見出し画像

No.879 2つのネームホルダー、2つの心。

人の心を感じるのは、どんな時にですか?どんな事にですか?

定年退職した2014年(平成26年)3月27日、私は在職中からの念願だった「桜前線追っかけの旅」にただ一人、自家用車で出発しました。前年の12月28日に85歳で亡くなった母の遺影をネームホルダー(吊り下げ名札)に入れて首からさげ、同行してもらいました。
1つには、全国の桜の名所の素晴らしさを見せてあげたい
2つには、母の遺影を胸に置くことで、絶対に無理しない
という思いがあったからです。その願いは、30日間守り抜かれました。ささやかながら、母への供養もできたのではなかろうかと自画自賛しています。

3日前の5月8日、愛犬チョコは幽冥境を異にし、10日には鳥辺山の煙となりました。私は、散歩の大好きだった相棒の遺影を「ネームホルダー(吊り下げ名札)」に入れて胸に提げ、永眠した翌日から再び散歩を始めました。どの道も共に歩きなれたコースです。 
「この桜の木の下で、あの記念写真を撮ったねえ」
「この下り坂の電柱の近くで、必ずウンチしたね」
「このコンビニの車止めのポールにリードをつないで『待て!』したね」
「5匹の鯉を見にこの川まで来たね。近所の家の犬からよく吠えられたね」
「ここの古着屋のオジサンに可愛がってもらった。タバコ臭い人だったね」
歩を進める度にあれやこれや思い出され、写真に話しかけている自分に気づきました。これからも、写真に呼び掛けながら往時をしのび、幸せを再びかみしめながら、孤独と向き合って行くのでしょう。
 
チョコを亡くした翌日の授業中、ペットの死について15分ほど話をさせてもらいました。授業が終わって教室から出ると、追いかけてきた女生徒が右手のグーを差し出しました。「ん?」と思って見ると、チロルチョコが1個握られていました。「ぼくに?」と言うと、頷くだけです。どうやら、気落ちした私を励ましてやりたかった様子。嬉しい心づかいジワーッと来ました。だけど、菓子の持ち込み可?そして、わしゃ子供か?
 
その時に、ふと、50年近く前に似たようなことがあったな思い出しました。大学4年生の9月に父を54歳で失いました。病没でした。
「この悲しみは、誰にも分らない…。」
と一人で勝手に合点し、不貞腐れて寂しさと向き合っていました。
 
1週間の喪に服した後、東京の阿佐ヶ谷の下宿に戻って学生生活を再開しました。当時、阿佐ヶ谷駅の北口(だったと記憶します)に、夕方になると「おでん」の屋台が出ました。戦後からやっているという噂の、寡黙極まるお爺さんが、一人で切り盛りしていました。
 
ある日、駅近くで夕食をと考えていた私は、ふとその赤ちょうちんに導かれるように暖簾をくぐりました。まだ早かったからか、客は私だけでした。大好物の餅入り巾着と大根を食べました。私が、大分から上京して下宿生活をしていることや、つい最近父を亡くし、後ろ盾がなくなった苦しさや悲しさや淋しさのような弱音をポツリポツリと話しだしたのは、日本酒の勢いに負けたからかもしれません。
 
お爺さんは、黙って聴いてくれました。そして、巾着を一つ掬って私の皿にのっけてくれました。「何も言わずに、頑張れ。」と教えられているようでした。餅巾着の代金は受け取ってもらえませんでした。その帰り道の、何と心の温かかったことでしょう。
 
そのお爺さんは、「日本のボブ・ディラン」とも呼ばれる友部正人という歌手の「にんじん」というアルバムのジャケットに写っている人です。それを知ったのは随分後になってからのことでしたが、びっくり仰天しました。「おでん酒百円 焼酒八十円 ビール百八十円」なんて書いてありました。1975年の頃の思い出です。お爺さんの情に触れたおでんでした。