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No.1127 独りごちて…

定年退職して11年目を迎えます。運動らしい運動なく、散歩が唯一の軽~い運動です。悪い汗(冷や汗)はかきますが、良い汗をかくことは、ほぼ無くなりました。
 
それかあらぬか、すっかり体力が落ちてしまったことを知ったのは、今月の初めです。安曇野を訪れた時に、孫と一緒に縄跳びをしました。二重跳びのコツを教えてやろうと勇んで外に出たまでは良かったのですが、二重跳びはおろか、普通の縄跳びが14回しか出来ませんでした。
「ウッソー!」(心の声)
そう思って、何度か挑戦しましたが、現実の厳しさは火を見るより明らかです。感情ばかりが飛び跳ね、体は全く跳べません。
 
こうなったら、家の中に設けられた「うんてい」(雲梯)で孫と勝負して目にもの見せてくれようと、ガッシと掴んでぶらさがりました。きっと、アンコウの吊るし切りのような格好だったことでしょう。そして、思いのほか、長野は引力が強いと実感しました。
 
わが身の重さに耐えかねた両の上腕二頭筋は10秒でプルプルと悲鳴を上げ、1歳11か月の孫に大差で負けました。ブーッ!チーン!ショボーン!ガッカリ!…です。
 
大分に戻り、非常勤講師の三学期が始まりました。ノート型パソコンを肩にかけて出勤しようとしたら、なぜだか、いつもよりも力が要りました。あらま、こんなに体力が落ちていたのか!
 
『平家物語』巻九「木曾の最期」の中で、木曾殿(源義仲)は今井四郎兼平に告げます。
「日ごろは何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや。」

1184年に起こった「粟津の戦い」の話で、入京した源義仲軍は、その横暴なふるまいから後白河法皇の信頼を失い、京都から追討されて鎌倉軍(6000騎)と戦うこととなりました。源義仲軍(300騎)は敗れて50騎になり、5騎になり、ついに源義仲と今井四郎の主従2騎だけになりました。心身ともに疲れ切った義仲の一言が、先の言葉でした。
 
「日ごろは何とも覚えぬノート型パソコンが、今日は重うなったるぞや。」
誰も私の声を聞いてはくれません。独りごちて、空元気を出して学校に向かいました。

「暖房や生徒の眠り浅からず」
 村上沙央(1936年~)
 体力の要るのは、教師だけでもなさそうです。


※画像は、クリエイター・稲垣純也さんの、タイトル「雲梯 #131 」の1葉をかたじけなくしました。小学校の校庭での遊びを思い出します。お礼申し上げます。