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No.726 男の心を照らし出したものは?

今夜が「望月」のようですが、昨夜は雲もなく、月もほぼ満月に近く皓皓と照っていました。北東方向に小さく見えたのは、火星でしょうか?残念ながら、我がスマホ「黒主クン」の撮影では、これが限界でした。いや、限界だったのは、私の腕の方でしょうか?

『古今和歌集』巻第17、878番は「よみ人しらず」の歌です。
 「わが心 慰めかねつ 更級や をば捨て山に 照る月を見て」

  「姨捨山」は、現在の長野県埴科(はにしな)郡戸倉町あたりにある 「冠着山(かむりきやま)」か、と言われているそうです。この歌は、『古今和歌集』よりも半世紀ほど後の成立となる『大和物語』156段にある「姥捨て」の説話で有名です。少し長くなりますが、とても良いお話ですので、原文から紹介させてください。
 
「信濃の国に更級といふ所に、男すみけり。若き時に、親は死にければ、をばなむ親のごとくに、若くより添ひてあるに、この妻(め)の心憂きこと多くて、この姑(しうとめ)の、老いかがまりてゐたるを常に憎みつつ、男にもこのをばの御心のさがなくあしきことを言ひ聞かせれけば、昔のごとくにもあらず、おろかなること多く、このをばのためになりゆきけり。このをば、いといたう老いて、二重にてゐたり。これをなほ、この嫁、ところせがりて、今まで死なぬことと思ひて、よからぬことを言ひつつ、
『もていまして、深き山に捨て給(たう)びてよ。」
とのみ責めければ、責められわびて、さしてむと思ひなりぬ。
月のいと明かき夜、
『嫗(おうな)ども、いざ給へ。寺に尊きわざすなる、見せたてまつらむ。」
と言ひければ、限りなく喜びて負はれにけり。高き山のふもとに住みければ、その山にはるばると入りて、高き山の峰の、下り来(く)べくもあらぬに、置きて逃げて来ぬ。
『やや。』
と言へど、いたへもせで、逃げて家に来て思ひをるに、言ひ腹立てけるをりは、腹立ちてかくしつれど、年ごろ親のごと養ひつつ相添ひにければ、いと悲しくおぼえけり。この山の上(かみ)より、月もいと限りなくあかく出でたるをながめて、夜一夜(よひとよ)、寝(い)も寝られず、悲しうおぼえければ、かく詠みたりける。
わが心 慰めかねつ 更級や をば捨て山に 照る月を見て
と詠みてなむ、また行きて迎へ持て来にける。それよりのちなむ、姨捨山と言ひける。なぐさめがたしとは、これが由(よし)になむありける。」
 
 次に、口語訳で読んでみてください。
「信濃の国の更級という所に、一人の男が住んでいました。若い時に親が死んでしまったので、伯母が親のようにして、(男の)若い時から世話をしていましたが、この男の妻の心は、薄情なことが多くて、この姑が、年をとって腰が曲がっていたのを常に憎らしく思いながら、男にもこの伯母のお心がひねくれていてよくないことを言い聞かせていたので、(男は)昔のとおりでもなく、この伯母に対しておろそかにすることが多くなっていきました。この伯母は、たいそうひどく年老いて、腰が折れ曲がっていました。このことをいっそう、この嫁は、厄介なことに思って、今まで(よくも)死ななかったことよと思って、(伯母の)よくないことを夫に告げ口しながら、
『(伯母さんを)連れていらっしゃって、深い山に捨てておしまいになって下さい。』
とばかり責めたてたので、男は責められて困り、そうしようと思うようになりました。
月が大変明るい夜に、
『おばあさんや、さあいらっしゃい。寺でありがたい法要をするということですから、お見せ申しましょう。』
と言うと、(伯母は)この上なく喜んで背負われたのでした。(彼らは)高い山のふもとに住んでいたので、その山の遥か遠くまで入っていって、高い山の峰で、下りてくることができそうにない所に、置いて逃げてきました。
「これこれ。」
と(伯母は)言うのですが、(男は)返事もしないで、逃げて家にきて(伯母のことを)思っていると、妻が伯母の悪口を言って腹を立てさせたときは、腹が立ってこのようにしてしまったのですが、長い間、親のように養い続けて一緒に暮らしていてくれたので、とても悲しく思えました。この山の上から、月がたいそうこの上なく明るく出ているのを、じっと物思いにふけりながらぼんやりと見て、一晩中、寝ることもできず、悲しく思われたので、このように詠みました。
自分の心を慰めることができません、更級の姨捨山に照る月を見ていると。
と詠んで、また(山へ)行って(伯母を)迎えて連れて戻ってきました。それからのち、この山のことを姨捨山と言ったのです。慰めがたいという時に、姨捨山を引き合いに出すのは、このようないわれがあったのでした。」
 
さて、親鸞上人(1173年~1263年)の恩師である法然上人(1133年~1212年)という人は、
「月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」
と詠んだそうです。
「月光は、私たちがどこにいようと、必ず付き添い、照らし、見守ってくれているように感じます。しかし、その美しさがわかる人は、眺めることのできた人だけです。」
宗教家の説明には、そのようにありました。信心の大切さを説いた歌なのでしょうか。
 
確かに、姨捨山の上にのぼった円い月は明るく照っていました。ところが、この上なく美しい景色であり光なのに、男は楽しむことが出来ません。 それは、山の上に捨ててきた伯母の事が、気がかりでならなかったからでしょう。正邪の心が映し出されてしまったのでしょう。
 
どんなに美しい景色が目の前にあっても、それを美しいものとして受け入れ捉えられるか否かは、その人の心の在り方次第のようです。見る者の醜い心の内を清澄な月の光が照らし出したのでしょう。法然上人の歌の「すむ」は「住む」であり「澄む」であるようです。そして、月の「清澄」は心の「静聴」を言うのかも知れません。
 
私の撮った画像はイマイチでしたが、昨夜は心がリセットされるような清い光でした。