』が馬と人との密接な関係を示し、馬に感謝して馬の霊を祀ったものであることを、その足を運び、その目で見、その手で触れて再確認した。それは、先人の足跡を辿りつつ、新たな石像の発見紹介につながった。

 ところが、研究者魂は、路傍の石だけでは飽き足らず、あらぬ方へと触手を伸ばすことになる。順不同かも知れないが、馬頭観音の次は、庚申塔、そして、力石、さらには巡礼碑、そして句碑・歌碑、果ては石造物全体へと広がりを増し、『石っこ賢さん』(石に詳しい宮沢賢治の愛称)ならぬ、『石っこ文ちゃん』と呼ぶのがふさわしい、内房の石の表情をつぶさに知る大御所となった。文字通り、意思の堅い男である。

 しかも、件の男の調査研究の情熱は、火に油を注ぐが如くであり、延々と燃え盛り、とどまるところを知らない。内房の様々なお祀りや、個人宅のお稲荷さん、集落ごとの山の神様と、石にまつわるものを漏れなく徹底調査して、内房の石の魅力と石に守られた地区であることを、かくも分かり易く多くのカラー写真で可視化してくれた。

 大学生の頃は、静岡出身なだけに『かったるい!』『~だら!』が口癖だった。ナイーブ君が歩いているような、すぐに眉間に皺を寄せる痩身の男であった。しかし、今、ポッコリお腹もご愛嬌の堂々とした体躯となったのは、彼が地域を愛し、地域に育てられ、地域に癒され、地域から活力を与えられたからだろう。

 彼は、この偉業をもって、郷土へのお礼をしたのだろうと思った。それだけではない。冒頭に、今は亡くなられたお兄さん(深澤幹雄氏)と横手の観音様の周辺を掃除に行く話が書かれているが、故人の供養となったようにも思う。また、思い出深い人々やお世話になった方々の名前を記すことで感謝の意を表そうとしたのだと思った。情の厚い男である。

 先人の業績は有り難いものだ。彼にとって芝川町教育委員会と町文化財審議委員会が発行してくれた町誌は、唯一の拠り所であり指南書だったことだろう。さらに『あとがき』にあるように、澤田政彦師との知遇が、研究の強い後押しとなり、本書完成の意義を決定づけてくれたと言えると思う。『歩く、見る、触れる』という実地踏査を厳しく重んじる師の研究態度を彼は誠実に貫き、385頁にも及ぶ大作を世に送り出したのである。

 彼は、自分の家だけでは飽き足らず、町史の研究でも一隅を照らす立派な碑を建てた。これに続く人々は、必ず彼の研究に多大の恩恵を受けながら、その研究碑の前に深々と頭を下げることだろう。そして、そのお陰で新たな研究の糸口を見つけることだろう。

 10年の間には、体調の万全でない時もあっただろう。天候に左右され調査を中断することもあっただろう。それらを、腐らず、筆を折ることなくやり遂げた彼を、大学の友として誇りとするものである。心からの祝言を申し上げたい。」

その学友・畏友の名は増田文夫と言います。
「石っこ文ちゃん」と呼んでやって下さい。


※画像は、彼の著した『神々に訊ねよ~旧芝川町内房の石造物を核として~』の表紙です。神々の声が詰まった労作であり、彼の渾身の作品です。